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第33話 魔王、おこられる

 フランスは、持っている服の中でいちばん粗末なぼろを着て、これまたすりきれ気味のエプロンをして、腕をまくり、食堂の奥にある厨房に立っていた。


 もうずいぶん遅い時間だ。

 厨房から作業台ごしに見える食堂も真っ暗で、窓からはいる月明かりがうっすらと、人気のない食堂を照らしている。


 フランスは近くに置いた、燭台のあかりを頼りに、せっせと手を動かした。


 アミアンが、厨房のテーブルに腰掛けて、フランスの作業をながめながら言った。


「お嬢様、まだ焼き菓子おつくりになるんです?」


「ええ、砂糖たっぷりあるし。陛下の朝ごはんがわりよ。食糧庫がいっぱいになっても、朝食は出ないからね」


 アミアンが、その食糧庫からひとつかすめとってきたらしい、干しぶどうをつまみながら、うれしそうな声で言った。


「しばらく、豪華な食事ができそうですね」


「そうね。最高よ」


「食堂に食べに来たみんなが、お腹壊さないか心配です」


「食べ過ぎで?」


「いえ、普段いいもの食べてないからです」


 フランスは笑って言った。


「やめてよ、貧乏が身に染みるわ」


 フランスがせっせと作業をする横で、アミアンがたまに焼きかまどのふたをあけて、火の様子を確認する。かまどのふたを開けるたびに、あたりが一瞬あかるくなる。


 フランスは天板に、つくったものを並べて言った。


「よし、あとは焼くだけね。アミアンもう先に寝てていいわよ」


「え~、こんな暗い場所にお嬢様をひとりで残せません」


 フランスは、アミアンが火の調整をしてくれた焼きかまどに、慎重に天板を入れた。かまどの中のようすを確認してから言う。


「教会の中で、なんにもないわよ」


 そのとき、食堂のほうで扉がきしむ音がきこえた。

 フランスは、そちらに目をこらして言った。


「えっ、なに、誰か来た? こんな時間に?」


 ふたりで目をこらす。暗くてよく見えないが、誰かがいる気配はない。アミアンが厨房から食堂に出て、そのむこうにある扉を見ながら言った。


「誰もいませんね」


「やだ、こわくなるじゃない」


 そのとき、フランスの足元でにゃあと鳴くものがあった。


「びっくりした! ネコ⁉」


 アミアンが食堂側からのぞき込んで言う。


「見かけないネコですね」


「ほんとね、毛並みつやつやネコちゃんね。おなかすいているの? おいで」


 フランスが手をさしだすと、ネコの姿がたちまち、背の高い男の姿になった。


 思わず叫ぶ。


「きゃっ!」


「お嬢様!」


 はなれていたアミアンが走ってきて、フランスの前に立つ。

 アミアンがきょとんとした声で言った。


「え? 陛下?」


 フランスは、アミアンの肩越しに、男の姿を見た。


 そこに立っていたのは、イギリスだった。昼間に見た、皇帝らしい服装ではなく、非番の騎士、くらいの軽装だった。ただ外出でもするつもりなのか、しっかりとマントを羽織っている。


 アミアンは目の前にいるのがイギリスとわかると嬉しそうな声で言った。


「わ~! 陛下です! そちらのお姿では、おひさしぶりですね!」


「ああ、ひさしぶりだな、アミアン」


 すごい、アミアン、ほんとに陛下とすっかり打ち解けてるのね。

 こっちの姿でも、まったく遠慮する様子がないわ。


 さすが、アミアンよ。


 それにしても、姿を変えられるとは知っていたけれど、ネコみたいな小さな動物にも変えられるのね。


 アミアンは、やっとイギリスに会えて、うれしそうだった。


 結局、大司教と領主が去った後も、騎士や、早馬できた伝令があわただしく天幕に出入りしていたようで、今まで、イギリスの姿を見かけることはなかった。


「陛下、今日もすごく美男です!」


 アミアンがそういうと、イギリスがまんざらでもない顔をする。


 あら、そういう表情もできるのね。


 アミアンはまったく臆することなく、フランスと話すときと同じ雰囲気のまま話す。


「今日は、教会の中でも外でも、陛下の話でもちきりでしたよ」


「そうなのか?」


「まさか竜のお姿で来られるとは、だれも思ってもみませんでしたから」


 イギリスが、なんてことない顔で言う。


「帝国では、よく使う移動手段だ」


 まあ、やっぱり、そうなのね。

 騎士たちの動きが手慣れていると思ったわ。


 こっちじゃ、そんなの見慣れないから、やっぱり帝国の皇帝は『魔王だ』なんて、うわさが強まっているみたいだけど。まあ、いまさらかしら。


 イギリスが、フランスのほうをちらっと見て言った。


「馬車か馬で移動すれば、聖女が移動した先々で赤い竜の姿をさらして、楽しい旅になっただろうな」


 ん?

 いま、また、むかつく感じじゃなかった?


 アミアンが、ちょっと笑ってからイギリスにたずねた。


「それより、こんな時間にどうされたんです?」


「聖女をつれて外に出たい」


 外に?


 アミアンが急に声を低くして、言った。


「こんな時間に、どちらへ行かれるのですか?」


「明日の昼まで外にいる必要がある。赤い竜の力について、聖女に教え——」


「いけません!」


 アミアンが、おどろくほど強い口調で言った。


 びっくりした。

 アミアン、大丈夫なの、その感じ。


 フランスは急に不安になった。

 アミアンは、きびしい声で言う。


「こんな夜更けに、お嬢様を、男とふたりにはさせられません。たとえ、陛下であってもです。いや、若くて美男なので、よけいにだめです。ぜったいに、だめです」


「だが」


「だがじゃありません!」


 アミアン~、大丈夫なの~。


 こわくなるわよ。皇帝陛下の言葉をさえぎるなんて。


 フランスは、アミアンの珍しく身分の高い者への強い態度に、気が気ではなかった。いつもなら、身分の高い人間には、こんな風にはしない。たとえ、不満があっても、じっと耐えている。


 フランスは、止めようと、アミアンのとなりに行って、彼女の腕を両手でつかんだ。アミアンは、フランスのその仕草にかまうことなく、続けて言った。


「若くて可愛くてかよわいお嬢様を、夜中に男とふたりきりになんて、ぜったいにさせられません」


 アミアン……。


 好き!


 フランスは思わず、アミアンに抱きつきそうになった。


 ちらっとイギリスの表情を見ると、とくに怒ったりはしていなさそうだ。


 まあ、意外ね。

 無礼な態度だと、怒るかと思ったのに。


 イギリスが表情を変えずに、落ち着いた声で言った。


「このまま教会にいれば、明日の朝には、聖女が竜の姿でこのあたりをふきとばすことになる」


 あ……。


「……」


「……」


「……」


 三人で、だまりこんでしまう。



 あたりに、焼き菓子がやきあがる美味しそうな香りがたちこめた。


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