第141話 わたしって女じゃなかったんだ
フランスは、イギリスの隣で、めまぐるしく貴族たちの挨拶を受けながら、徐々に、イライラとした心もちになっていった。
ふうん。
そうなんだ。
へえ。
イギリスの挨拶の受け方は、ごく簡単な彼なりのルールに基づいているらしい。
どんなに大きな領地持ちの領主が来ようが、地位の高い聖職者が来ようが、相手が男であれば尊大な素振りをする。
挨拶をする男への返答はこんな感じだ。
「会えて嬉しいよ」
「うわさは聞いている」
「覚えておこう」
これならまだましなほうで、気に食わなかった相手にはさらに雑になる。
「そうか」
「わかった」
「ふうん」
さらに口を動かすのも面倒な相手には、手をひらひらっと振るだけのこともある。
あっちへ行け、というような仕草で。
まあ、相手も悪いわね。
皇帝陛下にすり寄ろうという魂胆が見え見えすぎるのは、たしかに相手をするのも疲れるわ。
だが、相手が女だった場合は、随分と様子が違う。
女が挨拶をのべると、尊大な態度はなりをひそめ、イギリスは礼儀正しく挨拶をする。
「お会いできて嬉しいです」
「素敵なドレスがお似合いです」
「美しい方に覚えていただけるとは、身に余る光栄です」
女の前では、例外なく、姿勢をただして、紳士らしい態度だった。
さすがに帝国の皇帝に向かって、手を差し出す淑女はいないようだが、もし差し出されでもしたら、立派にキスでもおくるだろう。
そういう感じの態度に見えた。
フランスは繰り返される挨拶の中で、そういったイギリスの女に対する態度を見ていると、だんだんと、つらくなった。
そうなのね。
ずいぶん、ちがうのね、淑女の皆様には。
最初に会ったときから今まで、イギリスがフランスに向ける言葉や態度は、ここでの分類で言うと、男だ。
もしくは、こう言ってもいい。
女に向ける態度ではない。
べつに、変なことじゃないわ。
最初の出会い方がまずかったし。
それに……。
良くない考えに行き当たって、フランスは悲しくなった。
『わたしは、彼がきちんと対応すべき淑女じゃない。元奴隷だもの。身分のひくい、いやしいもの』
そんな考えがよぎって、つらくなる。
いいえ、陛下はそんな風に、思う方じゃないわ。
今までの彼の態度や様子を見ていれば、そう思える。
それなのに、なぜか頭の中から、この良くない考えを振り払えなかった。
しばらくすると、挨拶の人の波は引いていった。
まわりの人だかりがなくなると、イギリスがフランスに顔をよせて、小さな声で言う。
「どうした、疲れたのか?」
フランスは、なぜか急にむかっとした気持ちが勝って、言った。
「いいえ、ちょっとショックを受けていただけです。陛下の私への態度は、ご令嬢がたやご婦人方にされるのとは随分ちがう様子だったので。どうやら、わたしは男か、使用人みたいなもののようです」
イギリスが驚いた顔をした。
こんな風に言うべきじゃないわ。
一体、何様のつもりかしら。
フランスは急に申し訳なくなって言った。
「すこし疲れたようです。涼んできます」
フランスはイギリスの腕においていた手をはなして、いそいで二階に向かった。会場の中ほどにある階段を上がれば、二階の廊下にはテラスがいくつか用意されているはずだ。
うしろから、おそらくイギリスがついてきている。足音がした。
フランスは気づかないふりをして、先を急いだ。
「聖女」
うしろからイギリスが呼ぶ声がする。
フランスは振り向かず、足も止めなかった。
今は、放っておいて。
頭の中がぐちゃぐちゃするのよ。
イギリスのことを責めたくはないのに、顔を見れば何か言ってしまいそうだった。
たとえ、男や使用人にする態度を、イギリスがフランスに向けていたとして、それの何が責められるだろう。
まっとうな対応かもしれない。
彼は帝国の皇帝で、自分は、元奴隷の、卑しい身分の者なのだから。
……ちがう。
陛下は、そんな風にする方じゃないわ。
でも、本当に?
まるで、自分が聖女だから特別だとでも思っているのかしら。
滑稽ね。
「聖女」
フランスは後ろから聞こえる呼び声から逃げるように、小走りに階段を駆け上がった。
アリアンスが抱いている怖れとおなじだわ。
ばかげていると思いながら、どうしても心に抱いてしまう怖れ。
『いやしい身分のわたしは、彼がきちんと相手をするほどの者ではない』
それが、こんなに悲しい……。
彼といると、いつもみたいに強くいられない。
二階の廊下をテラスに向かって急いでいると、強い調子で呼ばれる。
「フランス!」
フランスは、思わず足をとめた。
手をぎゅっとやる。
今、自分はどんな顔をしているだろうか。
振り向くのもおそろしかった。
こんな……。
こんなときに……。
はじめて名前を呼ぶなんて。
フランスは、怒りたいんだか、泣きたいんだか、よく分からない気持ちで、後ろを振り向いた。
イギリスが、困ったような顔で、そこにいた。




