第52話 ヨハネの首の、アミアン
フランスは、ブールジュに突き飛ばされてそのまま、地面に転んだ。
まわりから、喧嘩だ、喧嘩だ、と声があがる。
まわりの人だかりの最前列には、市場でものを売る女たちが集まっていた。良く知った顔を見つけて、フランスが見上げると、大きなお母さんが、たくましく太い手を腕まくりして、胸の前で組んでいた。なぜか手には大きな肉叩きがある。
大きなお母さんから、たくましい声が飛ぶ。
「フランスちゃん、しっかりしな! 強いとこ見せてやるんだよ!」
他の女たちも、口々に「やっちまいな!」とか「ぶったたいてやんな!」とか叫んでいる。
男たちは遠巻きに、すこし恐れるように、半分面白がってながめているようだった。
フランスは起き上がって言った。
「ブールジュ。やったわね」
「あら~、良い機会でしょ。新人ちゃんに教えてあげなきゃ。聖女になったら、聖女どうしの争いごとは、こうやって仲良く解決しないといけないってね」
たしかに、これは良い機会だわ。
イギリス陛下や、帝国騎士団目当てに集まったご令嬢がたも、ちらほらと見ものしているみたいだし。ここで聖女フランスがとんでもなく凶暴だと見せつけておけば、しばらく誰もちょっかいを出してこないでしょ。
新人聖女の顔はすっかり青ざめている。
ブールジュがそちらに向かって、にやにやした顔を向けた。
「あら、知らないの? 聖女を傷つければ、教国では重罪でしょ? でも、知っている? 聖女は、そのくくりには入らないのよ」
そう、これは、教国の法の抜け穴のようなものだ。教国において、聖女の任につかない、いかなる者も、聖女を傷つけてはならない、とあるのだ。
つまり、聖女の任についているものは、そのくくりに入らない。
フランスもにっこりとして、新人聖女に向かって言った。
「あなたも聖女なら、聖女らしく、力ずくでわたしから教会でも奪ってみたら? お嬢ちゃん」
ブールジュがフランスの言葉に喜んだ様子で手を叩く。
「いいわね。お嬢ちゃん! どのくらいできるもんだか、見ものだわ」
フランスは、笑っているブールジュに向かって言う。
「でも、まずわ、あなたからよブールジュ。よくも突き飛ばしてくれたわね」
フランスは、思いっきりブールジュに頭突きした。
すごい音がした。
ブールジュが崩れ落ちるのと同時に、フランスも崩れ落ちる。
痛いいいいい。
ちょっと、加減を誤ったわ。頭割れるかと思った。
フランスはうずくまりながら、片手でブールジュに待ったの合図を送りながら言った。
「ちょっと……。今のほんとに、まずい痛さだったわ。ちょっと、待ってよ」
ブールジュが同じようにうずくまりながら、大声で叫んできた。
「あんたバカじゃないの! この石頭! おでこはじけとぶかと思ったでしょ、クソ聖女!」
フランスはうずくまりながら、ちょっと笑った。
口が悪すぎる。
フランスとブールジュは、ほとんど同時に立ちあがった。
どちらからともなく、つかみかかる。
まわりから。やんやと声があがる。
ブールジュが、フランスの服をしっかりとつかんだまま、新人聖女に向かって言った。
「お嬢ちゃん、見てなさいよ! これが先輩のお手本よ!」
ブールジュが、フランスをぶん投げてやろうかの勢いで引っぱる。無理に引っぱられて、肩の部分がやぶれた。
フランスは、それを見て叫んだ。
「ちょっと、服はやめなさいよ!」
「じゃあ、どこつかめっていうのよ!」
フランスも、同じようにブールジュの服をつかんで、ひっぱる。
生地が良すぎて破れない。
むかつくーっ!
これだから、良いところのお嬢さんは!
