第164話 深夜の呼び出し♡
フランスは、繰り返される音で目が覚めた。
どのくらい寝ていただろうか。
扉から、こつこつと、控えめに、だが繰り返しはっきりと、ノックの音が聞こえる。
フランスは、急いでベッドから出て、扉をあけた。あけた先には、カーヴと、もうひとり。教皇付きのいつもの、あの助祭がいた。聖下の幼馴染の。
助祭の男が、ひそやかな声で、でも急いだ様子で言った。
「聖女フランス様、どうか急いで来てください。聖下がお呼びです」
「聖下が?」
こんな時間に?
様子がおかしいわ。
フランスは急いで寝巻の上にマントだけ羽織り、助祭の後についていった。カーヴも後ろからついてくる。彼はしっかりと聖騎士の恰好をしていた。
フランスは、小さな声で言った。
「カーヴ、寝てなかったの?」
カーヴがうなずく。
どうやら、扉の前で立って、護衛をしてくれていたらしい。
まさか、この式典の間、寝ずの番をするつもりじゃないでしょうね。
やっぱりメゾンとふたりで連れて来るべきだったかしら。それなら交代で休めたかもしれない。
心配して聞くと、深夜帯以外は、アミアンが扉の前に立つことにしたらしい。
うそ。
そうだったんだ。
のほほんと寝ていたわ。
助祭について城の中を複雑に進んでゆく。助祭はそうとう急いでいるらしく、フランスはほとんど走るようにしてついていった。
かなり奥まった場所に、聖下の部屋はあるのね。
もう、戻り方はすっかり分からないだろうくらい、複雑な作りの城の中を進んだところで、助祭が立ち止まる。
あたりには、誰もいない。
目の前には、大きくて立派な両開きの扉があった。
助祭が扉に手をかけて言う。
「騎士殿は、こちらでお待ちください。聖女様のみ、お入りください」
「カーヴ、ここで待っていて」
カーヴがうなずく。
助祭がすこしだけあけた扉から、フランスは部屋に入った。
妙な光景だった。
立派な調度品のある部屋の中に、ふたりの男が倒れている。
護衛騎士のように見えた。
西方大領主の紋章を身につけた騎士だ。
だが、助祭はその倒れた男ふたりには目もくれず、奥にある立派な天蓋付きのベッドの向こう側に近寄り声をかけた。
助祭の声は、はっきりと分かるほど、怯えるように震えていた。
「聖下、聖女フランス様をお連れしました! 聖下、どうか、しっかり」
フランスもあとにつづいて、ベッドの向こう側をのぞきこんだ。
思わず息をのむ。
高さのあるベッドに隠れて見えなかったが、そこにシャルトル教皇がいた。
彼は、壁にもたれかかるようにして、床に座り込んでいる。うなだれてじっとしている彼の瞳は、閉じられていた。
その肩のあたりは、布が濡れたように光っている。
血だ。
フランスは、急いで、シャルトル教皇の近くにひざをつき、彼の耳元で言った。
「あなたは、癒された」
強い光が、心の内をなでる。
お願い、目をあけて。
フランスは、おそろしい気持ちで、じっとシャルトル教皇の顔を見つめた。
お願いよ。
主よ。
どうか、連れて行かないで。
フランスは震える手で、シャルトル教皇の頬にふれて言った。
「聖下、聖下。どうか、目を覚ましてください」
美しい睫毛が、シャルトルブルーの瞳をすっかりかくしている。
彼の頬は、ぞっとするほど、冷たかった。
フランスは、すこし声を強くして言った。
「シャルル、起きて!」
美しい睫毛が、わずかに震えて、そっと、持ち上げられる。
シャルトルブルーの瞳が、ゆっくりとフランスに向けられた。
「フランス……」
「聖下」
フランスは、自分が息をしていなかったことに、その時気づいた。
大きく息を吸い込む。
シャルトル教皇は、何度か瞬きをしたあと、助祭に向かって言った。
「騎士団長に、信頼できるものだけ連れて、死体を秘密裏に処理するよう伝えろ」
助祭はそれを聞いて、急いで出ていった。
シャルトル教皇が、壁に手をつき、立ち上がる。
痛むのか、顔をしかめながらだった。
聖なる力では、身体の損傷をすべて癒すことはできない。小さな傷や打ち身なら回復できても、深い傷ならば、そうはいかない。
この様子じゃ、傷はある程度残ったままだわ。
致命的ではないにしても。
シャルトル教皇が、苦しそうな声で言う。
「フランス、手間をかけさせました。もう、部屋に戻ってください。何も、見なかったことに」
「でも、治療をしないと」
シャルトル教皇が首をふる。
「ここには、信頼できるものが少ない。手当は、助祭が戻ってきたら、してもらいます。彼は、多少医術に長けていますから」
「せめて、止血だけでもさせてください」
フランスがそう言って、血に濡れた服にふれようとすると、シャルトル教皇が強い口調で言った。
「わたしに、触れるな!」
フランスは、驚いて手を止めた。
シャルトル教皇が、まるで後悔するように顔をしかめてから、すぐに、つらそうな様子で言う。
「あなたには……、見られたくない」
見られたくない?
傷を?
「どうか、行ってください。明日、あらためてお話しましょう。今は、ただ、何も見なかったことに……」
「……はい、聖下」
壁にもたれて、ようやっと立っているような様子の、シャルトル教皇の姿が、まぶたの裏に焼き付いたようだった。
部屋に戻っても、どうしても消すことができなかった。




