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第55話 これが女の友情ってやつ

 フランスは小さなグラスを持ち上げて言った。


「新人に」


 ブールジュも同じようにグラスを持ち上げて言う。


「バカ小娘に」


 ブールジュの相変わらずの様子に笑ってしまう。


 ほんと、口が悪いんだから。


 もう夕食時もとうに終わった人けのない教会の食堂で、ちいさな燭台のあかりを頼りに、ふたりで乾杯する。


「あなた、また口が悪くなったんじゃない」


「あら、これでも十分にお上品なほうよ」


 出身がとんでもなくお嬢様なのに、ブールジュは反抗するように年々はすっぱな言葉遣いが上手くなっている。まるで下町の女のように。


 ブールジュが持ってきた劇薬ほどに甘いというスロー酒は、口の中がぎゅっとなるほど、本当に甘い。


 フランスは、ちびりちびりと、スロー酒を飲みながら言った。


「あの新人の子が来るから、来てくれたんでしょ?」


 ブールジュが干しぶどうをつまみながら言う。


「別に。ただたんに、あんたの顔を見たくなっただけよ」


 うそつき。


 フランスもひとつ干しブドウをつまんで訊いた。


「新人が来ることどうやって知ったのよ」


 ブールジュは、考えるようにスロー酒を飲んでいたが、しばらくして口をひらいた。


「今回のこと、あの小娘の思い付きじゃないわよ」


「そうなの?」


「そうよ、タプタプが一枚かんでるわ。あいつ、自分の遠縁の聖女を皇帝に近づけようと思っているみたい」


 なるほどね。


 ガルタンプ大司教の動きまで把握しているとなると……。


「あなたのお父様の情報網ね?」


「まあね。お父様がわざと私に情報をもらしたのよ」


 つまり、こういうことね。


「東側のガルタンプ大司教が、皇帝と懇意になるのは許せないってことね」


「そういうこと。西側の大領主様は都合よく娘を使ったってわけ」


 フランスは、ブールジュの大きな瞳を見つめて言った。


「ふうん。わたしとしては、ありがたいわ」


「わたしとしても、面白いし、ありがたいわ。今回はね」


 フランスは、新人聖女の、まだしたたかさも足りてはいなさそうな、かわいい顔を思い出して言った。


「あの子も、かわいそうにね」


「なによ、新人小娘のこと?」


「ええ、あの子だって、望んで聖女になったわけじゃないだろうし」


「まあ、そうでしょうね。家門の名誉だもの。聖なる力が顕現してしまえば、逃げられないわ」


 フランスは、ブールジュのとげのある物言いに、眉をひそめた。


「ちょっと、気をつけなさいよ、言い方」


「ここには、だれもいないんだから、いいじゃない。聖女なんてくそったれよ」


「ブールジュ!」


「ここじゃ、誰も聞いてないわよ」


「どこに耳があるとも知れないわ」


 ブールジュが大きい声で言った。


「なら聞かせてやるわよ。聖女なんてくそったれよ。いつだって捨ててやるんだからね」


「ちょっと、あなた、まさか……」


 ブールジュが、肩の力をぬいた様子で答える。


「男なんてつくってないわよ。あの新人聖女の前任みたいに」


「やっぱり、そうなの?」


「さあね。噂では男とかけおちしたって話だけど……、どうだか。都合が悪くなって、消されたかもね」


 前任の聖女は、フランスよりすこし年かさの聖女だった。

 あまり、関わった記憶はないけれど、人のよさそうな笑顔が印象的な人だった。


 ブールジュが、机にひじをついて、手で顎を支えるようにした。燭台のあかりを見つめる彼女の瞳が、揺れて見える。ブールジュが、干しブドウを手でもてあそびながら言う。


「駆け落ちして消えていったらしい聖女は過去に何人かいるのに、そのあとの行方が全員知れないのは、おかしいでしょ」


「うまいこと、雲隠れしていてほしいわ」


「甘ちゃんね。そんなわけないでしょ。シャルトルが消してるんじゃないの」


 フランスは、すかさず言い返す。


