第150話 無茶苦茶バプテスマ
フランスは、ためらった。
これ以上聞くのは、残酷かもしれない。
でも、シトーが今もずっと無表情で、まるで自分事に関心がないように過ごして、誰にも触れることなく、ひたすら主に寄り頼むようにして生きていることが気にかかる。
彼自身が、そうなってしまった理由を、もっとよく見ないと、ちゃんと理解できないような気がした。
「シトー、言いたくなかったら、言わなくてもいいからね」
シトーがうなずく。
「あなたの母親は、あなたに何と言ったの」
聞きたくはなかった。
きっと、つらいことに違いない。
でも、そのつらさも、ともに背負いたい。
シトーはしばらく、無表情なまま、何も言わなかった。
でも、これ以上聞くなという、手をあげる仕草もしなかった。
フランスは、じっと待った。彼にとって、口にすることすら、すごく力のいることかもしれない。
ずいぶん長い間、ふたりとも黙っていた。
シトーが、ようやっと口をひらく。
「穢れた子」
フランスは耳をふさぎたかったが、手をぎゅっとにぎりこんで耐えた。
シトーが続けて言ったのは、ひどい内容だった。
罪の子、悪魔、呪われた者、死神、ばけもの、ゆるされない者。
おさない子が、母親から何度もそう言われるところを想像すると、のどのあたりがぎゅっと詰まるような苦しさを感じた。
フランスは、苦しい気持ちのまま聞いた。
「あなたが、人に触れることも、あまり言葉を言わないのも、そのせい?」
シトーはまた、しばらく間をおいてから、言った。
「穢れているから……、触れることも、何かを言うこともしてはいけないと言われていた」
そうやって、ずっと過ごすのは、どんな心地がしただろう。
甘えたかったにちがいないのに、抱きしめてと望むことも、その望みを口にすることも、母親の袖をひくことも許されないまま過ごした、幼いころのシトーを思う。
もう何も言わないと思っていたのに、シトーがつづけて言った。
「ある日、あんまり飢えていたから、母の手に触れて、腹が空いたと言った」
「うん」
「その日、母が死んだ」
まさか。
フランスは、冷えた気持ちのまま言った。
「シトー、まさか、あなた母親が死んだのが、自分のせいだと思ってる?」
シトーはうなずきはしなかったが、否定もしなかった。
「あなたが、穢れた者だから、あなたが、触れたから、声をかけたから、母親が死んだと思ってるの?」
だんだんと、強い口調になってしまう。
悲しい。
悔しい。
それに、今は、怒りさえ感じる。
シトーがうなずく。
フランスは涙をこらえきれずに、泣きながら、叫ぶように言った。
「シトー! このバカ! そんなこと、あるはずないでしょ! あなたのせいなんかじゃない! あなたは穢れてなんかいない!」
フランスは、悲しみでか、怒りでか、ふるえる声で言った。
「触れてよ。わたしは、あなたが触れたからって、死んだりしない」
フランスがシトーの手にふれようとすると、シトーはよけるようにした。
「触れたって、言葉をかけたって、わたしは死んだりしない!」
シトーが困ったような、すこし怯えたような顔をする。
フランスは立ち上がって言った。
「あなたが、自分を穢れていると思うなら、わたしが洗ってやるわ。何度でも、綺麗になるまで、洗ってやる! 来なさい!」
フランスはシトーの服をひっつかんで、ひっぱった。
シトーが、おそれるようにして逃げて、フランスから距離をとる。
「シトー、これは、上司命令よ。ついてきなさい」
フランスは、そう言ってから、まよいなく池に向かってずんずん進んでいった。
ずんずん進んで、そのまま池に入る。
ざぶざぶと、勢いよく足元で音がする。
冷たいはずなのに、何も感じない。
頭のどこかで、フランス自身、思っていた。
今、きっと、頭に血がのぼって、とんでもないこと、しでかしてるわ。
フランスは、振り向かずに、池の中をどんどん進んで言った。
水はあっというまに、腰までの高さになり、胸の高さになった。
次の一歩をふみだしたとき、急に深くなっていたのか、そのまま頭のてっぺんまで沈んでしまった。
服が重い。
さすがに、頭が冷えて来る。
じたばたやってみるが、足が底につかなくて、どうしようもない。
これは、まずいかもしれないわ。
息苦しくなってきた。
腕をぐいっとひかれる。
次の瞬間、水面に顔が出た。
咳き込みながら息をする。
目の前に、青い顔をしたシトーがいた。
首まで水につかっている。
フランスは、咳き込みながら言った。
「シトー、バプテスマよ。あなたも、頭のてっぺんまでつかりなさい!」
フランスはシトーの肩に手をやって、沈めてやろうと思いっきり押した。
びくともしない。
が、シトーは、あきらめたのか、そのまま沈んだ。
シトーが沈むと、フランスも沈む。
すぐに、シトーが立ち上がったのか、フランスも両腕をつかまれた状態で、水面に顔をだした。
目が合う。
フランスは強い口調で言った。
「わたしは父と子と聖霊のみ名によって、あなたに洗礼を授けます」
シトーの両頬に手をやって触れながら、言う。
「どうか、望みの神が、あなたを信仰によるすべての喜びと平和をもって満たし、精霊の力によって望みにあふれさせてくださいますよう」
フランスは、一度ひっこんだ涙が、どうしようもなくあふれて、思いっきり泣きながら言った。
「シトー、どうかわかって。あなたのことが大好きよ。あなたは穢れてなんかいない。とってもきれいよ。もし、あなたが、自分の心を傷つけつづけるなら、わたしが癒し続ける」
フランスは、正面からシトーの首に手をまわして、ぎゅっと抱きしめ、言った。
「あなたは、癒された」
あたたかな光が、心の内をなでる。
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おまけ 他意はない豆知識
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【洗礼】
全身を水にひたすか、頭部に水を注ぐか、頭部に水滴をつけるか、やり方は色々。
罪を洗い清め、新しい生命を与えるというようなニュアンスがある。
イエスは弟子たちに「すべての民に、父と子と聖霊のみ名によって洗礼を授けなさい」と言ったらしい。
【聖句】
新約聖書 ローマ人への手紙 15章13節
どうか、望みの神が、あなたがたを信仰によるすべての喜びと平和をもって満たし、精霊の力によって望みにあふれさせてくださいますように。




