第67話 なんなの、その反応
フランスは、アミアンとシトーと三人で、修道院の裏庭の、池のほとりの地面に座り込んでいた。
思ったより疲れた声が、フランスの口からでた。
「さすがに一時間も走り回っちゃ、疲れ果てたわ」
アミアンが、まったく疲れの見えない声で言う。
「わたしは、あと半日はいけそうです」
さすがね、アミアン。
体力がとんでもないわ。
フランスは、シトーのほうを見た。
シトーもとくに、疲れた様子がない。
こっちも、とんでもないのね。
北方人って、筋肉質で体力があるっていうものね。シトーはほっそりして見えるけれど、脱いだら意外と、筋肉質なタイプなのかしら。
ドラ息子とその取り巻きの修道士たちを、修道院中追いかけまわして一時間。フランスは、何度か逃げ回る男たちの尻を、ほうきでひっぱたいてやった。
アミアンは、何度こづいたか分からないくらい、こづきまわしていた。しかも、しっかりと柄のほうで。
フランスは満足して言った。
「まあ、このぐらいにしといてやるわ」
もうこれ以上、走りたくないもの。
三人でぼけーっと池をながめる。
フランスはふと気になって訊いた。
「シトーの故郷って、どんなところ?」
シトーが首をふる。
「もしかして、覚えていないの?」
シトーがうなずいた。
そっか。
そういう人も多いかもね。
物心がついた時にはもう奴隷だったり、修道院に預けられていたり、ということは珍しくはない。それだって、まだましな方だ。もっと悪い環境だって、いくらもある。
「じゃあ、なにか思い出の品とかも持っていないの?」
シトーがうなずく。
なんだか……、何も持っていなさそう。
フランスは首にかけていたロケットを外して、そっと開けて、中を見た。
「見て」
シトーにロケットを手渡す。
「それ、わたしのちいさい頃の肖像画なのよ。むかしは良いところのお嬢さんだったの。かわいいでしょ?」
シトーがうなずく。
アミアンが、なぜか得意げに言う。
「ふたの裏に、刻んであるでしょう? アキテーヌ公国、公女フランス。アキテーヌ公のたったひとりのお嬢様です」
フランスは、シトーが持つロケットをのぞき込んで言った。
「すっごい小生意気な顔でこっち見てるのよね、このちびっこ公女」
それを聞いて、アミアンが笑う。
「お嬢様、そのときに来た絵師を散々困らせていましたよ。動き回るわ、いたずらするわ、まさにその表情がぴったりでした。ほんとは、大きい肖像画を描くはずだったのに、お嬢様がてんでつかまらないんで、そのロケットにおさまる小さな肖像画になっちゃったんです」
フランスは笑って、言った。
「この肖像画を見ると、ちょっと元気が出るのよね。この時のわたしって、ほんと毎日楽しいことしかなかったわ」
小生意気な笑顔が、今はシトーに向けられている。
「いろんな辛いことが、この世にあるなんて知りもしなかった」
フランスはシトーの顔をのぞきこんで言った。
「ねえ、このロケット、あなたがもらってくれる?」
アミアンが焦ったような声で言う。
「お嬢様!」
フランスは大丈夫よ、という笑顔をアミアンに送ってから、シトーに向き合って言った。
「これは——、わたしにとって、良い思い出のかたまりなの。でも、わたし、これ以外にも良い思い出いっぱい持ってるわ。だから、この良いやつは、あなたにあげる。わたしとの最初の思い出の品よ。ねえ、なかなかに面白かったでしょ? ほうきを持っておいかけまわすまでして」
アミアンがやれやれと笑った。
「もうすこし、追いかけまわして、ぼこぼこにしておくべきでしたよ」
あんなに、こづきまわしていたのに、まだ、足りないのね。
アミアンの物言いに、フランスはくすくす笑った。
「どう? あなたが嫌でなければ、もらってほしいの」
フランスの言葉に、シトーがうなずく。
フランスはにっこりして言った。
「首にかけてあげる」
シトーは、持っていたロケットを素直にフランスに渡して、首をすこしかたむけて下げた。フランスは、手をまわしてシトーの首にロケットをかけた。
近くにあったので、ついでにシトーの額にキスする。
アミアンが、からかうみたいに言った。
「いいなあ」
アミアンの額にもキスする。
それから、フランスは足を放り出すようにして座り、なんだかぽかぽかした気分で、言った。
「どこの教会に行かされるか分かんないけど、なんだか楽しみになってきたわ」
池の上を、とんぼがのんきに飛んでいる。
*
フランスは、眠るシトーの前髪をそっとなでた。
綺麗に磨かれているロケットを、シトーの胸元にもどす。
この教会で、一番なんでもできるし、一番かしこいのはシトーだけど——、一番心配なのもシトーね。
この教会に来て以来、ずっとシトーに頼りっぱなしだわ。
遅くまで繕い物をして、夜明け前からパンを焼いて、教会の管理も何から何までしてくれている。
修道院での戒律もいまだに守っているようだし。祈りの時間も欠かさない。
もうすこし、自分に優しくしてほしいけれど。
でも、こうやって生きることが、シトーにとっての祈りのようにも見える。
いつか、彼がもうすこし、人と触れ合えるようになったら、抱きしめられるかしら。
全然、想像つかないけど。
「シトー、いつもありがとう。大好きよ」
フランスは、シトーの身体にしっかりとかけ布をかけて、額にキスをした。
顔を離すと、シトーと目が合う。
「びっくりした! 起きてたの⁉」
シトーがうなずく。
「あとで夕飯を持ってきてあげるから、眠って」
シトーが、じっとこちらを見ている。
「なに?」
シトーは何も言わない。
フランスはにやっとして言った。
「もう一回キスして欲しいの?」
シトーがうなずく。
かわいいわね。
あら、もしかして、今ならちょっとぐらい、ぎゅってできるんじゃない?
フランスは、シトーの額にキスをしてから、シトーの肩に手をやって、シトーの頬に自分の頬をよせ、寄り添うように身を寄せた。
やってやったわ。
フランスが満足して身体を離すと、シトーが、壁側にむかって寝返りをうった。
フランスが部屋を出るまで、シトーはそのまま壁に向かっていた。フランスに顔を見せないまま。
……。
なんなの、その反応。
色素の薄い耳が——、赤い。




