第83話 聖下♡ とシトーーーーッ!!
フランスは、ひとりでりんごちゃんの背に乗ったまま待っていた。
りんごちゃんは、大人しくじっとしている。
目の前には、小さな家がある。頑丈そうな石造りだが、古くて、質素な感じがする。シャルトル教皇の、大聖堂にある私室と同じような印象があった。
しばらくすると、中からシャルトル教皇が出てきた。
「お待たせしました。忘れていたお菓子です」
そういって持っているものを掲げる。
けっこう大きめの箱だった。
ずいぶんたくさん入っていそうね。
シャルトル教皇は器用に箱をマントに巻き取るようにくるんで、軽々と馬にのった。
フランスは、貧しそうな感じすらする、教皇には似合わない目の前の家を見ながら言った。
「この家は、どういった家なのですか?」
シャルトル教皇が、恥ずかしそうにして言う。
「じつは、わたしの家です」
「えっ⁉」
さすがに、教皇の家にしては質素すぎる。
フランスの反応に、シャルトル教皇は、さらに恥ずかしそうにして言った。
「人が来ることも多いので、邸宅はほかにあるのですが、落ち着かなくて……。何もない時は、この家に帰ってきて過ごしているのです」
意外、すぎる……。
しばらくりんごちゃんにゆられる。
「ここらへんにしましょう」
シャルトル教皇はそう言うと、また軽々と馬からおりる。
彼は、フランスに両手を差し出して言った。
「わたしの肩に手をかけて、ゆっくりと」
フランスが聖下の肩に手をかけると、りんごちゃんが急にちょっと前に進んだ。
バランスをくずして思わず叫ぶ。
「きゃっ」
落ちるかと思ったが、シャルトル教皇がしっかりとフランスの腰を引き寄せるようにしたおかげで、なんとか無事にたどり着けた。
聖下の腕の中に。
フランスは、聖下に思いっきり抱きつくような状態になっていた。
りんごちゃん!
ありがとう‼
そのまま、そっとおろされる。
「ありがとうございま、いえ、すみません聖下、飛びついたりして」
「今のは、りんごちゃんがいじわるでしたね。すみません」
シャルトル教皇は、りんごちゃんのたずなをどこかにくくりもせず、遊ばせるようにした。
ぽつんとはえている立派な木の下で、シャルトル教皇が着ていたマントを敷いて言う。
「ここで休みましょうか。そのうち、お腹をすかせた何かが遊びにくるかもしれません」
お腹をすかせた何か?
何かしら?
ふたりで並んですわる。
目の前は、なだらかな下りの草っぱらになっていて、すこし先に石造りの建物がある。小さな修道院くらいの大きさだ。
大きな木が適度に陽射しをさえぎってくれている。
午後の木漏れ日と、穏やかな風が心地よい。
素敵な場所ね。
フランスは気になって聞いた。
「なぜ、さいしょの望みのことをご存知なんです?」
「あなたに、してやられた思い出ですから」
してやられた?
わたしが聖下を?
フランスは首を横にふりながら言った。
「ありえません」
シャルトル教皇が笑う。
「じつはあのころ、シトー修道士を側に置こうと考えていたんです。彼は優秀ですからね」
えっ⁉
なんですってーッ!
間違いなく出世街道だ。フランスの側にいるよりも、はるかに良い道がシトーに用意されていた。今さら、取り返しようのない事実を知って、フランスはショックだった。
シトーの邪魔しちゃったんだわ。
シャルトル教皇がつづけて言う。
「彼は、学問もよく収めましたし、修道士としての態度もすばらしかった。だから、最高学府での学業をすべておさめたら、ぜひわたしのところに来て欲しいとお願いしようと思っていたんです」
うわぁぁ。
どうしよう……。
すっごく良い道があったのに……。
フランスは悲しくなって言った。
「今からでも、受け入れていただけますか?」
シャルトル教皇が、おや、という顔をして笑って言う。
「いいえ」
どうしよう!
シトー、ごめんなさい‼
ほんとに、なんて謝っていいかわからないわ。教皇付きの助祭になれていたかもしれないのに。
シトーほどかしこければ、ゆくゆくは枢機卿にまでのぼり詰めていたかもしれない。
フランスが下ばっかり向いていると、腕をつんとされる。
シャルトル教皇が優しい顔でこちらを見ていた。
「いじわるで言ったわけではないんですよ。シトー修道士……、いえ、今はあなたの教会にいるシトー助祭ですね。彼は、きちんとわたしの誘いを断りました」
「え?」
「あなたが、さいしょの望みを言ったすぐあとに、彼に、かなりの好待遇で、わたしのところに来てくれないかと言ったんですよ」
うそでしょ。
「まさか、断ったんですか⁉」
フランスの言葉に、シャルトル教皇が頷く。
シトーーーーッ‼
なんで断っちゃうのよ‼
「彼は、こう言いました。『聖女フランスがどこへゆこうとも、ともにいきます』と」
フランスは、なんだか泣きそうになった。
今すぐシトーに会って、ありがとうと言いたい。
とっても恵まれているわ。
アミアンも、シトーもいるなんて、贅沢ね。
主よ、感謝いたします。
「彼があなたに向けるのは、真心だと感じました。シトー助祭は、どんなに好待遇を示されても、あなたのもとからは離れませんよ」
フランスは、胸があたたかくなって言った。
「幸せな……、ことですね」
「ええ、そうだと思います」
シャルトル教皇がふふ、と思い出すようにして笑った。
フランスは彼の横顔を見た。彼は、笑いをふくんだ顔で言う。
「失礼。名前は忘れましたが、もうひとり、あなたが修道院から修道士を引き取ったときのことを思い出していました」
「あ……」
恥ずかしい。
スタニスラスのことね……。
「なかなか修道院長が認めなかったからといって、ほうきを持って、修道院長の部屋の前ではりこんでいたとか」
そう言って、シャルトル教皇が、完全に思い出したのか笑った。
フランスは、恥ずかしさをごまかそうと、手遊びしながら言った。
「お恥ずかしい、ことで……」
シャルトル教皇は、いかにも楽しそうに笑いながら言う。
「あなたと、ブールジュ聖女の、とんでもない話には、毎回大笑いさせられます」
フランスは、こめかみに手をやって、痛みにたえるように息を吸った。
今まで聖下の前ではきっちりと、おしとやかにしていたのに……。
悪行の数々を知られているなんて……。
「この前も、ブールジュ聖女と、とんでもない殴り合いをしたとか」
うわぁ、もうだめよ。
フランスは、恥ずかしさにいたたまれなくなって頭をかかえた。
シャルトル教皇の、たのしげな笑い声がひびく。




