第20話 ただしい勇気をしめす者
アミアンは、馬車の外に立つ、まだおさない少年をみて、おどろいて声をかけた。
「カリエール⁉ こんなところでどうしたの⁉」
「アミアンさま、ぼく、ぼく」
カリエールの顔は、土埃で全体的によごれたあげく、涙で部分的によごれが流されて、ぐちゃぐちゃだった。
カリエールのうしろには、御者が立つだけだ。他に人はいない。
アミアンは馬車から身をのりだし、カリエールの涙をふきながら聞いた。
「まさか、ひとりで、こんなところまで来たの⁉」
まだ、カリエールが住む町まで距離がある。
「ぼく、今日には聖女さまがもどるって聞いて、それで……」
「ひとりで、きたのね?」
カリエールがこくりとうなずく。
彼の瞳からは、ふいてもふいても涙があふれてくる。
アミアンはおそろしい気持ちになった。運よく、何もなかったから良かったものの。この道には、狼も出る。それに、もし、たちの悪い奴隷商人の目にでもついたら……。
主よ、カリエールをお守り下さり、感謝いたします。
カリエールのうしろで御者が言った。
「どうやら、通る馬車すべてに近寄っては声をかけていたようです。まったく、ひかれなかったのが奇跡ですよ」
アミアンは、カリエールの両肩に手をやって、やさしく聞いた。
「カリエール、いったい何があったの?」
「母さんが……母さんが、このままじゃ死んじゃう」
「アリアンスが?」
「もう三日も、起き上がれないんだ」
三日も……。
カリエールとアリアンスは、野菜を売ってその日暮らしをしている。三日も寝込んでいるなら、しばらく、ろくに物も食べられなかったに違いない。
食べることもできず、弱ってしまえば、あっという間だ。
「教会で薬はもらった?」
「うん、でも、良くならないんだ。今朝は、話しかけても……答えて……くれなくて」
そこまで言って、カリエールは大きな声で泣いた。
アミアンは、御者にカリエールをまかせて叫んだ。
「カリエール、ちょっとだけ待って! ほんの一瞬!」
馬車の扉を勢いよく閉める。
アミアンはイギリスにできるだけ近寄って、小さな声で言った。
「陛下、聖女の癒しの力を使えば……、間に合えば、あの子の母親を助けられるかもしれません」
「使い方がわからない」
「わたしも、わかりませんが、お嬢様がいつもどうやってしているのかは、横で見ています」
イギリスは、アミアンの目をまっすぐに見つめて返した。
「では、行こう」
「ありがとうございます!」
アミアンは扉を開けようとしたが、イギリスの近くに戻って素早く言った。
「あの子、カリエールと言うんですが、お嬢様とは、いつも仲良くしている子なんです。教会の広場で野菜売りをしていて。で……、どうか抱きしめて、なぐさめてあげてくれませんか? わたしよりも、お嬢様のことを頼りにしている子ですから」
イギリスが落ち着いた顔で頷く。
「わかった」
「ありがとうございます!」
アミアンは勢いよく、扉をあけて、御者に向かって言った。
「この子の家に急いで向かってください。場所は街の入り口から西にはずれた集落です」
御者がいそいで御者台にあがる。
アミアンは手をのばして、カリエールの手をつかんだ。
「カリエール、急いで行こう」
カリエールを馬車にのせて、勢いよく扉をしめる。馬車はすぐに走り出した。
イギリスがカリエールに腕をむけて「カリエール、おいで」と言った。
ありがとうございます、陛下。
カリエールはイギリスの隣にすわって、安心したのか、ぐすぐすやってすがりつき甘えた。イギリスがその背をやさしい手つきでなでる。
アミアンは、カリエールの口にヌガーを押し込んだ。
カリエールのあごも、手首も、教国を発つ前に見たときよりも、肉がおちている。
馬車は大きく揺れながら、あっという間にアリアンスとカリエールの家に到着した。どうやら、相当急いで走らせてくれたらしい。
アミアンは御者に礼を言い、カリエールをたくした。
カリエールの不安そうな瞳をのぞきこんで言う。
「聖女さまが、アリアンスを見ている間は、ここで待ってて」
「うん。聖女さま、アミアンさま、母さんを、おねがいします」
カリエールは涙をがまんするように、こわばった顔で、声は震えていても、しっかりと、そう言った。
イギリスが、カリエールに顔を向けて、うなずく。
目の前にあるのは、小さな木造りの掘っ立て小屋だ。アミアンはたてつけの悪い扉をあけて、先に入った。
小さい部屋には、古いベッドがひとつと、くたびれたテーブルがあるばかりだった。ベッドの上で、女が寝ている。
アミアンは走り寄って、口もとに手をかざした。
息はある。
首元に手をやる。
熱が高い。
「アリアンス、アリアンス」
声をかけても反応はない。
唇が、渇いてひびわれている。肌も、熱をもって乾燥している。
もう汗をかく余裕もないんだ。
かなり、良くない状態かもしれない。
ベッド横の、こわれかけた物入れの上に、薬湯が入っていただろう深皿があった。匂いをかいでみる。熱さましの香りがした。
アリアンスの様子を見るかぎりは、薬湯は効いてはいない。
アミアンは、となりで様子を見ていたイギリスに言った。
「陛下、アリアンスです。かなり良くない状態のようです」
「どうすればいい」
「手を」
アミアンはイギリスの手を、アリアンスの胸の上にかざすようにした。
「お嬢様はいつも、こうして手をかざして、そして『あなたは癒された』と言うんです」
イギリスが怪訝な顔をして言った。
「それだけか?」
「はい」
イギリスが、アリアンスの顔を見つめた。
アミアンは、ベッドの横に跪いて、祈った。
「主よ、どうか、アリアンスをお救いください。どうかまだ、この者の、いのちをお取り上げにはならないでください。正直な者です。一生懸命に、土をたがやし、子をそだてます」
アミアンは、ほとんど息をしているかも分からないほど、しずかに横たわるアリアンスの姿を見て、そして、カリエールの姿を思い出した。
小さな体で、道を走りつづけ、聖女にすがろうと、おそれを乗り越えてきたカリエールの、土埃と涙に汚れた顔が浮かぶ。
「どうか、カリエールののぞみに、こころをおとめになってください。あの子は、ただしい勇気をしめしました。あなたのさとしに足を向ける子です」
貧しくも、正直に生きるふたりに、どうか奇跡をあたえてください。
アミアンは、たまらず、ぎゅっと目を閉じて言った。
「主の愛は、アリアンスとカリエールとともにあります。アーメン」
アミアンは、イギリスを見上げた。
イギリスが、かざした手を、アリアンスに近づける。
主よ、どうか——。
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おまけ 他意はない豆知識
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【カリエールと、アリアンス】
カリエール広場、アリアンス広場は、フランスの世界遺産。
フランス・ロレーヌ地方の都市ナンシーにある、古典的な都市計画を見ることができる広場です。




