第32話 ふたりの、ごめんなさい
フランスは、舞い上がった土埃に目を細めて、円陣の中央に目をやった。赤い竜の姿から、人の姿にもどったイギリスが、こちらを見ている。
彼は、近くにいる帝国の騎士になにごとか伝えたようだった。
円陣のほうから、帝国の騎士がふたりほど、小走りでフランスのもとまで来る。
「聖女フランス様、陛下がお呼びです。こちらへ」
騎士にそう言われて、フランスは領主とガルタンプ大司教にかるく挨拶し、アミアンを教会に戻らせて、ひとりで騎士につれられてイギリスのもとへと向かった。
ああ、ついに、めちゃくちゃに怒られる日が来てしまったわ。
でも、直接会ってあやまる機会を得たのだもの、それは感謝しないとね。
イギリスのもとにいって、フランスは申し訳ない気持ちで、彼の顔を見上げた。
面と向かって、イギリスと対峙するのは、大公国を出て以来だった。彼は、感情の読めない表情で、フランスを見つめている。
すこしの間があってから、イギリスが言った。
「ひさしぶりだな、聖女」
「陛下、お久しぶりでございます」
イギリスが、フランスの顔をじっと見つめてから言った。
「ずいぶんと今日は、大人しいな」
「はい、反省しております」
フランスがいたたまれなくなって、視線を下げると、目の前に、腕を差し出される。
イギリスの顔を見上げると、視線で彼の腕を示される。
フランスは、戸惑いつつ、彼の腕にそっと手を置いた。
イギリスは、フランスの歩幅にあわせてゆっくりと歩きはじめた。教会の中を進む彼の足取りに迷いはない。
もう、ずいぶん、教会に慣れたのね。
何人かの騎士が、人をよせつけないように、護衛しながらついてくる。ふたりは、教会の中の回廊をぬけて、裏手の空き地に出た。
目の前に、立派な天幕がある。
イギリスは、みっつある内の、中央の最も大きな天幕にむかって歩きながら、言った。
「天幕には誰も近づくな」
うしろで騎士が立ち止まり、天幕を守るようにして立った。
大公国で、同じような台詞を聞いたが、以前とはずいぶん様子がちがう。今回は、腕をつかまれて、無理矢理連れられるのではなく、フランスはしっかりとエスコートされて天幕に案内された。
天井の高い天幕の内側は、私室と執務室をかねそなえたような作りになっていた。
応接用のテーブルがあり、奥には執務机もある。いずれも立派なつくりのものだった。ついたての奥に、天蓋つきのベッドが、ちらりと見える。
イギリスは、暖炉の前に、フランスを立たせた。
簡易式とはいえ、豪華な飾りが彫り込まれた暖炉には、ひかえめに火が燃えている。敷物は、ふかふかとしていて、足元が冷えることはなさそうだ。
あたたかい。
もうずいぶん、寒さはましになったけれど、火があると足元がとっても楽ね。
フランスは、イギリスと向かい合うと、すぐに言った。
「陛下、お城のこと、本当に申し訳ありませんでした。わたくしにできることで、つぐなえることがあればいいのですが」
イギリスは表情を変えずに、たったひとこと言った。
「気にするな」
フランスは、彼の表情のうちに、怒りや失望や、それとも悲しみみたいなものがないか、よくよく注意して見た。
ん?
ほんとに、なんてことない表情をしているけれど……。
これって、もしかして……、怒られない?
フランスが様子をうかがっていると、イギリスが怪訝そうな顔をした。
「何か不満か」
「いえ、てっきり、ものすごく怒っていらっしゃるのかと思っていたので」
「怒っていない」
えっ、そうなの⁉
本当に⁉
信じちゃうわよ⁉
フランスは、おそるおそる言った。
「わたしが、なにか、とんでもなく大切なものを壊したり……」
「そういうものは、あの城にはない。あったとしても、きみのことがあるから、移動させていた。あの城にあったのは、壊れても問題のないものばかりだ」
え……、でもでも……。
フランスは、おそろしい心地で、気になることを聞いた。
「じゃあ、怒り心頭で……、城の修繕費を……、要求したり……」
「要求したりしない」
えっ!
うそうそ!
大公国で散々むかつくとか思ってごめんなさい!
すごくいい人かもしれない!
「ここに来たのは、赤い竜の力を使いこなせるとまではいかずとも、制御できるよう、きみに教えるためだ」
教えるため?
そのためだけに?
いいえ、それはまだ分からないわね。見張るため、という可能性もあるわ。赤い竜の力が教国に明け渡されることがないように。
イギリスは、表情は変わらないままだったが、気遣うような声で言った。
「城で、ひとりにして、すまなかった」
あまりに意外な言葉に、フランスは、戸惑ってしまった。
赤い竜の力に振り回されている状況では、だれも近づけないことは、しょうがないことだと思っていた。でも、ひとりがおそろしかったことも事実だ。イギリスの気遣うような言葉は、フランスの心をなぐさめた。
イギリスは、つづけて言った。
「赤い竜の力が、良くないものの手にわたれば大変なことになる。大公国では……、きみについての良くないうわさを鵜吞みにして、きびしい態度をとった……」
イギリスが、フランスの瞳をじっと見つめて言った。
「ゆるしてくださいますか」
まあ。
まるで、そこだけは騎士がご令嬢にするように、あやまるのね。
フランスは「はい」とこたえてから、言った。
「わたくしも、調印式では……、大変、失礼いたしました」
イギリスが、ほとんど無表情な顔に、ちいさい笑いをのせて言った。
「まさか、きみが名前を覚えていないとは思わなかった」
「もう、覚えました……」
フランスは、反省もこめて言った。
「赤い竜の力についても、しっかり覚えます」
イギリスが、小ばかにするような顔で言った。
「御言葉を二日で伝えられる要領の良い聖女様なら、赤い竜の力も、あっという間に使えるようになるんだろうな」
皮肉は、相変わらずなのね。
でも……。
今は、なんだか、その皮肉もむかつかなかった。小ばかにするような顔も、存外、親しみ深くやわらかな表情にのっていると、随分印象がちがう。
フランスは笑顔で答えた。
「頑張ります」
イギリスが、フランスの肩をかるく押して言った。
「教会の食糧庫を見てみろ」
「食糧庫を?」
「お返しだ」
「何のお返しですか?」
「焼き菓子の礼だ」
あ、アミアン言っちゃったのね!
イギリスが、フランスの顔を見て、すぐ言った。
「アミアンは言っていない」
「え」
それなら、どうやってばれたんだろう。
ぜったい、アミアンでしょ。
フランスが天幕の外に出ると、入れかわりに領主とガルタンプ大司教が、天幕に入っていった。
フランスはその後、教会の地下にある食糧庫の中を見て、叫んだ。
「きゃーっ! すてきーっ!」
いつもからからの食糧庫に、ところせましと物がつめこまれている。
塩漬け肉や、干した肉に魚、干した果実もあるし、新鮮そうなチーズも、塩に砂糖に香辛料まで。しかも、砂糖漬けのいろいろな果実がところせましと瓶詰でならべられていた。
*
「アミアン、陛下に、焼き菓子のこと言っちゃったのね!」
「言ってません!」
「えっ」
フランスは、アミアンのあまりに自信満々の返事にひるんだ。
アミアンが、こんなに堂々と言うなんて……。
ほんとに、言ってないんだわ。
「じゃあ、一体、どうして、わたしが焼き菓子を焼いていることがわかったのかしら」
それも、赤い竜の魔法?




