第131話 一生、聖下のそばにいます♡
フランスは信じられない思いで、シャルトルブルーの瞳を見つめた。
絶対に、聞いてはいけない内容だったわ。
フランスは、おそろしい心地のまま言った。
「聖下……、そのようなことをお話になるなんて……」
シャルトル教皇は、じっと、フランスの瞳を見つめたまま言った。
「この事実を知るものは、ほんとうに数えるほどです」
「……」
「言ったでしょう。心の底から、あなたが欲しい。わたしにとって、これは……、致命的な事実です。あなたなら、守ってくださると、信じています」
フランスは、うなずいた。
本当に、致命的な事実よ。
これが世間に知られたりしたら……。
教皇の地位が一瞬にして揺らぐほどの事実だわ。
主の女であることをやめた、罪ある女の胎から生まれたもの。
それは、この教国において存在をゆるされない。
過去に、婚姻しようとした聖女は、民から石を投げられて、殺された。それほど、聖女が処女性を捨て、聖なる力を放棄するということが、教国ではつよく忌避されている。
もし、今、鏡があるなら、のぞいて見てみたかった。きっと、今、自分は青ざめた顔をしているに違いない。
フランスは、シャルトル教皇に握られている手を、ぎゅっと握り返した。言葉では、伝えられない気がした。どう言うべきかも分からない。
ただ、自分は、聖下の味方でいたいということだけ、伝わって欲しかった。
おたがいに、しっかりと手を握り合う。
シャルトル教皇は、表情をくずすことなく、淡々と話をつづけた。
「わたしの母は、教国のはしの田舎で、ひっそりと隠れ住んでいました。どうやら、友人だった、靴職人の夫婦をたよって、そこに落ち着いたようです。隠れながらでは、ろくな仕事もできなかったようで、食べられない日のほうが多いような生活でした。だからと言って、教国を出ることもできなかったのでしょうね。国境を超えるには、身分を明かす必要がありますから……」
シャルトル教皇は、一度フランスの手をぎゅっと握ったあと、そっと手をはなして、フランスの前にお茶をおいた。
「どうぞ、飲みながら聞いてください。おそろしい思いをさせてしまいましたね」
ふたりで、お茶を飲む。
冷えたお茶が、喉のおくを滑り落ちた。
シャルトル教皇は、持ち上げたカップの中のお茶をじっと見つめながら、無表情に言った。
「ある日、聖女だった母が、かくれ住んでいることがばれました」
フランスは、黙って、彼の横顔をじっと見た。
「わたしはその日、外に出ていたんですよ。靴職人をしている夫婦のもとで、手伝いをして日銭をかせいでいたんです。おさない子供の手伝いでしたが、パンを買うくらいの金にはなりました。彼らも、けっして裕福な生活ではありませんでしたが、かわいそうに思って、手伝いをさせてくれたんです」
彼は、じっとカップの内側をのぞき込んでいる。
何かが見えるみたいに。
「今は、助祭をしてくれている幼馴染は、靴職人の夫婦の息子です。その日、手伝いをしていたわたしのところに、顔を青くして彼が走ってきました。彼は、逃げろと言うんです。母が聖女であることがばれたから、逃げろと……」
彼が持つカップは揺れたりはしなかった。
フランスが持つカップが揺れた。
「わたしは走りました。騒ぎが起きている場所はすぐに分かった。町の広場に、人が集まっていました。口々に、なにか野次をとばしたり、罵倒したりしているんです」
おそろしいわ。
フランスのカップを持つ手が、はっきりと震える。
「そこに母がいました。広場の真ん中に」
シャルトル教皇の表情は変わらない。
彼は、カップの内側を見つめたまま、かわらず、淡々と、無表情に言った。
「母は……燃えていたんです。生きたまま」
なんてこと……。
フランスは、震える手で、持っていたカップをテーブルに置いた。
震えたままの手で、シャルトル教皇の手にあるカップをそっと、その手から外すようにする。
彼はすぐに手を離した。
その手は、震えてはいない。
ただ、ひどく冷えていた。
フランスは、カップをテーブルに置いてから、両手で、彼の手をあたためるようにした。
シャルトル教皇は、テーブルの上に置かれたカップに視線をやったまま言った。
「なぜ、聖女が子をなしたからと、隠れておびえるように暮らさねばならないのでしょうか。なぜ、自ら望む道を歩めないのでしょうか……。母は、聖女になることを、望んではいなかった。なぜ……、生きながら、燃やされる必要があったのでしょう。主の愛は、すべてのものの上にあるはずなのに」
シャルトル教皇の青い瞳が、ゆっくりとフランスに向けられる。
美しい顔は無表情なのに、青い瞳の奥におそろしい炎が見えるような気がした。
シャルトル教皇が、すこし、言葉を強くして言う。
「聖女だけではない、この国の女には、どんな権限もありません。修道女にはなれても、助祭にすらなれない。ましてや、この国を変えることのできる権限を持つ地位になど、女が座れるはずもない」
そうだ。
この国の権力は、すべて男が持っている。
女には、この国の在り方に否を唱える機会は、ひとつも、ない。
シャルトルブルーの瞳が、まっすぐにフランスを見つめている。彼の言葉には、強い響きがあった。
「それが、正しいことでしょうか? わたしには、間違ったことのように見えます。聖女も、自分で選び取るべきだ。己の道を。すべての女が、男と同じように、そうあるべきです」
なんだか、不思議な心地がした。
それは、今まで、どの男も声を大きくしては言わなかった。
フランスは、シャルトル教皇の言葉にじっと耳をかたむけた。
「女が男よりも、劣っているでしょうか? アダムの骨から作られたから? いいえ、ちがう。アダムに足りなかったから、神がつくった。アダムにさえできないことを、女がするために。子をなすことも、聖なる力も、女にしかない」
シャルトル教皇が微笑む。
ぞっとするような燃える瞳で。
その言葉も、燃えるようだった。
「間違っているならば、正せばいい」
シャルトル教皇は、フランスの手を、口もとに近づけて、顔をすりよせるようにした。母に甘える子供のような仕草で。
「わたしと、ともに歩んでください、フランス」
「はい、聖下」
「あなたは、わたしの母に似ています。だから、こんなに惹かれるのかもしれない」
「聖下……」
「シャルルと言う呼び方は、幼いころ、母が呼んでくれた名です。名を呼んでくださいますか?」
フランスは、心をこめて呼んだ。
「シャルル」
シャルトル教皇が、そっと目を閉じて、まるで神に祈るように言った。
「側にいると……」
フランスは、迷わず答えた。
「あなたの……、側にいます、シャルル」




