第49話 魔王、陰湿ないじめを体験する
アミアンは、聖女フランスの姿をしたイギリスの腕をぎゅっとつかんで、ひきよせた。
ここは、教会の者以外は、立ち入り禁止なのに……。
アミアンの目の前には、領主の娘がいる。昨日、町に捨ててきた侍女も一緒だ。
アミアンは、衝突をさけようと、イギリスの腕を引いて、別の方向へ向かおうとした。だが、その先にも、何人かの女があらわれる。
ああ、まずい。
領主の娘の、いつもの取り巻きの令嬢たちだった。それぞれの侍女もいる。
お嬢様がそばにいれば、なんとかなったかもしれないが、この状況はまずい気がする。陛下だけでも、走って逃げられるだろうか。
ううん……、無理っぽい。
行く先をすべて、領主の娘と、その取り巻きの令嬢たちがふさいでいる。
アミアンとイギリスは食堂で昼食を終えて、執務室へと戻るところだった。フランスは仕事が立て込んでいるからと、食堂には行かなかった。
お嬢様のいる執務室は、まだ先だ。
ここからじゃあ、叫んでも聞こえないし……。
すると、侍女ではなく貴族の令嬢が、アミアンの腕を両側からつかんだ。これでは、ふりほどけない。無礼を働けば、アミアン自身だけではなく、お嬢様の立場があやうくなる可能性もある。
アミアンは、ぐっと耐えた。
別の令嬢たちが、アミアンにするのと同じように、イギリスの両腕をつかんで、引きずってゆく。
教会内の、人気のない回廊のすみに、つれていかれる。
ちょうど、大きな柱のせいで、まわりからは見えにくい。
叫べば、声はひびくかもしれないが、ちょうど昼食の時間で、まわりに誰かがいる気配はない。あたりは、しんとしている。
アミアンは腕をつかまれたままだったが、イギリスは令嬢二人に乱暴に壁に向かってつきとばされていた。
ああ、陛下。
どうしよう!
イギリスが壁に手をついて振り返り、アミアンに視線を向ける。
どうすべきか、様子をうかがうような表情があった。
アミアンは小さく首を横に振った。
立場的に、失礼を働いてはいけない相手だと伝えたかった。
こんな仕草で伝わるかな。
イギリスは、小さく頷いて見せた。
伝わったのかな。
でも、どうしよう。
どうすれば陛下を、助けられるだろう。
こんなとき、お嬢様なら、きっといい方法を思いつくのに。
アミアンは、令嬢たちの腕をふりほどくこともできず、ただ不安な視線を返すしかできない。
領主の娘がイギリスに向かって言った。
「昨日は、よくも馬鹿にしてくれたわね」
イギリスが怪訝な顔をする。
「あら、今日は言い返さないのね。あなたって毎回、不愉快だから、いつもそうやって黙っていなさいよ。奴隷らしくね」
まわりの女たちが笑う。
「あなたみたいな、うっとうしい女がいたら、皇帝陛下もうんざりしちゃうでしょ。だからこれは慈善活動みたいなものよ。貴族のたしなみよね」
またまわりの女たちがくすくすと笑った。
「昨日言っていたでしょ。侍女同士の遊びだって。これも、わたしたちの遊びよ。べつに聖女を傷つけるわけじゃない。ただ……、お遊びがすぎて、あざはいくらかできるかもしれないわね」
取り巻きの令嬢が二人がかりでイギリスをおさえつける。聖女フランスの姿をしたイギリスよりも、二人の令嬢のほうが背が高い。
背の高い女たちに無理に押さえつけられて、イギリスは地に膝をついた。
どうしよう、どうしよう!
自分が処罰されるだけですむのなら、今すぐつかまれている腕を振りほどいて助けにゆくのに。
領主の娘が、地に膝をつくイギリスの背をおもいっきり蹴った。
イギリスは、顔をしかめて耐えていた。
領主の娘が言う。
「いつも、散々不愉快なお喋りをしているくせに、声のひとつも出せないの? 痛がるなり、許しを乞うなりしてみたらどう?」
アミアンは、勢いよく膝をついて、領主の娘に懇願した。両側からきつくつかまれている腕が痛んだ。
「おやめになってください! どうか! どうか、わたしに罰を与えてください。昨日、無礼を働いたのは、わたしです。どうぞ、蹴るなら、わたしのことを蹴ってください。お願いします!」
領主の娘は、馬鹿にするような笑いをひとつ、アミアンに放って、あとは無視した。何度も、イギリスの背を蹴る。他の令嬢や侍女たちにまで、聖女の背を蹴るよう命じた。
「お願いします! 蹴るなら、わたしのことを、蹴ってください! どうか!」
アミアンが必死に言うほど、まわりの令嬢たちが、くすくすと笑う。
ああ、陛下!
