第113話 ふれてほしいひと
フランスは、シトーのもとに走った。
走り寄って声を掛ける。
「シトー、とっても待たせちゃった?」
シトーが首をよこにふる。
フランスは笑顔で言った。
「帰ろう」
ふたりで並んで門を出ると、そこらじゅう馬車でいっぱいだった。会場に近い場所は、立派な貴族の馬車でうまっている。
この様子じゃ、きっと、むかえの馬車は、うんと向こうの方で待っているわね。
ふと視線を感じて、シトーのほうを見る。
シトーがじっと、フランスを見ていた。
「どうしたの?」
フランスが聞くと、シトーが道のはしによる。フランスもついていった。
シトーが持っていた袋から、フランスのいつもの履きなれた靴をとりだす。
「すごい、なんで足が痛いのが分かったの。ありがとう、とっても助かるわ」
フランスは靴を受け取ろうとしたが、シトーはそのままフランスの足元にしゃがみこんだ。
そっか、コルセットをしているから、かがみづらいし。ドレスの裾が大きすぎて、自分でははきかえられない。
シトーが、フランスの足には直接触れないように、そうっと持ち上げて、舞踏会用のヒールのある靴を脱がす。
わ、これってなんだか恥ずかしいかも。
シトーは、まるで壊れやすいものを扱うように、そうっと靴をはかせてくれる。
靴をはきかえると、足が楽になった。
「ありがとうシトー。やっぱり、いつもの靴が一番ね。おしゃれな靴は窮屈だわ」
フランスは、シトーが持つ舞踏会用の靴を見た。
ダラム卿が仕立て直したドレスと一緒に渡してくれた、ドレスとそろいの色の靴。
女たらしって、人のドレスのサイズも分かっちゃうし、足のサイズまで分かっちゃうの? ぴったりだったわよね。
フランスが靴を受けとろうとすると、シトーは袋にそっとしまって、そのまま持った。
フランスが「ありがとう」と言うと、シトーは、ただ頷く。
ふたりでしばらく歩くと、ひとけのない小さな広場に出た。粗末な馬車がひとつだけとまっている。
ずいぶん舞踏会の会場からはなれたので、このあたりにはもう、他の馬車はいないようだった。
「あら、御者がいないわね」
あたりを見わたすが、誰もいない。
もしかして、待ち時間が長いから、どこかへ行っているのかしら。
「まあ、そのうち帰ってくるわね」
そう言ってシトーの顔を見上げると、シトーがうなずく。
しばらくそこらで待つが、御者が帰ってくる気配がない。
フランスは、となりに立つシトーを見た。彼も気づいて、フランスを見る。
フランスはにこっとして言った。
「シトーも、踊ってみない?」
シトーが、戸惑ったような顔をする。
「大丈夫よ、触れなくても踊れるわ。教えてあげる」
シトーがうなずく。
フランスは彼の前に立って、足の動かし方を教える。足元を見ながら、シトーの足の動きに合わせて、フランスも動く。
「あとは、くりかえしよ。簡単でしょ?」
お互い向き合ったまま、フランスは自分のすそを持ち上げて、シトーは腕をおろしたまま。
踊る。
月明かりの中。
さびれた小さな広場で、音楽もない。
けれど、楽しかった。
時々、合わなくてぶつかりそうになる。
フランスは、ぎこちなくて愛らしいシトーの踊りに、思わずくすくす笑った。
なんでも、できるけれど、ステップは下手だわ。
かわいい。
ふと、シトーが足をとめたので、フランスは足元ばっかり見ていた顔をあげて、シトーを見た。
笑顔があった。
まるで、控えめで、ほとんど無表情と変わらないけれど。
ほんのすこし、口元が微笑んでいる。
シトーの、笑顔。
フランスは嬉しくなって言った。
「楽しいね」
シトーがうなずく。
何も言わないだろうと思ったのに、シトーが口をひらいた。
「すごく。きれい」
そう言うシトーの表情の方こそ、きれいだと思った。
彼の目に、もっと、美しいものが映ればいい。
どんな、ささいなものも。
「シトーも、とってもきれい」
フランスがそう言うと、シトーがすごく微妙な顔をした。
フランスは笑った。
そのうちに御者が帰って来て、ふたりで馬車に乗り込む。シトーはフランスの向かいに座った。
居心地のよくない座席にゆられて、すこし気持ち悪くなりながらも、よく踊ったせいか、うとうとと眠気が襲ってくる。
フランスのその様子を見てか、シトーが、フランスのとなりに移動した。
彼は何も言わない。
「肩をかしてくれるの?」
フランスが聞くと、シトーがうなずく。
「ありがとう。ちょっと気持ち悪いし、眠たくなっちゃった」
シトーの肩にそっと頭をのせる。
視線の先に、シトーが膝の上にのせる彼の手があった。
大きな男のひとの手。
裁縫のような細々したことも、薪割や畑仕事のような荒い仕事もする、すこし荒れた手。
そういえば、直接聞いたことがない。
なぜ、触れようとしないのか。
修道院では、異性に触れてはいけないという戒律があった。でも、今は、彼をしばるそういった戒律はない。
男女のそれではないにしても、親しい人同士がするような触れ合いすら、彼は自分にゆるしていないように見える。
何か物を渡すときも、フランスに触れないよう、細心の注意を払っているようだ。書類を渡してくれる時も、直接は渡さない。机の上にぽいっと置くようにする。
どうしても支えなければいけないような状況でも、触れあうのは布越しで、決して直接触れることはない。
フランスは、うとうとする頭で考えていた。
言葉にしなきゃ、分かり合えない。
今度、シトーに聞いてみよう。
シトーが、何を思っているのか。
あなたのことを、もっとよく知りたいから。
わたしの家族。




