第48話 聖女、やられたら、やりかえす!
フランスは、心の内で顔をしかめた。
手紙をさばく仕事がひと段落ついて、散歩ついでに広場の様子でも見ようと、出て来たのに、とんでもないものに出会ってしまった。
帝国騎士団の訓練目当てかしら。
この教会に来ることなんて、今まで一度もなかったのに。
フランスは礼儀正しく挨拶をした。
表面上は、しっかりとにっこりしておく。
「お久しぶりでございます。お元気にしていらっしゃいましたか?」
相手は、あからさまにつんとした態度で言った。
「見れば分かるでしょ。いつも、どうでもいいことばっかり言うのね、あなた」
ただの挨拶でしょうが。
相変わらず腹の立つ子ね。
しかし、彼女は領主の娘だ。
こちらから、失礼な態度を取るわけにはいかない。
今日はいったい、どんなケチをつけるつもりなの、領主さまの五番目の娘ちゃん。
どうせなら、わくわくするようなやつにしてよね。
フランスは、いっそ楽しくなってきて、心からの笑顔で言った。
「本日は、礼拝に来られたのですか?」
「来るわけないでしょ。こんな貧乏くさい教会に」
まあ、貧乏くさいは、合っているけど。
表情を見るに、何か文句を言いたそうだけれど、今回は何かしら。毎回、敵意むき出しなのよね。
たいした用事じゃないなら、はやく、嫌味でも連発して、満足して帰ってくれないかしら。
領主の娘が、完全に馬鹿にするような表情を浮かべて言った。
「聞いたわよ。相変わらず、聖女のくせに男に媚びを売っているらしいわね」
ははあ、イギリス陛下目当てね。
なるほど。
そういうの、そのうち寄って来るとは思っていたけれど、早かったわね。
フランスは、にこにことしたまま言った。
「まさか、わたくしごときが、皇帝陛下に相手にされようはずもございません」
「相手にされなくても、つきまとっているんでしょ。気持ち悪いったら。気品のひとつも身につけていない奴隷などが、聖女になったからと、大きな顔をしないことね」
大きな顔ができたら、こんな小さな教会においやられていないわよ。
フランスは、心の内でやれやれとため息をついた。
今日の夜ごはん、なにかしら。
とくに、わくわくするような斬新な喧嘩をふっかけてくる様子でもないので、フランスは興味を失って、べつのことを考えて気をまぎらわせた。
領主の娘が言う。
「お父様から、陛下に招待状をいくつもお送りしているのに、お返事がないのよ。どうせ、あなたが、邪魔しているんでしょう」
そんなこと、できるはずないでしょ。
それは、たんに、面倒がられているだけよ。
「わたくしのようなものが、陛下のお考えに影響するなど、考えられないことです」
「それは、そうよ」
そうそう、だから、そろそろ帰ってちょうだい。
領主の娘が、いきなり近づいてきて、思いっきりフランスのことを突き飛ばした。うしろにあった柱の角に、つよく背を打ちつけてしまう。
倒れはしなかったが、背中がひどく痛んだ。
やあね、あざになっちゃうかしら。
「お嬢様!」
アミアンがかけよろうとするのを、手で制する。
貴族のお嬢様相手に、身分の低いアミアンが近寄れば、何をされるか分かったものではない。
領主の娘は、まるで汚いものでも見るような目つきで、フランスを睨んで言う。
「調子に乗らないことね。あなたみたいな、下賤のものが、皇帝陛下のまわりでご機嫌取りしているだけで、虫唾がはしるわ」
ふうん。
フランスは、うしろにひかえている領主の娘の侍女を見た。にやにやとしながら、こちらを見ている。
知っているわよ。
その子も、奴隷出身でしょ。
たしか、お気に入りだったわね。
フランスは、なんてことない声で言った。
「アミアン、あの侍女をサン・ドニ通りに捨ててきてちょうだい」
「はい、お嬢様!」
アミアンは、あっという間に、領主の娘の侍女に走り寄り、ひょいと担ぎ上げ、すごい勢いで走り去った。
さすが、アミアン。
運動神経抜群ね。
背が高いから、そこらの女なんて軽々とかつぎあげてしまう。
領主の娘が怒りもあらわに叫ぶ。
「ちょっと! なにするのよ!」
フランスは微笑んで答える。
「なにもしていませんわ。侍女同士の遊びでしょう」
「なんですって!」
手を振り上げた、領主の娘に向かって、微笑んで言う。
「それ以上は、聖女への冒涜行為とみなしますよ。ひいては教会への反発と受け取ります。もし、ここで引いていただけないようでしたら、教会からの正式な抗議文を、領主様あてにしたためさせていただきます」
領主の娘が、ふりかぶった腕をさげて、悔しそうな顔をする。
聖女を傷つけることは、この教国においては非常に重い罪となる。
フランスはにっこりしてつづけた。
「サン・ドニ通りにはたちの悪いお店もありますから、迎えに行かれるのであれば、急いだほうがよろしいですよ」
サン・ドニ通りはこのあたりでは、有名な娼婦通りだ。
領主の娘の顔色が青くなる。
「おぼえてなさい」
そう言って、去っていった。
フランスは、我慢していた痛みに、顔をしかめた。
「背中、青くなってそう。馬鹿力なんだから、まったく」
アミアンは、適当なところであの侍女を捨てて帰ってくるだろう。
フランスはため息をついた。
「なんだか、いやな予感がするわ。いやねえ、もう」
美男がいると、すぐこれよ。
スタニスラスのときも、こんなことあったわね。
美男は、遠目に見る、くらいの距離感にいるのが一番よ。
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おまけ 他意はない豆知識
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【サン・ドニ通り】
パリ最大の娼婦街。1世紀頃にローマ帝国によって造られたという、歴史のある通りです。画家モネもこの通りで起きた歴史的な日を描いたりしています。




