第60話 ブールジュの助言
フランスはすこし離れた場所から、帝国騎士団の鍛錬の様子を見ていた。
イギリスがカリエールに剣の持ち方を教えたりしている。
騎士たちにまかせきりにしないで、ちゃんと自分で教えているのね。
フランスが喉もかれんばかりに、カリエールに声援を送っていると、急に声をかけられる。
「何やってんの、あんた」
びっくりした。
「ブールジュ! 今日は遅かったのね。午前中から来るかと思っていたのに」
ブールジュが大きくためいきをつく。
「ちょっとね。もう今日帰ることになったわ」
「えっ、もう?」
「ええ、お父様からの使者が朝から来てせっつくんだもの。ほんと、やんなるわ。あの新人聖女を追い払ったとたんにこれよ。自由時間のひとつもちょうだいっての」
フランスはブールジュに向き直り、その両手を取って言った。
「残念だわ……」
ブールジュが、鍛錬をしている帝国騎士団にちらっと視線をやったあとで、フランスの手を引っぱった。
「ちょっと、こっち来て」
人けのない、はしのほうへと連れて行かれる。
ブールジュが、人がいないことを確かめるように、まわりに視線をやってから言う。
「ねえ、あんたは良くやってるほうだと思うわ。でも、利用できるものはちゃんと利用しなさいよ」
「どういうこと?」
「あの、赤い竜よ」
ブールジュがあごでさした先に、イギリスとカリエールがいた。
カリエールがこちらに手をふる。
フランスは笑顔でふりかえした。
イギリスもこちらを見る。
存外やわらかな表情をしていた。
カリエールといるときは、本当に、ずいぶん優し気な表情をするようになった。
フランスは、なんだか不安な心地で訊いた。
「陛下が何なの?」
「どういう事情で、あんたのところにいるかは知らないわ。でも、あんたのことを気に入っていそうなことは、ここから見ても分かる」
「そういうんじゃないのよ」
「いいから、聞いて」
ブールジュの真剣な瞳が間近にあった。
ブールジュはまわりに視線をもう一度めぐらせてから、声を落として言う。
「帝国との停戦協定は、ただタイミングが良くて、お互い望んで結んだわけじゃないわ」
「そうなの? でも……以前から、限定的な停戦協定は結んでいたじゃない」
「そりゃね、あんな大きな国とずっとやり合っていたら、それ以外の小国の相手も大変になるでしょ。たまにはお休みして、小さい国をとりに行っていたのよ。シャルトルが得意なところでしょ」
「……」
そこは、確かに、そうかもしれない。
シャルトル聖下が教皇の座について以来、教国はそれまでとは比べ物にならないほど、支配領域を拡大している。
「今回の無期限の停戦協定にも思惑があるのよ」
「何なの?」
ブールジュがさらに声を落として言った。
「西側と東側の対立が大きくなってる」
フランスは眉をひそめた。
「そんなに?」
以前から、教国の西側と東側は、あまり仲が良いとは言えない。教義の解釈や、信仰のありかたについて長らくもめ続けている。
「今すぐどうこうってわけじゃないわ。でも小競り合いみたいなことは、起き始めてる。話が大きくならないのは、それぞれの領主がもみけしているからよ」
「それは……、教国の問題で、陛下には関わりのないことじゃない」
ブールジュが、目を見開いて叱るように言った。
「ばかね! 帝国の皇帝よ! 最も大きな権力じゃない! ちゃんと自分を守るために利用しなさいよ! 今回みたいなことが起きた時にも、あの赤い竜に守ってもらえれば、小さないざこざに悩むことはなくなるわ。これからもし教国が揺れた時にも、利用できるかもしれないでしょ」
フランスはブールジュの瞳から目をそらし、視線を下げた。
「……」
「何、まさか、良心が痛むとか言うんじゃないでしょうね? あの赤い竜だって、主の愛を知るために来たなんて嘘なんでしょ? 利用できるなら、利用しなさいよ」
フランスは、ブールジュの瞳をまっすぐ見つめ返して言った。
「しないわ」
「なんでよ!」
「この教会に来たときに誓ったのよ」
ブールジュが天を仰いで、憤るような素振りをした。
「はじまりの誓い⁉ あんた、律儀にあれを守るつもり⁉」
はじまりの誓いは、教会に赴任する者が最初にたてる誓いだ。
「ええ、そうしたいの。この教会に、たとえ一時でも羽を休める者は、すべてわたしの大切な家族として愛すると決めたの」
「あの竜は! あんたの家族じゃない! 敵よ!」
「いいえ、もうこの教会で過ごしているのだから、わたしの家族よ」
ブールジュが自分を落ち着けるように、大きく息を吐いて、フランスの両肩をつかんだ。
「ねえ、心配なのよ。西と東で、これ以上対立が深まったら、あんたのこと助けに来てあげられない」
ブールジュの大きな目に、不安が浮かんでいた。
フランスはブールジュを抱きしめた。
「もう十分に助けてくれたわ。わたし、ずっとあなたに支えられてきた。ブールジュ、大好きよ。心配しないで。わたし、かんたんにやられたりしないわ。知っているでしょ」
「そうだけど。わたし、こわいのよ。あなたを失いたくないの」
ブールジュの声は震えていた。
ブールジュがこんな風に、不安をあらわにするなんて……。
西と東の対立は随分深刻なんだわ。
フランスはぎゅっと抱きしめたブールジュの肩越しに、イギリスとカリエールを見た。
午後の日差しの中で、カリエールが笑顔でイギリスを見上げている。
平和な景色がそこにあった。
***********************************
おまけ 他意はない豆知識
***********************************
【ブールジュが支えたもの】
ブールジュ大聖堂は、フランスの世界遺産。
ブールジュ大聖堂は、アキテーヌからわずかの位置にあり、アキテーヌの信仰をも支えた大聖堂です。




