第172話 特別、やさしくして
フランスは教皇直属の騎士たちに自分の部屋へ送ってもらう途中で、行き先を変えた。
イギリスの部屋の前まで送ってもらう。
イギリスの部屋の前には帝国の騎士たちがいた。いつも教会の天幕の前を守っている見知った顔だった。
すぐに騎士がドアの内側に向かって、声をかける。
「陛下、聖女フランス様がおいでです」
中から「通せ」と小さく聞こえた。
フランスは、送ってくれた教皇直属の騎士に礼を言い、イギリスの部屋に入った。
イギリスは、豪華な長椅子にリラックスして座り、何か飲んでいるようだった。この前の湯上り同様、もうあとは、寝るだけ、みたいにゆったりとローブを羽織っている。
フランスは近づいて、彼の持つグラスを見て言った。
「あら、ぶどう酒を飲んでいるのね」
めずらしい。
居酒屋以外では、お茶ばっかり飲んでいるのに。
今日はぶどう酒なのね。
フランスが声をかけたのに、イギリスは何も言わずに、グラスに口をつけてぶどう酒を飲んだ。いつもなら、立ち上がって迎えたり、席をすすめたりするのに、今日はそれもない。
フランスが、イギリスの顔をじーっと見ると、イギリスが機嫌の悪そうな視線をよこした。
これは、怒っている顔ね。
「となりに座ってもいい?」
「……」
イギリスはむすっとした顔のまま何も答えない。
話す気がないなら、しょうがないか。
また、明日、話したほうがいいかもね。
「気分が良くないなら、わたし、部屋にもどるわね」
フランスがそう言って、扉に向かおうとすると、うしろからイギリスが言った。
「座れ」
まあ、ずいぶん、きつい言い方ね。
まるで使用人に命令するような口調だった。
フランスは、イギリスのとなりに座った。
イギリスが、不機嫌そうな声で言う。
「こんな時間まで、教皇の部屋にいたのか」
「そうよ。それから、まっすぐ、あなたの部屋に来たわ。昼間は……」
昼間は、なんと言ったものかしら。
上司に呼ばれてついて行っただけなのに、なんだかすごく悪いことしちゃった気分なのよね。
イギリスも、こんなだし。
「昼間は、一緒に戻れなくてごめんね」
フランスがそう言うと、イギリスが肩の力をぬいてこちらを向いた。
だが、顔が近づいたところで、また、イギリスが、不機嫌そうな顔をする。
「その匂い……」
「匂い? ああ、お香のかおりがする? 聖下の部屋で焚いていたから」
「……」
あ。
また、怒っちゃった。
イギリスが、さっきよりひどい不機嫌な表情になった。
最初に大公国で会った時くらい、冷たい雰囲気でイギリスが言う。
「わたしの部屋で焚いたのと同じ香りだな」
「ええ、そうよ。あの宿屋でもらったお香の残りよ」
「……」
イギリスが睨んでくる。
「お香を焚いたのが、そんなに不満?」
「きみが、色んな男の部屋でその良い匂いをばらまいていることに、別に興味なんてない」
それは、興味があるって意味よね。
フランスは、イギリスの方に身体を向けて言った。
「ねえ、そんな言い方やめて。聖下の部屋を、まるで普通の男の部屋みたいに言わないで。彼は、この教国の教皇よ?」
「教皇も男には変わりないだろ」
「違うわよ。男や女の区切りでは考えられないの。高潔で! 美しくて! 賢くて! 清くて! 完璧な! ああ、まるで天使のようよね。ちょっと残酷なところも、天使っぽい」
フランスがうっとりしてそう言うと、イギリスがブールジュみたいな嫌そうな顔をした。
なによ。
「とにかく、聖下は、特別なお方なの。それに、わたしは、色んな男の部屋に遊びに行ったりしない。そもそも、わたしのまわりは修道女か、修道士ばっかりよ。聖職者か信徒ばっかり。彼らは、わたしの家族同然よ」
部屋に行ったって、そんな男女の関係があるわけじゃない。
イギリスが、まだ納得いかなさそうな顔でいた。
「……」
「男のともだちは、あなたがはじめてだし。男のともだちの部屋に来るのも、あなたが、はじめてなんだから。いじわるしないで。……こわくなっちゃうでしょ」
フランスがそう言うと、イギリスがちょっと態度をあらためて言った。
「……いじわるなんてしない」
「うそ。さっきの『座れ』って、すっごくこわい言い方だったわ」
イギリスがちょっと反省するみたいに肩をおとしてから、ちょっと勢いを盛り返し、拗ねたみたいな顔で言う。
「いじわるなのは、きみだろ。特別やさしくして香を焚いてくれたと思っていたのに、どこでだって焚いているんだから」
……。
なんで……、そんな可愛いこと言うのよ。
男ともだちって、はじめて出来たから、よく分からないけれど。なんだか、こういう嫉妬、みたいに思えるのは、可愛い気がする。
フランスは正直に言った。
「わたし、あなたに特別やさしくしたいと思っているわ。だから、あの日、あなたのこと、遅くまで待ってた……」
「わたしも、きみと同じように、待っていた。今日、きみが来るかもしれないと思って」
待っていてくれたんだ。
「……」
「……」
「帝国には……」
そこまで言って、フランスはなんだか恥ずかしくなって言うのをやめた。
「なんだ」
「なんでもないわ」
「言え」
フランスは、恥ずかしいのをごまかそうと、ちょっとイギリスから視線を外して言った。
「……帝国には、他にも部屋に呼ぶ女……ともだちがいるの、かな、って思って」
「いない。きみだけだ」
そっか。
フランスが嬉しくなって笑顔を向けると、イギリスも表情を柔らかくした。
「あのおきれいな教皇が、君にとって天使級だというのは、よく分かったが、こんなに遅くまで一緒にいる必要が?」
「あー……」
彼って、帝国の皇帝だから、言えないことだってたくさんあるけれど。
フランスは、イギリスの腕をちょんとさわって言った。
「ねえ、わたしたち、ともだちよね」
「あ、ああ、なんだ、あらためて」
「あなたは帝国の皇帝で、わたしは教国の聖女だけど、ともだちでしょ」
「うん」
「だから、わたしが今から話すことは、聞かなかったことにしてくれる? 聖女のわたしは何も言わなかったし、皇帝のあなたは何も聞かなかった。ともだちどうし、ただのフランスと、ただのイギリスの、ふたりだけの秘密にしてほしいの」
「ふたりだけの秘密?」
「そう、ふたりだけの秘密」
ふたりで見つめ合う。




