第28話 シャルトル聖下の、お願い♡
フランスは、さすがにへこんでいた。
立派な城を、あんな状態にするなんて……。
赤い竜の姿になって、城をこわし、花園を焼き払ってから、すでに三日たっていた。あれ以来、寝室と、執務室もふっとばし、ボヤ騒ぎも二回おこした。
もう思い出したくもない。
フランスは、へこんだまま、苦手な馬車に揺られて、シャルトル教皇のいる中央の大聖堂まで来た。午前中に移動したので、実際に馬車に乗ってしんどい思いをしたのはイギリスだった。
城も散々にこわした上に、酔いのひどい馬車にまで乗せて、イギリスはきっと怒っているにちがいない。
直接あやまろうにも、お互い身体はいれかわっても交流はない。
ああ、さすがに、申し訳なさすぎるわ。
イギリス陛下は、問題なく教会で過ごしているらしいのに。
フランスは謝罪の気持ちをこめて、毎夜、午後につめこんだ仕事を急いで終わらせて、イギリスのために時間のかかる焼き菓子を用意していた。そんなものでは、なんともならないほど、城を破壊しつくしたけれど……。
大事なものでもあったらどうしよう。
調度品とか、きっと高いわ。
いや、そもそも、あの城自体が、歴史的に価値のあるものだったかもしれない。
それに……。
もし、取り返しのつかないような、大切な思い出の品なんてあったら……。
どうしよう。
そんなの、どうやって謝っても、謝りきれないわ。
そう思うと泣きそうになってしまう。
フランスにとっては、誰かから強く言われたり、攻撃されるようなことよりも、自分自身のあやまちがもとで誰かを傷つけることのほうが、おそろしいことだった。
ダラム卿が、手紙でどれだけ『気にしなくていい』と言ってくれても、アミアンが『陛下は怒っていらっしゃらないですよ』と言ってくれても、それを鵜呑みにはできない。
壊してしまったもののなかに、ほんの些細なものでも、失われて残念に思うものが、あったとすれば、罪は大きいのだから。
これから、シャルトル聖下に会えるというのに、まったく心が上がらなかった。
だめだめ、切り替えないと。
せっかく、聖下に会えるのだから。
「聖女フランス様、どうぞ」
教皇付きの助祭に呼ばれる。
フランスは、ひとつ息を吸い込んで、気持ちをきりかえ、シャルトル教皇の執務室に入った。
広い執務室は天井が高く、立派な梁がある。床には美しいモザイクが施されているが、調度品もふくめ、全体的に落ち着いた雰囲気だった。
中に入ると、シャルトル教皇が、フランスにむかって微笑んで立っている。
「失礼いたします」
「フランス、よく来てくださいましたね」
「聖下、お時間いただきありがとうございます」
「あなたの元気な顔が見られて、安心しましたよ。今日は茶菓子を用意しました。ゆっくりしてくださいね」
あら。
これは……。
ちょっと嫌な予感がするわ。
お忙しい聖下が、わざわざ茶菓子を用意して時間を取ってくださるなんて。なにかややこしい任でもあるのかしら。
応接用の席をすすめられて、座る。
すると、シャルトル教皇が目の前で、かいがいしくお茶を入れてくれた。
これは、ますます怖いわね。
しかも、いかにも高級そうな茶菓子だわ。
砂糖漬けの果実まで、たくさん添えてある。
どうぞ、と出されたお茶を飲みながら、最初は大公国でのことをねぎらったり、教会の様子を気遣う世間話がつづいた。
二杯目のお茶をそそがれたとき、シャルトル教皇の美しい青の瞳が、じっとフランスの瞳を見つめて、微笑む。
「フランス、実は、あなたにお願いがありまして」
きたわ。
なんなのかしら。
フランスは、微笑んで返した。
「まあ、お願いだなんて。どうか、そのようにおっしゃらず、いかようにもお使いくださいませ」
どうせ使われるなら、より従順にふるまっておくほうが良い。
シャルトル教皇は立ち上がり、フランスの隣に席をうつした。
彼から、花の香りがする。
シャルトル教皇は、フランスの両手をとった。彼の、まるでどこまでも深く清い泉のように見える瞳が、目の前にある。
思わず、うっとりしてしまう。
聖下、今日も素敵です。
「実は帝国側から申し入れがありました」
「帝国からですか」
「ええ、イギリス陛下が『主の愛について知りたい』と——」
それは……。
フランスは調印式の場から逃げるときに、苦し紛れに言った自分のことばを思い出した。
『陛下は、主の愛について、知りたいとおっしゃって下さったのです』
そのまま、わたしが言った言葉じゃない。
シャルトル教皇が、じっとフランスの瞳を見つめて、続けて言う。
「イギリス陛下は、しばらく教会で過ごされたいと言うのです」
まさか。
「しかも、あなたの教会をご指名で」
フランスは、思わずシャルトル教皇の瞳から、目をそらして下をむく。
これは……、もしかして……、怒りに来る?
「フランス」
思ったよりも近くで名を呼ばれて、はっと顔をあげる。
目の前に、シャルトルブルーの瞳があった。
「かしこいあなたなら、きっとうまく対処してくださると、信じたいのですが、いかがですか?」
シャルトル教皇の口元には、うすく微笑みがあるようにも見えるが、まるで冷酷なようにも見える表情だった。その瞳には有無を言わせぬ強さがある。
言葉では、伺うように聞いてはいても、——これは命令だ。
やだ。
冷酷そうな表情も、素敵です、聖下。
好き!




