第64話 あなたの中に罪を見ない
「ないっ‼」
朝の支度中にフランスが叫ぶと、アミアンが近くに来た。
「何がないんです?」
「ロケットよ。ここに置いておいたのに、ないの」
「あらら、どこかに転がっちゃったんでしょうか」
ふたりで部屋中さがす。
「……ないわね」
なんでなのよ。
ぜったい、ここに置いたと思うけど。
「もしかして、昨日どこかで落としたとか?」
アミアンの言葉にフランスは、眉間にしわをよせる。
絶対、絶対、昨日、ここに置いたけど……。
だめね。
自信がなくなってきたわ。
落としたのかしら。
フランスの口から、思ったよりも弱々しい声がでた。
「どうしよ……」
「探しに行きましょう。叙任式の事前確認の時間まで、まだ間があります」
「そうね……。どこかに落ちているかもしれないもの」
フランスは不安でそわそわする手を、自分の手でぎゅっとやった。気持ちと同じように冷えている。
アミアンが、その手を包むように、にぎった。
ふたりで、うなずき合って、部屋をでる。
修道女のための部屋が用意されている建物から出て、他の建物に通じる回廊に向かう。
すると、そこに、何人かの修道士がいた。まだ若い修道士たちだった。学府で学んでいる者たちだろうか。
ひとりは両膝をついて、石畳の回廊に跪いている。
何かしら。
何だか、嫌な感じね。
フランスと、アミアンが通り過ぎようと近づくと、ずいぶん良い生地の修道服を着た男が歩み寄り、話しかけてきた。
「おまえ、昨日、田舎の修道院から出て来た、聖女見習いのフランスだろ」
まわりの取り巻きみたいな男たちがにやにやしている。
まあ、ほんとに、嫌な感じね。
修道院って、一定数、こういう人がいるの、なんとかならないのかしら。
みずから望んで厳しい戒律に身をひたす修道士や修道女がほとんどだが、中には問題を多く起こすからと親に修道院に放り込まれたという者もいる。
これは、あきらかに、ドラ息子っぽいわ。
フランスは、相手を刺激しないように答えた。
「ええ。何かご用でしょうか?」
「身分不相応につけていた飾り物がなくなって、困っているんじゃないかと思って声をかけてやったんだ」
フランスは、にやにやしているドラ息子を睨んだ。
ドラ息子が笑う。
「おお、こわい、こわい。聖女サマがお怒りだぜ」
まわりの男たちが笑った。
フランスは、冷静に言った。
「返してください」
ドラ息子が、信じられないな、みたいな仕草をして言う。
「まるで俺が盗ったみたいな言い方だな。俺は、優しさで犯人を教えてやろうとしているだけだ」
フランスが睨んだままでいると、ドラ息子は跪いている男を指さした。
フランスは跪いている男をまじまじと見た。
色素がうすい。
跪いているけれど、背が高そうだ。
目元がすずしく、冷たそうな印象を受ける。
北方人ね。珍しい。
あざだらけね。
顔にもいくつか、あざがあるが、袖からのぞく腕にもあざがある。
全身、打たれたのかしら。
ドラ息子が、楽しんでいそうな声で言う。
「そいつが、盗ったんだ。蛮人だから手癖が悪いんだよ」
蛮人……。
北方人だからと蔑んでいるのね。
気が滅入るわ。
それにしても……。
あきらかに、ドラ息子が、北方人の男に罪をなすりつけている感じがするけれど。跪いている北方人の男は何も言わない。ただ無表情に跪ている。
アミアンがドラ息子と、跪いている男と、どちらにも向かって言った。
「今すぐ返してください。あれは大事なものなんです」
北方人の男は何も言わない。
ドラ息子が言った。
「そいつ、あの銀色に光るやつを、売っぱらっちまったんだよ。もう、ここにゃ、ないぜ」
アミアンが前に出ようとするのを、フランスは止めた。
「お嬢様」
「いいの。大丈夫だから」
アミアンが怒りの声で言う。
「でも! あれは唯一、故郷から持ってきた品じゃないですか! たったひとつ残っているものなのに‼」
「いいの」
フランスがアミアンの目を見ると、アミアンが泣きそうな顔をする。
フランスは、跪いている男の前に行った。
ドラ息子が、嫌悪感をにじませる声で言う。
「近寄らない方がいいぞ。北方人に触れると病気になるからな。生まれながらにして罪深い蛮人だ」
なんてこと。
そんな迷信を使って、いじめているんだわ。
フランスは、北方人の前に、同じようにして跪いた。
目が合う。
綺麗な目ね。
さっきから、一言も話さないけれど、もしかして声が出ないのかしら。
まさか舌を落とされているとか?
最近じゃ奴隷でも少なくなったけど……、そういう人もいるもの。
フランスは、じっと北方人の男の目を見つめて言った。
「あなたが、望んで盗んだのであれば、主の前にうなずいて下さい。決して主の前に偽りの答えを置かないように」
北方人の男は、じっと、フランスの目を見つめ返した。
うなずきはしなかった。
そうよね。
そうだと、思った。
あのドラ息子が、どんな手を使ったか知らないけれど、盗ませるか、ただ濡れ衣を着せるかしているんだわ。
ドラ息子が、いらついたような声で言った。
「蛮人の答えを信じるつもりか」
フランスが答えずにいると、ドラ息子は馬鹿にするように鼻で笑って言う。
「ああ、同じような扱いを受けているから、同情しているんだな」
まわりの男たちが笑った。
ただ奴隷だ蛮人だとさげすむだけでなく、立場の弱い者同士を争わせようとするなんて。
フランスは悲しくなった。
北方人の男の傷をよく見ると、新しいものばかりではないようだった。古いものもたくさんある。
ずっと、こんな扱いを受けているのね。
反抗しようにも、数の少ない北方人じゃ、肩を寄せ合う相手もここにはいないのかもしれない。
それにしても……。
まるで、自分事に関心がないような顔をするのね。
北方人の男の顔には、悲しみも苦しみも絶望も、何も、見えはしなかった。ただ、時がすぎるのをじっと待っているように見える。
ちょっと、背が高いわね。
フランスは北方人の男の肩に手をおいて、ぐっと下げるように力をこめた。男は、素直に身体をさげる。
よしよし。
フランスは男の肩にやっていた手を、男の両頬にうつして、色素のうすい目をのぞきこんで言った。
「わたしは、あなたの中に罪を見ない」
フランスは修道女で、北方人の男は修道士だ。
何も、変わりはしない。
すこし引き寄せて、北方人の男の額にキスをする。
フランスは、彼の額に、自分の額をくつつけて、そっと言った。
「あなたは、癒された」
心の内を、光が通り過ぎる。
祝福するような、あたたかな光が、つかの間、心をなでる。
フランスが、目をあけると、北方人の男の顔にあったあざも、袖口に見えていたあざも、すっかり消えていた。




