第129話 ほしいって言われちゃった♡
フランスは、余計なことは何も言わないように、口をつぐんだまま、シャルトル教皇の向かいにすわって、お茶を飲んでいた。
美味しいはずのお茶だが、味がしない。
笑顔をキープすることに、全神経を集中する。
わたしは、陰りのないもの。
仮面舞踏会で不良な遊びなどしていない、清らかな聖女よ。
聖女の微笑みよ。
シャルトル教皇は、フランスの正面の長椅子に座り、ゆったりとお茶を飲んでいる。
彼は何も言わず、ときおり、にっこりと微笑んで、お茶を飲む。
執務室に通されて、いつもの助祭がお茶を用意して去ってから、今に至るまで、ふたりとも最初の挨拶以外はなにも話していない。
これは、最初に何か言うと負けな気がする。
フランスはもう開き直って、だまったまま、シャルトル教皇の美しい姿を堪能することに決めた。
ああ、今日もお美しいわ。
黙っているのが辛いような気もしたけど、そんなことないわね。
一生沈黙したままでも、見つめていられるわ。
聖下、すてき。
フランスは、うっとりした心地でシャルトル教皇の顔をじっくり見つめ続けた。
シャルトル教皇が、にっこりと、ようやく口をひらいて言う。
「そんなにずっと見て、面白いですか?」
「はい。ずっと見ていられます」
フランスが正直に答えると、彼はくすりと笑って、彼の座る長椅子のとなりをぽんぽんとして、言った。
「では、どうぞ近くで見てください」
えっ、いいの⁉
フランスは、遠慮なくシャルトル教皇のとなりに移動して、引っ付き気味にすわった。
そして、まじまじ見る。
うわあああ。
最高!
近いと、さらに良い‼
まつげまで、お美しい。
繊細な美術品のようね。
うっとりしちゃう。
「どうやら、あなたはわたしの顔を気に入って下さっているようですね」
「はい、好きです」
「正直ですね」
お顔以外も、ぜんぶ、好きです。
シャルトル教皇が、美しい睫毛を、ゆっくりと誘うように動かしてから言った。
「それなら、わたしがこの顔で一生懸命お願いをすれば、あなたは聞き入れてくださるでしょうね?」
お願い?
フランスは、嫌な予感がして、ちょっと離れようと姿勢を正した。
「おや、離れてはいけませんよ。もうすこし、近くへ」
シャルトル教皇が、そう言いながら、美しい指をちょいちょいとやって、近くに来るようにと指図する。
フランスは、即座に近くによった。
「いい子ですね」
はい!
いい子です!
「じつは、お願いがありまして」
ああ、嫌な予感。
でも、どうせ逆らえはしないのだから、ここは、じっくりと、聖下の香りもお顔も堪能させていただきましょう。
フランスは、シャルトル教皇の睫毛の動きを目で追いかけつつ、腹をくくって言った。
「なんなりとお命じ下さい」
「実は、今度西側で大聖堂ほどではありませんが、大きな聖堂が完成します。まあ、ほぼ、大聖堂と言ってもいい大きさのものです」
なにか、含みのある言い方ね。
「それは……、大聖堂とは言えない理由があるのでしょうか」
「あなたは、賢いですね。さらに気に入ってしまいます」
気に入ってください。
もっと。
「実は、その聖堂の司教の座に、ブールジュ聖女が就任する予定です」
「ブールジュが……」
それは、とんでもない話になってきたわ。
大聖堂ほど大きな聖堂なら、通常は大司教ほどの権威を持つものが就任するはず。
それは、過去いずれの場合も——。
女が座ったことのない座だ。
フランスは、うっとりしていた顔をひきしめて、シャルトル教皇を見た。
彼の思惑は一体どこにあるのかしら。
シャルトル教皇が、微笑みを深くして言った。
「察しが良いところも、素敵ですね」
フランスは、最も心配なことを聞いた。
「ブールジュが就任することに反発はないのですか」
「ええ、ありますよ」
シャルトル教皇が、ささやくように言う。
「あなたも一緒に見たでしょう。反対する勢力を」
フランスは思い出した。
仮面舞踏会でこっそりと密会していた東側の貴族たちと——、ガルタンプ大司教。あのとき、たしかに『聖女』という言葉が部屋から聞こえた。
ブールジュのことを話していたのね。
「東側は反対しているのですね」
「ええ、そうです。西側は、西方大領主の娘が聖女なわけですから、聖堂の司教としてブールジュ聖女を座らせることに前向きです。一族意識が強いですからね、あそこは」
フランスは、気を引き締めて言った。
「わたくしは、何をすればよろしいのでしょうか」
「ブールジュ聖女が司教に就任する式典に、あなたも参加してほしいのです」
フランスはじっと、シャルトル教皇の瞳を見つめた。
このもったいつけかたは……、参加するだけではなさそうよ。
おそろしいことね。
「それは、東側の聖女としてですか?」
フランスがそう聞くと、シャルトル教皇が嬉しそうな顔をした。
「ああ、わたしは、ほんとうに、あなたのことが欲しくなってしまいました」
ぞっとするような、美しいシャルトルブルーの瞳が間近にあった。
シャルトル教皇が、机の上におかれていた布を手に取って、広げた。
ストラだわ。
隠されていた、刺繍が内側からあらわれる。
そこには、はっきりと特別な紋章が刺繍されていた。
あの紋章は……。
なんてこと。
フランスは、信じられない気持ちで、シャルトル教皇を見つめた。
シャルトル教皇が天使のように美しく、女と見まごう美貌の笑顔をこちらに向けて優しい声で言った。
「あなたには、教皇直属の聖女として式典に参加していただきたいのです」
聖女にだけ着用をゆるされる純白のストラが机の上に広げられている。そこには、二つの紋章が刺繍されていた。
ひとつは、聖女をあらわすユリの紋章。
そして、もうひとつ。
シャルトル教皇直属であることをあらわす、騎士団の者たちが身につけていた紋章と同じものが、はっきりと刺繍されていた。
こんなこと!
前代未聞よ。
とんでもないわ。
ブールジュが大司教ほどの座につくとしたら、フランスに与えられたこれは、枢機卿たちほどの権威を与えられることになる。
これもまた、女が座ったことのない座だ。
一体、何をお考えなの……。
シャルトルブルーの瞳が、じっとフランスの瞳をのぞきこんでいた。




