第127話 本当に悪魔はいる?
フランスが午後の仕事を急いで片付けていると、アリアンスが来た。
礼拝堂から執務室に向かう途中で、アリアンスと目が合う。
どうやら、フランスに用事があるのか、ひとりでまっすぐ、フランスのほうに向かってくる。
フランスは、足をとめて聞いた。
「あら、アリアンス。どうしたの?」
「聖女さま、もしよろしければ、お話を聞いていただきたくて」
アリアンスが話を聞いて欲しがるなんて、めずらしいわね。
「まあ、告解室に行く?」
「いいえ、できればお顔を見て、お話したいのです。ふたりだけで」
フランスは、うなずいて言った。
「いいわ。今すこし余裕があるから、ふたりですこし歩く? それか、わたしの部屋に行ってもいいけれど」
アリアンスが、美しく微笑んで言った。
「では、散歩にご一緒させてください」
「ええ。行きましょ」
フランスは教会の裏に向かって歩いた。
アリアンスがとなりを歩いてついてくる。
イギリスの天幕の近くを通ると、そのあたりで鍛錬している騎士団の姿が見えた。
フランスはその中に、小さな騎士の姿を見つけて言った。
「あ、カリエールね」
アリアンスも、そちらに目をやって微笑みながら言った。
「帝国の騎士団の皆さんには、本当に良くしていただいています」
カリエールが、騎士団の男たちと、おもちゃの剣で遊んでいるようだった。
おっと、遊んでるなんて思っちゃ失礼よ。
カリエールは立派な騎士様だもの。
鍛錬中ね。
今は、イギリスは一緒にはいないようだった。
フランスとアリアンスは、その様子を遠目に見られる場所で、古い生垣に並んで座った。
あたりには誰もいない。
ここでなら、話していても、誰かに聞かれることはないだろう。
気持ちのいい風がふいていた。
フランスは、アリアンスの美しい横顔を見つめて言った。
「どうしたの? あなたが、わたしのところに相談に来るなんて、めずらしいわ」
アリアンスが、困ったように微笑んで言った。
「シトー様にも聞いていただいたんです。でも……、どうしても、聖女様の言葉をいただいてみたくて」
「もっと気軽にもらいに来てちょうだい。言葉ならいくらでも出てくるわ」
アリアンスが笑った。
本当に美しくて、愛らしい。
風に揺れる毛先まで、愛らしく揺れている気がする。
アリアンスは、落ち着いた様子で言った。
「今からお話することは、本当にばかげていることなんです。自分でも、そうじゃないと思い続けているのに、どうしても、考えてしまうことがあるんです。それが、もうどうしようもなくて……」
フランスは、だまって、次の言葉を待った。
カリエールの笑い声が、風に乗って届く。
アリアンスは、しばらく間をおいてから、ぽつりと言った。
「オランジュが言ったことは、本当かもしれません」
「オランジュが言ったこと?」
「はい。わたしは、本当に悪魔のような女かもしれない、と」
フランスは、そんなことはない、と言おうとして、アリアンスの顔を見た。
見て、やはり言わないでおいた。
そんなことはない……。
アリアンス自身もそう思っているけれど、どうしてもそういう考えを抱いてしまうということだろう。彼女の顔は、落ち着いていた。
フランスは、気楽な調子で聞いた。
「どうして、そう思うの?」
「わたしのまわりにいる人たちが、次々にわたしを置いてゆくのは、わたしのせいじゃないかと、どうしても考えてしまうんです。そんなことないと思いながらも、どうしても考えてしまいます。父も、母も、カリエールの父親であるわたしの幼馴染も、スタニスラスも……。みんな……、先にいってしまいました。それも、数年おきに。どうしても考えてしまうんです。わたしが悪魔のような者で、彼らの命を奪っているとしたら……」
あたたかな風も、今はなんだかよそよそしく感じる。
フランスは、じっと、風が通り過ぎるのを待った。
「わたしは、どうしてもカリエールだけは守りたいんです。なのに、わたしが悪魔なら、カリエールのことまで……。それに、わたしに良くしてくださるメゾン様まで、わたしが……」
最後のことばを、アリアンスはしぼりだすようにして言った。
「殺してしまったら」
フランスは、アリアンスが泣くかもしれないと思った。
彼女の声はたしかに震えていた。
でも、彼女の瞳からは、ひとつの涙もこぼれなかった。
生垣の上においてぎゅっと握りしめている彼女の手が、力をいれすぎて真っ白になっている。
アリアンスは優しくて美しいだけじゃない。
強い人だわ。
彼女は、今、自分の恐怖とたたかっているように見える。
フランスは、まっすぐに、アリアンスを見つめて言った。
「ばかげたこととは思わないわ、アリアンス。あなたのこころに忍び寄る、そのおそれこそ、悪魔かもしれない」
アリアンスが、フランスの瞳をじっと見つめた。
フランスもじっと見つめ返した。
お互いの瞳のなかに、お互いの姿を見ているような気がした。
姿が映り込むように、アリアンスの瞳の奥にまでもぐりこんで、言葉が届くといい。
主よ、どうか、正しき者の前に道を照らしてください。
悪魔の声につかれはて、道を見失わないよう。
フランスは、神の前に祈りをささげるときのように、強い気持ちで言った。
「あなたは、おそれを捨て去り、主の愛とともに歩む。いつ、いかなるときも、光はあなたとともにある。アリアンス、あなたは闘わなければならない。内なる悪魔の声は、おそろしいものよ。あなたのすべてを奪おうとやって来るでしょう」
アリアンスは、息を殺すようにして、じっとフランスの言葉を聞いているようだった。
「アリアンス、あなたが悪魔の谷を渡るなら、わたしもともに渡る。あなたが道を見失うのなら、わたしが灯りを持ってゆく。あなたが信じられないと言うなら、あなたが信じられるようになるまで、何度でも言葉にするわ。あなたのもとから愛する者たちが去ったのは、あなたのせいじゃない。あなたは彼らから何も奪ってはいない」
フランスは確信して言った。
「あなたは与えたわ。真心と愛を」
アリアンスが、はじめて苦しい顔をした。
フランスはアリアンスの額にキスをおくった。
アリアンスを抱きしめて、そっと言う。
「あなたは、癒された」
光が、心の内をなでる。
祝福の光が、あたたかな風のように通り過ぎる。
癒すべき傷はなくとも、光が、彼女の心に癒しを与えてくれるといい。
フランスは、ぎゅっと、アリアンスを抱きしめた。




