第58話 聖女の酔いの本番は、これからあ!
廊下の向こうに、イギリスの姿が消えてから、フランスはその場で考えていた。
先に死ぬから、友だちになれないのかしら。
じゃあ、先に死なないなら、友だちになれるってことよね。
もと奴隷と、皇帝でも?
ふうん。
帝国の皇帝なのに、とんだお人よしさんかもしれないわ。わたし、とんでもないこと言ったと思うのに。
普通は怒るわよ。
うーん。
なんとなく、あの雰囲気の人を、ひとりにしたくはないわね。
フランスはふらふらしたまま、イギリスのあとを追いかけた。
あれ、走りづらい。
自分の身体なのに、いうこときかないわ。
ふらつく身体を安定させようと、壁に手をつこうとするが、三回空振りする。
おかしい。
見えているのに、位置が分からない。
ふらふらっと移動した勢いのまま、イギリスを追いかけて階段をかけおりる。勢いだけでかけおりて、最後の一段を、きれいに踏み外して、そのまま勢いよくすっ転ぶ。すごい勢いだった。
うぅ、目がまわる。
転がると同時に、勢いよく揺れた頭が、上を向いているのか、下を向いているのか、よくわからない感覚になった。
なんとか、地に手をついて、手間取りつつ身体を起こしていると、腕をつかまれる。
腕をつかむ大きな手にたすけられて、おきあがると、イギリスと目が合った。イギリスが、怪訝な、心配そうにも見える顔で言った。
「何してる」
……。
何してたんだっけ。
だめだ。
時間がたって、すろー酒が、もういをふるいはじめているのかもしれないわ。わたし、何でおいかけてきたんだっけ?
フランスはそのまま言った。
「何でしたっけ?」
イギリスが、困った顔をした。
「さっきより、ひどいな……」
ひどい?
何が?
あー。
あれ?
これ、誰だっけ?
「あなた、だれ?」
フランスの言葉に、誰か分からない人が「うわぁ」みたいな顔をした。
まあ、いいわ。
帰ろう。
どこに?
「ここって、どこ?」
誰かわからない人が言った。
「とりあえず、アミアンのところに行こう」
アミアン?
それは、まずいわ。
「いやよ」
誰か分からない人が困った顔をする。
「なぜ、いやなんだ」
「怒られるからよ。あなた、怒られるの好きなの?」
だれか分からない人が首をふる。
「そうよね。怒られたくないわ。たぶん、よくわからないけど、今、アミアンのところに行ったら怒られるわ」
腕をひっぱられる。
絶対、アミアンのところに行くつもりだわ!
「アミアンのところに、連れってったら、あなたのせいでこうなったって言いつけてやるからね!」
誰かは止まった。
振り向いて、睨んでくる。
「睨んだって怖くないわよ。あなたって美男ね」
誰かが、完全に疲れた顔をしたので、フランスは笑った。
「楽しいわ」
「そうか、良かったな」
「うん。お水飲みたい」
「それは、いいな」
「アミアンのところ以外でよ」
「わかった」
誰かは、しっかりとフランスの腕をつかんで、教会の裏に向かって歩く。
立派に大きい天幕の前にたどりつくと、彼は言った。
「ここで、待っていろ。絶対に、動くな」
フランスは頷いた。
誰かはひとりで天幕に入ってゆく。
もちろん待たないわ。
フランスは、そのままついて天幕に入っていった。
誰かが、こちらを見とがめて、ため息をついて言う。
「入ってくるな」
「もう、入っちゃったもん」
誰かはまたため息をつく。
フランスはついたての向こうにふらふらーっと入り込んだ。
ふかふかそうなベッドを発見したわ。
すばらしい発見ね。
ぜったい、最高の寝心地よ。
襟首をつかまれる。
「そっちに行くな」
「ふかふかのベッドでちょっと寝てみたいわ」
「だめだ」
フランスはふりむいて言った。
「あなたって、ケチなの?」
誰かが嫌そうな顔をする。
「ちょっと、寝心地をたしかめるだけよ。だめ?」
誰かがつかんでいた服をはなしたので、フランスはいそいそとベッドにもぐりこんだ。
汚しちゃいけないので、足だけ外に出しておく。
ふかふか。
そのまま目をつむる。
「おい、寝るな」
「寝てないわ。目をつむっているだけよ」
誰かが、笑いを含んだ声で言った。
「嘘をつけ。そのまま寝る気だろう」
フランスも笑った。
「ちょっと眠たくなってきちゃった」
「とりあえず、水を飲め。そうしたら、あとで部屋に連れて行ってやるから」
「うん」
フランスは起き上がり、グラスを受け取って水を飲む。
「でも、こっちのベッドがいいわ。部屋のベッドかたいし」
「だめだ。アミアンに怒られる」
フランスは急にこわくなった。
「そうなの?」
「そうだ。怒られたくないだろう?」
そっか。
残念ね。
「そうね。じゃあ、部屋に戻るしかないわね」
フランスはふかふかのベッドと離れるのが寂しい気持ちでそう言った。
誰かが、やや疲れた声で言う。
「明日になったら、何もかも忘れているんだろうな」
「覚えてるわよ」
誰かがちょっと驚いた顔で言う。
「そうなのか?」
「うん。でもいつも忘れたふりするのよ。気まずいから」
フランスはそう言って笑った。
誰かも困ったように控えめに笑う。
「それは、言わない方が良かったんじゃないか?」
「そうね。聞かなかったことにしてくれるでしょ?」
フランスがにっこりしてそう言うと、誰かが優しそうな顔で答えた。
「聞かなかったことにしておく」
「約束ね」
「ああ」
「わたし、あなたのこと好きだわ。いい人ね」
「そうか」
「ねえ、きいて」
「なんだ」
「今日ひさしぶりに思い出したんだけど、わたし、むかしお城に住むお姫さまだったらしいの」
「……」
「でも、それって嘘かもしれない。どう考えたって似合わないもの。悪女のほうが似合ってるわ」
「そんなことない」
「そう?」
「ああ」
「あなたって、やさしいのね」
フランスはにっこりやって、持っていたグラスを誰かに返してから、ころりと寝転がり、手ざわりの良いかけ布をしっかりかぶって——、寝た。
足だけ、出して。




