第26話 ダラム卿の、女たらしのラブレター
ダラム卿が、城を案内してくれた次の朝。
フランスは、ふかふかで幅広の、いかにも高級なベッドで目覚めて、うっとりと朝のまどろみを堪能した。
かたくて小さいベッドじゃない。
最高ね。
今ごろ、教会ではイギリスが、あの寝心地が良いとはいえないベッドで起きているのかと思うと、なんだか変な気分になる。
まだ、慣れないわ。
ほんと、変なかんじ。
部屋にあるテーブルを見ると、可愛らしい花かごが置かれていた。花のなかに、手紙がはさまれている。封筒は、品よく愛らしい。小鳥の飾り絵つきだ。持ち上げると、ふんわりと甘く香った。
まあ、香りまでつけてあるのね。
あけてみると、ダラム卿からの手紙だった。
軽薄な感じもするのに、なぜか憎めない書き出しで、フランスは思わず、くすくす笑いながら読み上げた。
「今日も愛らしいフランス嬢へ」
今日会ってもいないのに、そんなことを言うなんて。
ほんと、おかしな方ね。
どうせ一人だし、と思って、そのまま読み上げる。
「あなたの朝を、ひとりさみしくさせてしまって、わたしの心がどれほど痛んでいるか、あなたにお見せできればいいのですが。陛下の身体では、甘い菓子も用意できなくて残念です。せめて、甘い香りが、あなたのさみしく沈んだ心を癒してくれることを願います。さみしくなったら、この香りで、わたしのことを思い出してくださるでしょう? 愛をこめて。あなたの忠実なしもべ。ダラム」
フランスは、笑った。
「ぜったいに、女たらしよ」
それにしても、教国の正典まで読んだことがあるのね。
手紙にある『忠実なしもべ』は聖書に出てくる、主の前に忠実なもののことだ。女子好みする流行りのお菓子から、他国の正典まで知っているダラム卿の知識に、フランスは素直に感心した。
しかも、今日ダラム卿が来られないことは、前日には聞いていた。わざわざ手紙を置いて、伝えることもない。これは、ただただフランスの気分を上げようという気持ちの手紙だろう。
フランスは、可愛らしい花かごをもちあげて眺めた。
女たらしも、悪くはないものね。
なんだか、素敵だわ。
ほかの男性からなら、いやな軽薄さと感じたかもしれない。くったくなく笑う、冗談好きするダラム卿だからこそ、ゆるされる愛らしさが手紙にあった。
*
フランスは、書架室から持ち出した本を、城の中庭でめくっていた。
大きな木もある、緑の多い中庭は、ほっとするような美しさがある。午前のさわやかな陽のさす中で、手ごろな石に座り込んで、本をひろげる。
ダラム卿が「陛下の呪いについて、学者たちが記したものです。呪いについて、詳細が書かれているので、ぜひ、読んでみてください」と言って、書架室の本棚からえらんで渡してくれたものだった。
フランスはひとりで、読み上げた。
いつもそばにいるアミアンがいなくて寂しいからか、つい一人で喋ってしまう。
「毛髪や爪は伸びるが、身体そのものの成長、加齢による変化が見られない。味を感じることがなく、食事を必要としない。傷はすぐにふさがり、病にかからない。痛みに鈍感で……」
痛みに鈍感……?
いや、でも、股は痛かったけど。
「え……もしかして、あの痛みですら、ましなほうだったってこと?」
フランスは、あの恐ろしい痛みを思い出して、ぶるっとした。
思わず、股をそっと閉じる。
「疲れることもなく、睡眠もほとんど必要としない」
疲れないんだ……。
あれ、もしかして、あのへなちょこっぷりは、痛みとか疲れに、慣れてないからかしら。
「たしかに、この身体、すごく快適なのよね。足先とか手先が冷えたりしないし、肩こりないし、本を読んでても目がつかれないし……、なんだか身体がだるーいみたいなこともないわ。そういえば、さっき角で手をぶつけても、痛くなかったわね」
フランスは読み進める。
「三大欲求のいちじるしい欠如が見られる。三大欲求? 食欲、睡眠欲、……性欲も!」
だから、結婚してないのかしら。
女嫌いのうわさって、もしかして、ここから?
隣国のお姫様の件もあるから、あながち女嫌いのうわさは、本当かもしれない。
まって……、こんな赤裸々に書かれちゃうのね。大丈夫これ、ほんとに読んで。
フランスはなんだか心配になった。
「赤い竜の魔法を使うことができる。水をせきとめ、山をくずす。——ほんとに、できちゃうのね。すごい」
山をくずすほどの力。
どうやってそんなもの、使うのかしら。
そのとき、ひらひらと、大きな蝶が近づいてきた。
フランスは思わず立ち上がる。
ちょっと!
こっち来ないで!
フランスは、一度とんでもなくかぶれて依頼、蝶という蝶を毛嫌いしていた。
フランスは、じっと警戒して蝶を見つめる。
あの、予測できない動きも怖いのよ。
粉粉の羽もおそろしいわ。
離れるかと思った蝶が、急に方向を変えて、フランスに近づいた。
「やだっ!」
あっち行ってよ!
フランスは、持っていた本で風を起こして、離してやろうと、思いっきり本をふった。
轟音だった。
まるでそれは、フランスの身体が後ろに弾き飛ばされたのかと、勘違いするほど、現実離れした光景だった。目の前にあった大きな木がなぎ倒されて、根こそぎ遠くへ飛ばされてゆく。そのむこうにあった城の壁も、すいこまれるようにして、フランスの身体から離れるように飛ばされていく。
まるで、何かおそろしく大きなものに、殴られでもしたみたいだった。
フランスの目の前にあったものは、とんでもない音とともに、吹きとんで消えた。
目の前に、穴が開いている。
穴の向こうに、城の外の森が見えた。
遠くに、ぱらぱらと、吹き飛んだ城の一部や、木が、落ちる様子が見えた。
「……」
え……。
う……うそ……。
すっかり変わりはてた目の前の景色の中を、難をのがれた蝶が、ひらひらとのんきに舞った。
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おまけ 他意はない豆知識
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【忠実なしもべ】
新約聖書の『マタイの福音書』25章14節~30節他。
良い忠実なしもべは、わずかな物に忠実なもの。
役に立たぬしもべは……外の暗やみに追い出すよ。




