第40話 聖下の、大切な人になります♡
フランスは、なにも、見逃すことのないようにと、しっかりと目をひらいて、目の前の光景をじっと見ていた。
シャルトル聖下は、手も、指先までもお美しいわ。
男にしては、線が細いが、手は大きくて魅力的な形をしている。
フランスは、その手元をじっと見つめた。
彼の手が、優雅な所作で、美しい細工物のカップにお茶をそそぐ。
なんだか、聖下がそそぐと、お茶まで美しくなりそうね。
「どうぞ」
お茶をフランスの目の前に置いて、シャルトル教皇が微笑む。
ああ、聖下、今日も、とんでもなく、お美しいです。
フランスはうっとりした気持ちで、シャルトルブルーの彼の瞳を見つめた。
シャルトル教皇は、もし目の前に天使があらわれたら、このようだろう、と思えるほど美しい顔で微笑んで言った。
「イギリス陛下の滞在で、ずいぶんと環境が変わったでしょうが、体調などくずしてはいませんか?」
「はい、聖下。このとおり、元気に過ごしております」
聖下は、なんて、おやさしいのかしら。
まっさきに、気づかって下さるなんて。
立場的には、イギリス陛下について、最もお知りになりたいはずなのに。
シャルトル教皇が気遣うような優しい声で言う。
「大公国での様子を考えると、つい、あなたのことを心配してしまいます。つらい思いなど、してはいないでしょうね?」
「はい、大公国でのような……騒ぎは、今のところ起こってはおりません」
「そうですか。イギリス陛下の来訪も、ずいぶん急だったとか」
「ええ、急のことで、大したお迎えもできませんでした」
シャルトル教皇は、優雅にひとくちお茶を飲み、にっこりとして言った。
「不思議ですね。他のものはみな、イギリス陛下の来訪について聞くと、同じ反応をするのですよ」
あ。
しまったわ。
シャルトル教皇の瞳が、まっすぐフランスに向けられている。
「イギリス陛下は、赤い竜の姿で教会の前に降り立ったとか。さぞかし、おそろしい思いをしたかと思いましたが、あなただけは、違うようだ」
シャルトルブルーの瞳が、フランスの内側まで透かし見るようだった。
フランスは、にっこりとして言った。
「とても、おそろしかったですわ」
「そうですか?」
「ええ」
しんとした時間が訪れる。
まずい。
けれど、言い訳じみたことを言うのは、さらにまずいわ。
フランスは、ことさらに、にっこりと微笑んで言った。
「おそろしいですが、とても、美しいと思いました」
シャルトル教皇が、おやという顔をした後、微笑んで言った。
「あなたは、肝が座っていますね」
あぶない、あぶない。
普通なら、第一番の印象なのに、すっかり竜の姿に慣れていたから失念していたわ。気をつけないと。
「教会では、イギリス陛下はどのように過ごされているのですか?」
「まだ到着されてから、お忙しいのか、最初にご挨拶のお時間をいただいて以来、お会いしておりません」
イギリスとは、こっそり会っているが、公式にはまだ会った時間はない。
「では、ずっと天幕に?」
「昼頃に、竜の姿をお見かけすることがあります」
シャルトル教皇は興味深そうな顔をした。
「ずいぶん自由に過ごされているようですね。あまり竜の姿でそこらじゅう飛ばれるのは、わたしとしては……ご遠慮いただきたいものですが」
フランスが首をかしげると、シャルトル教皇は笑顔でつづけた。
「百年ほど前までは、あの姿で前線に出ておられたそうです」
「まあ、そうだったのですね」
それは……、帝国以外の国にとっては脅威でしょうね。
「あの竜の姿を見ると、士気が下がって苦労させられたという記録が残っているのです。ただ、最近はその姿を戦場にあらわすことはなくなりましたから、それについて知るものも少なくなりました」
表に出なくなったから、忘れられる部分があったり、尾ひれがついてとんでもない噂になる部分があったりするのかしら。
「人の出入りが多くなって、なにか問題が起きたりはしていませんか?」
「午後は、頻繁に伝令や、使者のような方が、天幕を訪れているようですが、今のところ問題は起きておりません」
フランスは、シャルトル教皇の質問に答えながら、心の内でためいきをついた。
つらいわ。
綱渡りしている気分よ。
言ってはいけない内容が大きすぎるわ。
「あなたは、イギリス陛下について、どのように思っているのです?」
「えっ」
なんだか意外な質問に戸惑う。
どう思うか……。
ここは正直に。
たまに皮肉がすぎて、むかつくけれど。
「美男です」
シャルトル教皇が笑った。
「おそろしくは思ってはいないのですね。赤い竜の姿も、イギリス陛下のことも」
「いえ、おそろしく思うこともあります。よくは存じ上げませんので」
「イギリス陛下があなたに固執するわけは、あなたのことを女としてお望みだから、と思いますか?」
おっと、でたわ。
聖下は、口にはしづらそうなことも、さらりと聞くところが、こわいのよね。
フランスは笑顔をたもって、答えた。
「まさか。そのようなこと、考えようもございません」
なんだか、おそろしい心地がしてきたわね。
「フランス、あなたは身も心も主にささげた聖女、主の女です」
「はい、聖下」
「それはつまり、地上では教国にささげられたもの」
フランスはじっと、シャルトル教皇の青い瞳を見つめた。その顔には、相変わらず優し気な微笑みがある。
「教国のものはすべて」
すべて?
「わたしにとって、大切なものです」
やだ、つまり、わたしのことも?
聖下、すてき、だいすき。
シャルトル教皇の美しい瞳が、窓からさす淡い午後の光に輝いて見える。
「フランス、あなたは、わたしにとって大切な人だ」
はじけとんだ。
気持ちが。
フランスは心の内で手を叩きまくりながら「イヤーッ!」とか「キャーッ!」とか「アーメン! アーメン! アーメン!」とかしこたま叫んだ。
シャルトル教皇が、愛らしさここに極まれりといった角度で、ほんのすこし首をかしげ、笑顔で言う。
「どうか、わたしが、そのように思っていることを忘れないでくださいね」
フランスは、気づくと、ふらふらと大聖堂内を歩いていた。
衝撃がすごすぎて、あの後、何を話したかも、よく覚えていない。
わたしは、聖下の、大切な人……。
毎日、朝昼夜に思い出そう、この言葉を。
聖下、好きです。
聖下、好きです。
聖下、好きです。
大聖堂を出ると、広場に大きくて豪華な馬車が止まっていた。
あら、帝国で乗ったみたいに、とんでもなく豪華な馬車ね。
急に、うしろから声をかけられる。
「フランス」
ひさしぶりに聞く声だった。
フランスは驚いて振り向いた。
「ダラム卿⁉」




