第132話 夜のひとり散歩
フランスは教会に戻り、すべての仕事を終えて、もう眠ろうと、ひとり自室にいた。
鏡台の前で髪をとかす。
自分の姿を見ながら、今日あったことを思い出していた。
シャルトル教皇の、とんでもない過去を聞いてしまった。
ため息がでる。
まさか、聖下が、あんな思いを抱えていらしたなんて。
過去を知る者は、数えるほどだと言っていたわね。
どこまでが、知る者かしら。
いいえ、本当に、ほとんど知らないかもね。
知られては、いけないことだもの。
シャルトル教皇が、本当はどこに教国を導こうとしているのか……。今日は、どうしても、そればっかり考えてしまう。
フランスは唇を人差し指でとんとんと叩いた。
考える時のくせが出る。
こんな気分じゃ眠れないわ。
考え事をするなら……。
散歩よ!
フランスは寝間着姿にマントを羽織って、そっと部屋を出た。
もうみんな、部屋でくつろぐか、寝ているだろう。教会はしんとしている。広場にいこうか、と思ったが、もっと開放的な場所がいい。
フランスはイギリスのいる天幕のほうに向かった。
もう帝国の騎士の姿も、使用人の姿もない。
フランスは、そっと、天幕の横を通り過ぎて、歩いた。この前、アリアンスと話した生垣のある場所まで来て、教会を背にして、座る。
もっと教会から離れて遠くまで行きたいところだけれど、あぶないものね。
フランスはひざを抱えて、マントにくるまった。
風が、ざあっと草をなでる。
ブールジュが言っていた、東西の対立……。
おそらく、ブールジュの就任式典で、さらに溝が深まるだろう。東側は、女が大司教と同等の座につくことを望んではいないのだから。
そのうえ、フランスがあのストラをつけて参加すれば、教皇直属の権威を持つ聖女のお披露目にもなる。
さらには、女助祭まで……。
絶対に、とんでもなく、東側の不満が高まるわ。
ブールジュが就任するという話は、もうある程度出回っているのかもしれない。だが、フランスのことはどうだろう。フランスでさえ寝耳に水なのだから。
世の中は、もっとでしょうね……。
やれやれだわ。
本当に、そんな世の中になるかしら。
シャルルの導く先の世界に……。
そうなった世界は、どんな感じかしら。
見てみたい。
自由を選べる世界を。
フランスの手に、甘えるように顔をよせたシャルルの姿を思い出す。
いやーーーッ‼
聖下、かわいい。
聖下、かっこいい。
聖下、すてき。
大好き。
フランスは、自分の高ぶった心を落ち着けようと、大きく息を吸って、長く吐いた。
今や、シャルトル教皇の地位も人気もすっかりこの教国に定着した。
女とみまごう美貌、ガブリエルもかくやという慈悲深い微笑み、その反面、戦争上手と言われ、数々の国を教国にとりこみ、国力を飛躍的に伸ばしたと言われている。
彼のことを、枢機卿の頃から、ずっと見ていた。
でも、知らなかった。
シャルルの本当に望むところ。
きっと、この時期を見計らっていたのね。
教皇の座についてすぐに、教国の在り方を大きく変えることなんてできない。
もしや、これを実現するために、すべてを行っていた可能性もある。
民からの信頼を築き、貴族からの信頼も築き、そして、教国を大きく変えていく。
なんて、すごいのかしら。
また、好きになっちゃうわ。
聖下は、覚えていらっしゃらないでしょうけれど……、むかし中央の修道院の大書庫で、姿を見て以来、ずっと好きだわ。
枢機卿時代の聖下も、かっこよかったな。
どんなときも、かっこいい。
フランスは、はじめてシャルトル教皇とあった日のことを思い出した。
*
ぐったりとするフランスの目の前で、ブールジュがわくわくした顔で言う。
「ね、あとで、講義が終わったら、お菓子買いに行こう! 中央のお菓子、たっぷり買って帰るのよ! クソ田舎にはない、最高のお菓子をね!」
アミアンが、フランスのとなりで、フランスの手をもみもみしながら言う。
「いいですね! おこぼれをください!」
「ばかね、アミアン! おこぼれまくるぐらい買うわ! 持つべきものは小遣いをくれる兄貴ね! 兄貴万歳! アミアンもフランスもわたしも、身体が二倍に増えるくらい、お菓子を買ってやるわ!」
アミアンが笑って言った。
「楽しみです! ね! お嬢様!」
「うーん」
ぐったりするフランスの顔を、アミアンがのぞきこんで言った。
「あらら、だめですね。講義までに回復できるといいですけど」
ブールジュが、にやっとしながら言う。
「回復しなくてもいいんじゃない? 堂々とサボれていいじゃない」
フランスは、馬車の揺れをうらめしく思いながら言った。
「だめよ。年に一回の特別講義よ。きっと、尊いお話が聞けるに違いないわ」
ブールジュが、やだやだ、という風に手をふって言う。
「ばかね、尊いわけないでしょ。尊いふりがうまいやつの話ってだけよ」
とんでもないブールジュの言いように、笑ってしまう。
フランスとブールジュとアミアンを乗せた馬車は、聖女教育を担う田舎の女子修道院を出発して、もうずいぶん走っていた。
一年に一回の、特別講義と言う名の、お楽しみ的な遠足だ。
中央の町が近づいている。




