第18話 高級宿屋の豪華な朝食
フランスは、ふかふかふわふわの、極上の寝心地のベッドで目を覚ました。
うわあ、すごい、なにこれ。
こんなにベッドから出たくないことがあったかしら。
フランスは堪能するように、両手をひろげた。
今ごろ、アミアンと陛下は、身体かっちかちで起きているんでしょうね。アミアンには、ちょっとわるいことしちゃったかな。
フランスより身体の大きいアミアンは、馬車での時間は窮屈だろうに、昨日は無理をして遅くまで走らせてしまった。
「陛下の馬車酔いがかわいそうなので、今日のうちにできるだけ進んでおきましょう」
そう言ってくれたのは、アミアンだけど。
フランスは、昨日乗った、ふたつの馬車を思い出した。
ひとつは、高級で大きな、むきむき六頭立ての馬車。もうひとつは、粗末で小さな、痩せた二頭立ての馬車。
いつも、あんなに優雅な馬車に乗っているのなら、イギリス陛下にとっては、粗末な馬車はまさに揺れる牢獄よね。
今日は、馬車酔いがひどくなる前に、教会につけるといいけれど……。
フランスはベッドから出て、窓をあけ、見知らぬ街の景色を楽しんだ。
「帝国って、やっぱり栄えているのね。どこの街か知らないけど、いかにも、お金がありそうな感じがするわ」
しばらくすると、扉がたたかれる。
ダラム卿だった。
「おはようございます、フランス」
もうすっかり、昨日の午前中にたくさん話したので、ダラム卿は『聖女様』とは呼ばずに、気軽に『フランス』と呼んでくれるようになった。
正直なところ、とても助かる。
ダラム卿のほうが、年齢も身分も高いのだから、いつまでもうやうやしく扱われるのも居心地が悪い。側に長い時間いるとなればなおさらだ。
「準備ができ次第、すぐに出発する予定ですが、大丈夫そうですか?」
「ええ。あら、そういえば、イギリス陛下は朝食をとられないんですね?」
そういえば、昨日も朝食はなかった。
庶民階級なら朝食なんて食べないだろうが、貴族や、ましてや皇帝となれば、きっちり朝昼夜と、豪華なものを食べていそうだけれど。
「あー……」
ダラム卿がすこし悩むような表情をして言った。
「おなかすいていますか?」
「え、それは……」
起きてしばらくたったし、もちろんお腹はすいて……。
「あれ? 全然おなかすいていないです」
「やはり、そうですか。まあ、一度、食べてみますか? この宿の食事は美味しいと有名ですし」
ダラム卿ににっこりと提案されて、フランスは上機嫌で答えた。
「食べます!」
お腹は空いていなくても、目の前に出てくれば食べられるに違いない。
ダラム卿が使用人を呼び、フランスの身支度はあっという間に終わる。そうこうしている間に、どこからともなく、料理のよい香りがただよってきた。
料理が出てくるまでのあいだ、ダラム卿が使用人を下げてくれたので、フランスは気楽な気持ちで話した。
「それにしても、高級とはいえ宿屋に泊まるのですね。皇帝陛下ともなれば、それぞれの領地の領主たちが、来てくださいと言わんばかりなのではないですか?」
「はは、まさに、来てくださいという声はすごいですよ。しかし、陛下は、町の様子のほうがご覧になりたいようですね。領主がおろかなことをしていれば、すぐに町の様子に現れますからね」
「まあ、抜き打ちチェックみたいなものですわね」
「そうですね、領主からすると、緊張感があるかもしれませんね」
「なんだか……」
意外と良い皇帝、と言いそうになって、口をつむぐ。
「意外でしたか?」
「教国に聞こえてくる噂とは、ずいぶん違いますわ」
「悪い噂の方が、人の耳には甘いですからね」
「そうですね」
それは、フランスも身をもって知ることだった。
ダラム卿が、窓から街を眺めながら言う。
「領主たちの城に招かれる方が、いろいろと便利なんですけどね。今回は使用人も護衛も最小の人数におさえて、すべて宿屋に泊まる予定です。フランス、あなたのこともありますから、宿屋にしておいて正解でした。領主たちの城では、一日泊まって、はい、さようなら、という訳にもいきませんから」
「そうですね」
皇帝が来るとなれば、領主たちは、いろいろともてなしを準備するにちがいない。それが、たんに泊まって、次の日の朝に会いもせずに出発、なんてことでは、面食らうだろう。
しばらくすると、料理が部屋に運び込まれた。
「さあ、揃ったようですよ、どうぞ」
ダラム卿が椅子をひいてくれる。
フランスは座って、目の前の料理をわくわくした気持ちで見た。
うわ~、すごい、まぶしすぎるわ。
帝国の料理が、まずいなんて、うそなんじゃない?
目の前に並べられた、たくさんの料理は、すごく豪華で美味しそうに見える。
ダラム卿は正面にすわって、紅茶だけ飲むようだった。
もう、食べたのかしら。
フランスは、スープを一口飲んでみた。
……ん?
ダラム卿を見ると、にっこりされる。
フランスは、次に、焼きたてのあたたかなパンを手に取ってちぎり、一口食べてみる。
え?
ダラム卿を見ると、また、にっこりされる。
フランスは、一番味の濃そうな、肉料理に手をつけた。
これなら、さすがに……。
ひとくち食べてみる。
うそでしょ……。
味がしない。
良い香りだけは、料理から漂ってくるのに、口に入れた肉は、まるで噛み続けて味がしなくなった固い肉みたいに、ただ、不快な弾力があるだけで、なんの味もしなかった。
フランスは、無理矢理に飲み込んで、そっと手をおろした。
ダラム卿がため息をついて言った。
「もしや入れかわれば、いけるかもと思いましたが……。やはり、味はしませんか」
「どういうことですか」
「陛下は、お食事はされないのですよ。味がしませんから、食べてもただ不快なばかりだとか」
そういえば、昼餐会でも、イギリスはほとんど食事に手をつけていなかった。下げさせたスイーツの皿以外も、ほとんど残していた。
フランスがダラム卿を見つめると、彼はまた、ため息をついて言った。
「別にかくすほどのことでもないですよ。帝国では、ある程度知られていることですから」
ダラム卿は、表情をかえずに言った。
「それは呪いです」
フランスの目の前で、豪華な食事が、まるで色を失ってしまったようだった。
「帝位についてから、陛下は、食事はされていないのです」