その時、人垣のむこうから、身体の大きな修道服を着た男がふたり、おずおずと進み出て来た。メゾンとカーヴだ。
「け、喧嘩は、だめですよお?」
メゾンが身体に似合わない、気弱そうな声で言う。
カーヴは、おそれるように様子を見るだけだ。
双子なのでほとんど見分けがつかない。一応、騎士修道会所属の騎士だ。
大きなお母さんが叫んだ。
「これは女の闘いだよ! 男はだまって見てな!」
フランスも叫ぶ。
「そうよ! 怪我したくなかったら、男は、すっこんでなさい!」
メゾンは「こわいい、ごめんなさいい」と言って、カーヴと一緒に、輪の外側まで下がった。
ブールジュが、フランスの服をつかんだまま、移動した。おもいきり噴水に押し倒される。フランスは、ブールジュの服をしっかりつかんで、巻き込んだ。
ふたりとも、せきこみながら噴水のなかで立ち上がる。
向き合うと同時に、ブールジュがフランスの頬を打った。
朝打たれたのと反対側だった。
「顔も……やめなさいよ!」
フランスはさけびながら、ブールジュの髪をつかんだ。
「髪こそ、やめなさいよ! はげたらどうしてくれんの!」
ブールジュがフランスを突き飛ばすが、フランスはブールジュの髪をつかんだまま、しっかりと離さなかった。髪がひっぱられて痛かったのかブールジュが叫ぶ。
ブールジュが、たまらないとばかりに、自分の侍女に向かって言った。
「ちょっと、手伝いなさい!」
「侍女を呼ぶなんて、卑怯よ!」
「卑怯も、くそもないわよ!」
フランスは、思いっきり叫んだ。
「アミアン! 手伝って!」
二階の廊下からアミアンの声が聞こえた。
「はい、お嬢様!」
みんなの視線が、アミアンのほうに向く。
アミアンは廊下の手すりに足をかけたと思ったら、そのまま飛び降りた。
歓声が上がる。
人だかりがアミアンのために道をあけた。
新人聖女の侍女が、おそれる声で叫んだ。
「アミアン⁉ まさか、ヨハネの首のアミアン⁉」
ブールジュが、それを聞いて楽しそうな顔をして言った。
「あら~、なつかしい名前。アミアンったら、まだ有名なんだ?」
ブールジュの侍女も、それを聞いて、おそれるように、近寄るのをためらっていた。
新人聖女は、知らないのか、青ざめた顔に怪訝な表情をのせていた。
アミアンがフランスのそばに来ると、あたりから女たちの声援がひびいた。
「アミアン、いけー!」
「ヨハネの首にしてやれー!」
新人聖女が強がるように言った。
「なによ、ただの侍女じゃない」
新人聖女のとなりで、侍女が完全に青ざめて言う。
「お嬢様、あれはただの侍女ではございません! 修道院で幾人もの首をとったと言われています!」
ちょっと、とんでもない噂になっているわね。
アミアンは修道院での聖女教育時代に、フランスにちょっかいを出した修道女を、首だけ出して身体を地中に埋めるという、とんでもない報復をしたことがある。
しかも一度や二度ではない。
それをはたで見ていたブールジュが面白がって、首のまわりに真ん中をくりぬいた盆を置くものだから、まるで地面の上に盆にのせられた生首があるように見えた。
それ以来、アミアンの通り名が『ヨハネの首のアミアン』になった。
アミアンは腕まくりしながら、笑顔で言った。
「お嬢様に手を出す子は、ヨハネの首にしちゃいますよ」
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おまけ 他意はない豆知識
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【メゾンとカーヴ】
シャンパーニュの丘陵、メゾンとカーヴは、フランスの世界遺産。
メゾンは醸造所、カーヴは貯蔵庫のことです。修道士ドン・ペリニヨンが、発泡性のワインを生み出したという伝説的起源をもつ、シャンパン発祥の地です。
【ヨハネの首のアミアン?】
アミアン大聖堂は、フランスの世界遺産。
アミアン大聖堂にある、聖遺物は『洗礼者ヨハネの頭部』です。
洗礼者ヨハネはイエス・キリストに洗礼を授けた人で、最後はひとりの少女の願いによって斬首されました。西洋絵画では、皿とかお盆の上に載せられた生首として描かれたりもします。




