第170話 どんな聖下も、美しい♡
「イギリス陛下のことが気にかかりますか」
シャルトル教皇の言葉に、フランスは小さく答えた。
「はい」
そう、ずっと最後に見たイギリスの顔ばかり思い出していた。
シャルトル教皇が、フランスの頬にふれていた手をはなして、ちいさくため息をついて言った。
「教国をはなれて、帝国に……、イギリス陛下のもとに行きたいですか?」
シャルトル教皇の声には、非難の色はなかった。失望の色もない。
ただ、寂しそうな響きだけがあった。
フランスは、はっとしてシャルトル教皇の瞳を見つめかえした。
「いいえ。そのようなことは……、考えたこともございませんでした」
シャルトルブルーが、まっすぐにフランスの瞳をのぞきこんでいる。
「わたしにはあなたが必要だ。側にいてほしい、フランス」
「側にいます」
聖下の側にいると誓った。
その思いに嘘はない。
教国をはなれて帝国に行くなんてことは、考えたこともなかった。
でも、もし、フランスが聖女でなくただの女で、イギリスが不死の苦しみを持たないただの男だったら。
彼の側にいられたら——。
いいえ。
わたしは、聖女よ。
たとえ、望んで聖女になったわけではなくても、教国には守りたい大切な者たちが、たくさんいる。それを捨てるなんてことは、できない。
目の前にいる、美しい教皇も、フランスが守りたい人のひとりだ。
ずっと、大好きな人。
彼の側で、彼が目指す道を進むために、たとえ頼りなくとも、その腕が痛むときは支えられる者でありたい。
シャルトル教皇が、いつもの自信にあふれた声とは違う、まるで頼りなげな様子で言う。
「イギリス陛下が言う通り、あなたのことを危険に巻きこんでいる。それでも、側にいてくださいますか?」
「はい。どんなに危険でも、聖下のお側にいます。聖下の望む道は、わたしの望む道でもあります」
シャルトル教皇が、やさしく微笑んで言う。
「あなたの、その言葉が、どれほどわたしに勇気を与えているか、あなたには思いもよらないでしょうね」
そんなことがあるかしら。
誰よりも、強く見える聖下に、たいした力もない聖女ひとりの言葉が、どんな勇気を与えるというのだろうか。
でも、そうなら、嬉しい。
「昨夜の刺客は、おそらく東側の手の者でしょう。忍び込んだものを、ふたりとも殺してしまったので、真相は分かりませんが。おそらく、今回のわたしと西側の結びつきを揺さぶるためのものです」
シャルトル教皇の言葉に、フランスはうなずいた。
やはり、そうよね。
フランスは、昨夜、部屋に倒れていた、わざとらしく西方大領主の紋章を身に纏った騎士たちの姿を思い出した。
シャルトル教皇が、ため息をついて言う。
「事を急ぐ……、そう、わたしは急いでいるのかもしれません。もう、何度襲われたかしれない。なんとか切り抜けるたびに思うのです。いつまで、生きていられるかと」
シャルトルブルーの瞳に、たっぷりとした睫毛がかかる。
「今日の協力者が、明日には敵になる」
シャルトル教皇が、フランスの手をとって、にぎった。
「昨日、あなたに見られたくないと言ったのは……、体中に傷があるからです」
体中に傷が……。
何度も襲われたから?
フランスは、シャルトル教皇の手をぎゅっと、にぎりかえした。
「それに、火傷のあとも」
「火傷?」
「ええ、おろかしいことですが、幼いころ、母の元へ行けるかと思って、自分に火をつけたんです」
「……」
「ほんとうに……、おろかしい。ですが、その時は、そうしてでも、母のもとに行きたかった」
なんてこと……。
広場で生きたまま焼かれた母親のあとおって、自らに火をつけた子の心を思うと、胸がはりさけそうだった。
シャルトル教皇が、すこしためらうようにしてから、フランスをじっと見つめて言った。
「フランス、あなたは、まるで本当に美しいものを見るように、わたしのことを見て下さいますね。だから……、ひどく醜い姿を見せたくない」
フランスは苦しくなって眉をしかめ、首を振って言った。
醜いだなんて、思うはずない。
「聖下がどんなお姿でも、美しさに変わりはありません」
シャルトル教皇が、ふんわりと優しい笑顔で言う。
「あなたのその視線が、わたしを癒してくれます。あなたは、わたしの残酷なところを知っても、おろかなところを知っても、かわらない」
彼は、フランスの頬にふれ、瞳の中をのぞき込むみたいにして、つづけて言った。
「あなたの瞳の中に、安らぎを感じます。わたしは、決して美しい人間ではない。ひどく残酷で、おろかしい生き物だ。でも、あなたの瞳の中でだけは、ただの馬番のシャルルのように、純粋で善良な人間の姿を、垣間見られる気がする。わたしが、捨ててしまった、美しい部分を」
そこまで言って、シャルトル教皇が、苦し気に息をついた。
フランスは、はっとして握っている手の熱さに思い至った。
「聖下、熱がありますね。休まなくては。熱さましを持ってこさせます」
「いいえ。誰にも、言わないでください。ここには、信用できるものが少ない」
そういえば、昨夜はいたのに、いつもの助祭の姿が見えない。
フランスが、助祭の所在を聞くと、シャルトル教皇が、苦しそうに息をしながら答える。
「彼は、急ぎのつかいに出ています。夜には戻って、色々としてもらいますから、心配しないでください」
心配しないでと言っても……。
けっこう、とんでもない熱な気がする。
フランスは、祈るようにして言った。
「あなたは、癒された」
光が、こころの内をなでる。
シャルトル教皇が微笑んで言う。
「楽になりました。ありがとう、フランス。もう、戻ってください」
うそね。
まだ息も荒いし、首には汗もかいている。
怪我をした腕は、さっきよりも震えていた。
フランスは、怪我をしている彼のうでを支え持つようにして言った。
「わたしの侍女に、こっそり色々と持ってこさせます。彼女は、わたしの姉妹同然の者ですから、ご安心を」
フランスはシャルトル教皇が、これ以上何か言う前に、彼の身体をぐいと押した。まっすぐベッドに向かって行って、ちょっと無理矢理気味に座らせる。
「聖下が、お嫌なら見たりしません。でもお休みになるのに、邪魔ですから、ローブを脱ぐのは手伝っても?」
「なかなか強引なんですね」
「そうです。ブールジュと殴り合いをするくらいには、気が強くて強引です」
シャルトル教皇は、あきらめたのか、フランスがローブに手をかけても止めたりはしなかった。




