第70話 赤い竜、事故る
フランスは居酒屋を出て、イギリスが差し出した腕につかまり、上機嫌で歩きながら言った。
「ありがとうございました」
イギリスがいつもの、いじわるな顔をして言う。
「もう噛みつかないだろうな」
フランスは笑った。
「噛みつきません。居酒屋っていいですね! すごく楽しい」
「そうか」
「わたし、黒イチゴ酒、はじめて飲みましたけど、一番好きかもしれないです」
「また、飲みに来ないとな」
また、連れてきてくれるのかしら。
楽しみね。
フランスがイギリスを見上げてへらっと笑うと、イギリスも控えめにだが笑った。
いい夜だわ。
フランスは、赤い竜の手で運ばれながら、そのまま眠ってしまった。
*
目が覚めると、フランスは赤い竜の姿で、夜明けの陽をうけてかがやく湖のほとりにいた。
あ、ピュイ山脈ね。
フランスは久しぶりに、赤い竜の姿でのびをする。お尻を突き出すようにして背中をのばしたあと、翼と足を片方ずつ、ぐっとのばす。最後に右の足先をぴぴっとやれば完了だ。
うん、すっきり。
しばらくすると、小さな天幕から聖女フランスの姿をしたイギリスが出てきた。手に袋を持っている。昨日、フランスが教会から持ってきた袋だ。
また、髪がぼさぼさのままね。
フランスは人の姿になって、イギリスに近づき、髪をなでつけた。
まあ、だいたいこんなもんでしょ。
「陛下、その袋持ってきてくださったんですね。朝ごはんに、パンと塩漬け肉をもってきたんです、食べますか?」
「食べる」
「火をおこせます?」
「暖炉の火が残っているから、それを使えばいい」
ふたりで天幕に入る。
パンと肉を、暖炉の火で簡単に温めて、パンに肉をはさむ。持ってきたチーズも一緒に。
まあ、高級じゃないけど、けっこう美味しそうよ。
フランスは、手際よく作って、イギリスに手渡した。
イギリスが椅子に座って食事をしているので、フランスはベッドに腰掛ける。
なんとなく手持無沙汰で、イギリスに声をかけた。
「話しかけても?」
「ああ」
イギリスがもぐもぐやりながら、あいまで答える。
「飛ぶのって、どうやって練習するんです?」
「基本動作は難しくない。跳びあがって、翼をひらいて、羽ばたく。それだけだ」
なんだ、それだけ?
「簡単ですね」
フランスの言葉に、イギリスが疑うような顔をする。
なによ。
跳びあがって、広げて、ぱたぱたでしょ。
できるわよ。
*
フランスは赤い竜の姿で、今日二十回目の、湖への飛び込みをきめた。
……飛べないわ。
なんでなの。
岸にいるイギリスが無表情に、こちらを見ていた。
フランスは跳びあがって、翼をひろげるまではできたが、羽ばたくとバランスを失って、落ちた。
湖から、のそのそと岸に上がる。
また、全身びしょ濡れね。
フランスが岸に上がると、イギリスが、何か言おうと口をひらいたので、フランスは先んじて唸り声を出しておいた。
ぜったい、また皮肉を言うつもりよ。
フランスの赤い竜の鼻から、ため息というには荒っぽい息が出る。
なんだか、たいして飛べもしないうちに、お昼になっちゃいそうよ。
フランスはもう一度、岸から跳びあがって翼を開いた。わずかに風をつかむ感覚があった。羽ばたく。
あ、この感じじゃない?
フランスは一生懸命に翼を動かした。ふらふらと不安定ながら、なんとか湖面すれすれを飛ぶ。
おお、飛べたんじゃない。
さらに羽ばたくと、上昇した。
うわぁ。
すごい。
急に視界が高くなる。
フランスは首を動かして、イギリスがいる岸辺の方を見た。顔を向けると、勝手に、そちらに向かって、からだが動く。翼を大きく広げて、身体を傾けるようにして旋回する。
すごい、気持ちいい。
フランスは、イギリスの姿に集中した。
あそこに向けて飛んで……。
……。
あれ?
そういえば着地ってどうするの。
聞いてなかったわ。
とりあえず、イギリスの方を目指すが、思ったよりも速い。
あ、まずいかも。
このままじゃ、正面きって、あの小さく見える人間のところに突っ込むわ。
え、でも、どうしたらいいの!
どうすればいいか分からないが、とりあえずフランスは警告しようと咆えた。おそろしい声があたりに満ちる。
イギリスが、様子のおかしさに気づいたのか、岸辺を横に、逃げるように走った。
いやーっ!
どいてどいてどいてっ!
つい、逃げるイギリスを目で追いかけてしまって、身体がそっちにいく。
見ちゃだめよ!
あわてて、顔を反対側にむける。
そのまま滑り込むように、地面に倒れて、翼が混乱したようにバタバタと動く。なんとか、四つ足を全部地面につけたところで、フランスはふせをした。
その状態で、首だけめぐらせてイギリスをさがす。
岸辺をぐるりと見回す。
いない!
どこ⁉
えっ、吹き飛ばしちゃった⁉
フランスが混乱しながらも、ふせの状態で首をめぐらせていると、岸辺に手をついて、イギリスが水の中から上がってきた。
フランスは人の姿にもどって、かけより、助けおこす。
イギリスは、全身ずぶ濡れで、震えていた。
わあ、かわいそう。
触れなくても分かるぐらい、見るからに震えているわ。
絶対、この状態で入れかわりたくはないわね。
フランスの体も全身湖につかって濡れていたが、イギリスの体は呪いのせいなのか、さほど寒さを感じない。
その瞬間、目の前があやしくとけるようになった。
フランスは、次の瞬間には、聖女フランスの姿でがくがく震えていた。
突き刺すような冷たさが、全身を包んでいる。
さっ、寒いーッ!




