第128話 聖女と侍女のおしゃべり時間
フランスは目の前が怪しく溶けるような感覚がして、目をぱちぱちとした。
目の前にあるのはちいさな木製の天井だ。
揺れている。
馬車の中だった。
自分の手をもみもみしているアミアンと目が合う。
フランスは、馬車の座席に横になったまま言った。
「今日も、陛下つらそうだったの?」
アミアンがニコッとやって答える。
「あ、お嬢様ですね。ええ、今日もおつらそうでしたねえ。ほんと、おかわいそうで……。でも」
「でも?」
「今日はなんだか、ちょっと余裕な感じもありました。竜に運ばれるより、はるかにマシだそうで」
フランスは、心の底からうなずいて言った。
「そうでしょうね……ほんと竜に運ばれるのって、地獄の苦しみよ」
「そんなにですか」
「そんなによ」
フランスは、起き上がり、窓の外をのぞいた。
「今日はまだついていなかったのね」
「ええ、ですが、中央大聖堂はもうすぐだと思いますよ。もう、先の方に町が見えてきています」
「ほんとね」
フランスは、座席にふかくもたれかかり。おおきめのため息をついた。
アミアンが笑って言う。
「お疲れですね」
「もう、最近、心配な人が多すぎて……。メゾンとカーヴも心配だし、アリアンスとオランジュも心配だし、陛下のことも心配だし、シトーのことはもうずっと心配しているし」
「カーヴは、その後また騎士団に行きたいと言ってきたんですか?」
「いいえ。また話を聞いてみなくちゃね」
「あのふたりなら大丈夫な気もしますけどね。アリアンスとオランジュなら大丈夫そうですよ。今朝も一緒にいるところを見かけました」
「そうなのね! 仲直りしたんだ」
「まあ、オランジュは相変わらず仏頂面してましたが、アリアンスは笑顔でしたし、大丈夫でしょう。アリアンスも、お嬢様と一緒で、ひとのこと放っておけないタイプですし。彼女のほうから、オランジュに歩み寄ってあげてるんじゃないですか」
アリアンスって、ほんと、聖女っぽいわよね。
本物の聖女より。
フランスは、小さくため息をついて言った。
「オランジュの髪、もとにもどるといいけれど……」
アミアンも、同じように小さくため息をついて言う。
「そればっかりは、わからないですね。どうやら、何かはっきりと心に思いつく原因もないみたいですから」
「そういうのって、つらいわ」
フランスが、しょんぼりした気持ちで窓の外を眺めていると、アミアンが、明るい声で言った。
「そういえば、陛下がお嬢様の飛び方がひどいひどいって、ずっと文句を言われてて……」
アミアンが、そう言いながら面白そうに笑う。
フランスは、強気に言い返した。
「そんなに、ひどくないわよ!」
「とんでもなく下手だから、ひどく酔ったと仰ってました」
「なんですってええええ」
これ見よがしに悪口言ってたのね!
あんなに、しっかりとお世話したのに!
とんでもない恩知らずの竜よ。
アミアンが、楽しそうにつづける。
「あと、すっぱいキイチゴばっかり食べさせる、とんでもないいじわる聖女、と仰ってました」
「酸っぱいのばっかりじゃないわよ! 三個中二個がすっぱかっただけよ!」
「ほとんどはずれじゃないですか」
アミアンが、思いっきり笑った。
フランスは肩をいからせて言った。
「あとで、文句言ってやるわ。わたしの悪口ばっかり言ってたのね」
アミアンが、イギリスの仏頂面をまねて、ちょっと声を低くして言う。
「流行りのドレスばっかり気にして、たいして練習していない」
「言うわね!」
「歌がへたすぎて、教えるどころじゃない」
「あの! あの! 顔ばっかり男‼」
アミアンが腹をかかえて思いっきり笑う。
フランスも思いっきり笑った。
「ひどいわ! わたしのいないところから喧嘩売って来るなんて。後で絶対言い返しに行ってやるから」
「喜ぶんじゃないですか?」
「どういうこと?」
「陛下、どうもお嬢様が言い返してくるのが面白いらしいです。へらず口聖女なところは気に入ってるって仰ってました」
「ほめてないでしょ。腹の立つ」
「仲良しさんです」
フランスはひとしきり笑ってから、力を抜いて言った。
「ほんと、ありがたいことね。帝国の皇帝陛下だって、ついつい忘れちゃうほどよ」
「わたしもです。あまりにもお可愛いが過ぎます」
「たしかに」
フランスは、イギリスのぷにぷにほっぺを思い出しながら言った。
「きっと、いなくなったら寂しくなるわね」
「教会におられるのは一ヶ月の予定ですもんね。あっという間に半分以上すぎてしまいました」
フランスは自分のほっぺをつついてみた。
イギリスのほっぺのほうが、やわらかかった……。
フランスは心の底から言った。
「わたし……ほんと、寂しくなると思う」
アミアンが、笑顔で言う。
「飛んできてもらいましょう」
「飛んできてくれるかしら」
「それは、言葉にして伝えてみないと」
「そうね。今度言ってみよう。とびっきり美味しいお菓子を目の前にぶらさげてね」
「陛下、お肉と甘いもの好きですもんね」
「かわいいわよね」
「かわいすぎます」
アミアンとふたりで、イギリスの可愛いとこ情報交換をやる。
フランスは大得意で言った。
これは、知らないでしょう。
「ほっぺが、ぷにっぷによ」
「それは、知っていました」
「えっ! ずるい! 知ってたなら教えてよ」
「お嬢様が、陛下のことをつつきまわして、いじめるかもしれないと思って黙っていました」
「いじめないわよ!」
「陛下は、魚料理が苦手です」
アミアンの新情報に、フランスは前のめり気味に聞いた。
「え、そうなの? 陛下って、魚食べないの?」
「お昼に魚料理しかないと知ると、見るからに残念そうな空気をまとわれるんです」
「そうなんだ」
かわいい。
「骨がのどに刺さりそうでこわいから、嫌いだそうです」
かわいい。
フランスは笑いながら言った。
「へたくそなのね、魚食べるの」
「みたいですね」
「陛下ってちょっと不器用なところあるものね」
「陛下は、ほとんど不器用です」
アミアンのきびしい評価に、フランスはめちゃくちゃ笑った。
「お嬢様と同じです」
アミアンのきびしい評価がフランスにまで向いて、フランスは一気に真顔になった。
不器用じゃないもの。
フランスが頬をふくらませると、アミアンがそれをつついてつぶす。
窓の外に、中央大聖堂のある町が姿をあらわす。
フランスは、シャルトルブルーの瞳を思い出して言った。
「今日は聖下とお会いするのが、ちょっと怖いわ」
「え、珍しいですね。お嬢様が、聖下と会われるのに、様子がおかしくなっていないのは」
様子がおかしいって、なによ。
いたって普通よ。
仮面舞踏会でろくな挨拶もできないまま、シャルルと別れてしまった。
今日は一体どんな話が飛び出るやら。
ああ。
めんどうなことが、ありませんように。




