第71話 見たのね
フランスは、ずぶ濡れで震えて、イギリスを見上げた。帝国の皇帝の姿に戻ったイギリスも、同じようにずぶ濡れだが、震えてはいない。
イギリスが、フランスの腕をつかんで、引っ張った。
フランスは歩こうとしたが、水をすった服のすそが重すぎて、思うように歩けない。足をもつれさせて、倒れそうになったフランスを、イギリスが勢いよく横抱きにする。
フランスは思わず、イギリスの首に腕をまわした。どうしようもなく震える手は、しっかりとしがみつくことすら出来ないほどだった。
イギリスは、大股で天幕に向かった。
天幕に入ると降ろされる。
「これに着替えろ」
イギリスは着替えの服をテーブルの上に置いて、さっさと出て行った。
これに着替えたら、どうするつもりかしら。
二人ともずぶ濡れなのに。
テーブルに置いてあるのは、あきらかにイギリスの服だった。
イギリスの着替える分がなくなってしまう。
……。
いや、でも、この寒さはまずいわ。
とりあえず着替えましょう。
フランスは水を吸って重たくなった上に、ぴったりと身体に張り付いている服を、脱ごうとした。
冷たくなった手がうまく動かない。
しばらく、脱ごうともがいてみる。
脱げないわ。
えいやと力をこめて、暴れるみたいにしてみる。
……。
だめだ。
段々、冷えてきて、余計にどうしようもなくなってきちゃった。
フランスは、よろよろっと移動して、天幕から顔をつきだした。
ずぶ濡れのまま、外に立っているイギリスと目が合う。
「着替えたのか?」
「まだです」
「はやく着替えろ」
「脱げないんです」
イギリスが眉間に皺をよせて、おそれるように首を横にふって言った。
「手伝えない」
「手伝ってください。もう寒くて指も動かないんですから」
つかの間、ためらったあと、イギリスが天幕に入って来る。
「どうすればいいんだ」
フランスは、声まで震えながら言った。
「腰布が硬くて、ほどけないんです」
イギリスが、フランスの腰布に手をかけてほどく。
近づいたイギリスの、うつむく顔が目の前にあった。
やっぱりまつげ長い。
至近距離美男ね。
イギリスが腰布をとるのに、思いっきり引っ張った。
フランスはバランスを崩して、イギリスの胸に手をおいた。
近づくと、良い匂いがする。
つやつやネコちゃんの香りよ。
「ほどいたぞ」
イギリスが離れる。
フランスは髪を持ち上げるようにして、イギリスに背を向け、言った。
「背中の留め具を外してください」
イギリスが、留め具を外す。触れるか触れないかくらいに、背中にイギリスの手先があたって、くすぐったい。
「全部か?」
「はい、全部お願いします」
イギリスの手先が、腰のあたりまで降りる。
わ、腰のあたりはもっとくすぐったいわ。
フランスは、なんとかじっとしておく。
「外した」
フランスは、イギリスに背を向けたまま言った。
「髪を持っていて下さいます? 脱ぐときに留め具がからむと大変なことになるんです」
イギリスは、フランスが持っていた髪を、かわりに持った。
フランスが髪から手をはなすと、イギリスは目をつむる。
なんだか、見た光景ね。
フランスは、よし、と意気込み、必死で服を脱いだ。なんとか、全部脱ぎきる。
つかれた……。
一息ついていると、イギリスが言った。
「もう、終わったのか?」
「まだ裸です」
「……そうか」
フランスは、用意されていたイギリスの服を、手を伸ばして取り、着た。
下をはいてから、上を着ようとして気づく。髪をもたれたままだと、かぶれない。
フランスは、イギリスのほうに身体を向けて言った。
「髪をはなしてください」
「ああ」
そう言って、イギリスが終わったと思ったのか——、目をあけた。
つかのま目が会う。
「まだよ!」
フランスが叫ぶと、イギリスがすこし肩をおそれるように揺らしてすぐに目を閉じる。
フランスは、上の服をかぶってから言った。
「見ました?」
「……」
イギリスは目をつむったまま答えない。
……。
見たのね。
いや、見たわよ。
目を閉じる直前に、視線が一瞬下にいったでしょ。
わたし、見てたからね。
「もう、着ました」
フランスがそう言うと、イギリスがゆっくりと目をあけた。
フランスのほうを見ない。
フランスがまわりこんで、のぞきこむように見上げると、ふいーっと顔をそむけて目をそらす。
絶対。
見たわね。
絶対にね。
まあでも、今のは、わたしも悪かったわよね。
フランスは、表情をゆるめて言った。
「わたしの言い方が悪かったですね。気にしないでください」
イギリスは、気まずそうな顔をして、何も答えなかった。
その後、イギリスは天幕の外に出ると、あたりから大ぶりの枝をいくつか集めてきて、焚火をおこした。一度赤い竜の姿になって、ふうっとやると、すぐに勢いのある炎が立つ。
便利ね。
濡れた服を、炎の近くにかざして、かわくのを待つ。
この炎の勢いなら、すぐにかわきそうね。
イギリスは、濡れた服のまま、焚火のそばに立っていた。
一言も喋らない。
目も合わせようとしない。
ちょっと、やめてよね。
まるで、わたしがひどいことをしたみたいじゃない。
不愛想な顔でフランスを見て、皮肉を言ったり、いじわるを言ったりばかりしているイギリスが、いつもとは打って変わって、静かにへこんでいるような様子を見て、フランスは思わず——、笑った。
ちょっと笑ったら、我慢できなくて、さらにくすくす笑ってしまう。
イギリスが、何の笑いか分からないからか、不審な顔でフランスを見た。
フランスは、その顔を見て、よけいにおかしくなった。
思わず、笑いながら、砕けた感じで言う。
「やだ、だって、あなたが裸見られたみたいに、へこむから」
言いながら、さらに笑ってしまう。
フランスは笑いながら言った。
「裸見られたの、わたしなのに」
イギリスがちょっと憤慨したように言った。
「きみは、気にしなさすぎる」
「見えちゃったものは、しょうがないじゃないですか」
「……」
イギリスが、納得いかなさそうな顔をした。
ふーん。
あーそう。
じゃあ、つっこんであげるわよ。
フランスはにっこりして言った。
「陛下」
「なんだ」
「最後に視線を下げなければ、見ることはなかったのに、視線をさげましたね。わたし、見ていましたよ」
「……」
「気にしてほしかったんですよね?」
フランスは、いつもイギリスがするようないじわるな顔を作って、言った。
「あ~、陛下が視線を下げなければ、わたしの心に傷はつかなかったのに。繊細な乙女心は、深く傷ついて、もう黒イチゴ酒も飲めないほどです」
「……」
イギリスがくやしそうな顔をするものだから、フランスは楽しくなって笑った。