「聖下は、そんなこと」


「ああ、はいはい、あんたは聖下がお気に入りだものね」


 フランスも、燭台の不安定に揺れる灯りをじっと見つめて言った。


「処女性を失うと、癒しの力が失われるっていうのは、結局のところほんとうだと思う?」


「どうだかね。ほとんど例がない上に、実際に処女性を失ったと噂されている聖女がひとりも残っていないんじゃ、確かめようがないわよ」


「なんだか、こわいはなしね」


 ブールジュが、これ見よがしの、大きなため息をついて、言う。


「こわいのは、あんたよ。どうなのよ。帝国の皇帝陛下と良い仲だって、もっぱらのうわさよ」


「そんなわけないでしょ」


「あんたは、シャルトルが一番だもんね」


「そうよ」


 ブールジュが、じっとフランスの目を見つめて言った。


「シャルトルは——、一番、やばいわよ。絶対。世界で一番、怖い男だと思う」


「そうかな」


 ブールジュが、やれやれといった風に手をふる。


「そうでしょ。あんなに綺麗なのに、色っぽい話がひとつもないのも奇妙よ」


 それは、たしかに。

 シャルトル教皇には、ひとつの陰りのある噂もない。


「聖下は、特別なのかも」


「そんなわけないでしょ。相手をした女全員殺してるんじゃない?」


「まさか。とんでもないこと言わないで。聖下はそんなお方じゃないわ」


「どうだか」


 フランスには、あの美しく年若い教皇が、そんな風に言われるような、おそろしく残酷な人間には見えなかった。


 フランスは首をふって言った。


「あなた、むかしから美男に偏見があると思うわ」


 しばらく、ブールジュと他愛のない話をしながら、スロー酒をおかわりしていると、入口の扉の方から、何か物音が聞こえた気がした。


 目をこらしてそちらを見るが、とくに何かいる様子はない。


 気のせいかしら。


 あたりはすっかり暗い。


 けっこう、時間たっちゃったわね。

 なんだか、ふわふわしてきたし……。


 フランスは、ブールジュに向き直って言った。


「ブールジュ、そろそろ遅いわ。おひらきに——」


「あんたも、奴隷なんかになってなきゃ、こんなに苦労してなかったろうにね」


「急になに? どっちにしろ、変わらないんじゃない?」


 どこにいても、歓びも苦しみも、それなりだ。


 ブールジュが、面白くなさそうな声で言う。


「出身は、もとは教国でもない、公国のひとつだったじゃない。それなら、聖女になんかなってなかったかもしれない」


「それは、そうかもね。でも、考えても仕方のないことよ」


「……あんたの故郷、今は帝国領でしょ」


「……そうね」


 ブールジュが、眼元をきつくして言った。


「ねえ、あの皇帝が憎くないわけ? あんたの両親を殺して領地を奪ったのも帝国軍で、あんたを奴隷として教国に売っぱらったのも帝国軍でしょ! 戦争さえなけりゃ……、あんたは公国のお姫様よ」


 また……、えらく古い話を掘り返したわね。


 フランスは、笑顔で言った。


「憎くないわ」


 ブールジュが怒った顔をする。


「うっそ、あんたって、根っからの聖女サマなんだ」


「彼が、わたしの両親を殺したわけじゃないもの」


 ブールジュの口調がきつくなる。


「同じことよ! 帝国の皇帝なら、言うだけよ。あの領地を奪えってね」


「まあ、そうね。でも、殺せと命じたかどうかは分からないでしょ」


 フランスの笑顔に、ブールジュが、目を見開く。


「……ほんとに、憎んじゃいないのね」


「うん」


「お人よし!」


「なんで、あなたが怒るのよ」


「あんたが、怒らないからよ!」


「ブールジュ……、あなたって、ほんと」


「なによ!」


「大好きよ、わたしの友だち」


「……」


 ブールジュがすねたみたいな顔をする。


 恥ずかしくなると、すぐ、だまるんだから。



 かわいいわね。



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