お守りしたいのに!
その時、大きな声があたりに響いた。
「なにをしておる!」
令嬢たちが驚いて、声のしたほうを振り向く。
アミアンも見た。
ミディおばあちゃん!
ミディおばあちゃんは、いつものニコニコした顔に、こわい表情をつくって叫ぶように言った。
「大勢でよってたかって、ひとりをおとしめるとは! 恥を知らんか!」
領主の娘が、肩を怒らせて、叫び返した。
「薄汚い老婆が、誰に向かって口をきいているの!」
「薄汚いのは、おまえたちみたいな娘のことだ。さっさと教会から出て行け!」
「なんですって!」
領主の娘が、ミディおばあちゃんに近づき、手をふりあげる。
そのとき、聖女フランスの大きな声がひびいた。
「やめなさい!」
アミアンは、ふり向いて、その瞳を見つめて、確信した。
お嬢様だ!
フランスが、迫力のある顔で言う。
「その方に、手をだせば、あなたのお父様が中央からお叱りを受けることになるわよ」
フランスの迫力のある様子に、すこしたじろいだ様子の領主の娘が、強がるように言った。
「はっ、なんなのそれ。いまさら、おしゃべりしはじめて。負け惜しみ? 薄汚い老婆がなんだというの」
「その方は、教国の発展に私財をなげうって尽くされたリケ様の伴侶よ。あなたも、高貴な生まれで、たしかな教育を受けているのなら、リケ様の名は知っているでしょう? 一等勲章を持つお方よ。たとえ貴族であっても、この教国で彼女に無礼をはたらくことはゆるされないわ」
領主の娘が、憤るように息をした。
その憤りをぶつけるような足取りで、フランスのもとへ行くと、勢いよく頬を打つ。
「お嬢様!」
アミアンが叫ぶと、フランスが制するように手をあげた。
いつもの仕草だ。
いつだって、こうして守ってくださる。
お嬢様……。
フランスが、まるで何の痛みも、不愉快さも感じていないという微笑みを浮かべて言った。
「今日のお遊びは、このくらいになさってはいかがでしょう」
まるで落ち着き払ったフランスの物言いと、微笑みとは裏腹の冷たい視線に、領主の娘と、その取り巻きたちはひるんだようだった。
領主の娘が言う。
「これにこりたら、調子に乗って、皇帝陛下のまわりをうろつかないことね」
領主の娘はそう言って、去っていった。
アミアンは、フランスのもとに走り寄った。
フランスが、立ち上がり、心配そうな顔で言う。
「アミアン、あなた、まさか打たれたりしたの?」
アミアンが首をふると、フランスはほっとした様子だった。
「陛下にも悪いことしちゃったわね。まさかこんな乱暴なことするなんて」
お嬢様は、いつもそうだ。
ご自分のことは一番最後におかれて、人のことを心配する。
もっと、お役に立てればいいのに。
フランスが笑顔で言う。
「アミアン、ミディおばあちゃんを送っていってあげてちょうだい。あの子たちとはちあわせたりしないように」
「お嬢様をおいていけません」
「大丈夫よ。入れかわった途端に、ぼこぼこにされていてびっくりしたけどね」
「聖女」
そこに走ってきたのは、イギリスだった。
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おまけ 他意はない豆知識
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【リケ様?】
ミディ運河は、フランスの世界遺産。
運河の建設プランを発案したのがピエール=ポール・リケです。
国家プロジェクトとして建設されたミディ運河ですが、国家予算だけでは足りず、なんとリケは家財を売り払ってまで私財をつぎ込み、ミディ運河を完成させようとしました。
しかし、彼は運河の完成を見ることなくこの世を去り、彼の逝去からわずか7ヶ月後にミディ運河が完成しました。




