第111話 魔王さまは、やっぱり、ゆるせない
フランスは、ひりひりする目元を、ハンカチでおさえた。
ようやく、感情がおちつきはじめる。
目の前にある、ハンカチの刺繍を見る。カヌレとネコのいびつな刺繍。
使って、くれているのね……。
イギリスは、フランスの腕をつかんだまま、側に立っていた。つかんだ腕は、強すぎることはなく、ただそっと触れるようにしている。イギリスも、今は仮面を外していた。
フランスは、ハンカチをはなして、イギリスをじっと見た。
イギリスが、おそれるようにして、言う。
「落ち着いたか?」
「はい」
「きつく言って悪かった」
「いいんです。そう、見えたでしょうから」
イギリスからすれば、婚約していた隣国のお姫様と同じような悪女に見えたのかもしれない。
フランスがしおらしくすると、イギリスがちょっと元気になって言った。
「たとえ敬愛する相手でも男だ。ふたりで、あんな場所に行くな」
「でも」
「それに、そのドレス」
「あ」
そういえば、仕立て直したドレスを、仕立て直し前のかたちで着て来た。
しまった。
ばれちゃった。
イギリスが不機嫌な顔で言う。
「きみは気にしなさすぎる上に、無防備すぎる」
無防備なんかじゃないもの。
「これは、ただたんに流行りのドレスです」
「流行りのドレスを着るなと言っているわけじゃない。肩も胸も出すぎているのが、良くないと言っているんだ」
何が、悪いのよ。
「でも、かわいいじゃないですか」
「どこがだ」
「ドレスのかたちも、肩と胸のかたちも含めて」
なんだか柔らかそうだし、このまるい肩と胸のラインはかわいいと思う。そこにあしらわれたドレスのフワフワが、めりはりが効いていてかわいい。
イギリスが、また、鼻で笑うみたいにして言った。
「ほう、なるほど。きみはドレスも、きみの胸元もふくめて、かわいらしいから見せびらかしているんだな」
見せびらかしているわけでは、ないけれど。
いや、そういうことになるのかしら。
フランスは、強気に言い返した。
「見えたって変じゃないでしょう。かわいいと思うんですけど」
見えちゃまずい部分じゃないと思うし。
「そうか」
イギリスはそう言うと、じっとフランスの胸元を見た。
じっくり見られる。
わ。
フランスは途端に不安になって、両手で胸元をかくして、小さく言った。
「そう見られると恥ずかしいです。やっぱり、そこまでかわいくないかもしれないし」
イギリスがいじわるな顔で言う。
「いいや、きみが言うように、かわいい」
じゃあ、いいじゃない。
フランスがそう思って、イギリスをにらむと、イギリスがおどすようにして言った。
「あんまりかわいいから見せびらかすな。きみもよく知っているだろう。悪魔にとりつかれた男が、そのかわいいのを目当てに寄ってきたらどうする」
フランスは、イギリスの姿になったとき、妙な気持ちで女の身体に執着したことを思い出した。
そっか……。
フランスは、しょんぼりして言った。
「わかりました。もう着ません」
イギリスが、ひとつ息をついてから言った。
「今日のきみは、とびきりきれいだ。目が離せないほど。それに、ずいぶん、かわいい」
フランスは、しょんぼりと下げていた視線を、イギリスに向けた。
「だから、今日はもう他の男とは踊るな」
イギリスが、そう言って、フランスからすこし離れた。
彼は、礼儀正しい様子で言う。
「わたしに、あなたと踊る栄誉を与えてくださいますか?」
イギリスが、手を差し出す。
フランスは、彼の手の上に、自分の手をそっと乗せて言った。
「よろこんで」
イギリスにエスコートされて、舞踏会の会場にもどりながら、フランスは言った。
「やっぱり、このドレスかわいくないですか?」
「まだ、言うんだな。かわいすぎる」
そうよね、かわいいわよね。
問題があるにしても。
はじめて着た、悪女っぽくない、最新流行のドレス。ダメだと分かっても、やっぱりかわいくて、そんなドレスを自分が着ていると思うと、嬉しくなってしまう。
フランスは上機嫌に言った。
「陛下の前なら、着ても問題ないですよね?」
「どういう意味だ」
「陛下は、悪魔にとりつかれたり、なさらないでしょう?」
イギリスが、無表情のまま言う。
「魔王だぞ? 悪魔よりたちが悪いかもしれない」
フランスは吹き出した。
笑いながら、イギリスみたいにいじわるな顔をつくって言う。
「悪女を泣かせるくらいですもんね」
「そうやって、わたしのことをいじめ続けるつもりだな」
「陛下がいじめたんじゃないですか」
「いじわる女」
「いじわる男」
「かわいい」
「美男」
「歌へた」
「歌へた」
ふたりで笑いながら、悪口を言ったり、褒めたりする。
何これ。
変なの。
でも——、とっても楽しい。
会場内に入るまで、仮面をかぶってからもずっと言い合ったままで、音楽がはじまっても言い合ったまま。言い合いしながら、お互いに礼をして、踊りはじめる。
さすがに踊りはじめたら、ふたりとも黙ったが、リラックスして踊っていると、急にイギリスがからかうみたいに向きを変えたりする。
驚きはするが、あまりにエスコートがうまいので、体制を崩すことはない。
フランスは音楽が盛り上がったところで、ぴょんと跳んでやった。
イギリスが驚きながらも、そのまま持ち上げるみたいにしてくるりとやる。
イギリスが、笑いながら言った。
「とびかかるな。凶暴だな」
「楽しいです」
「そうか」
もうすっかりくっつき慣れたからか、遠慮のないふたりの踊りが、フランスの頭から悲しい日の面影を少しずつ遠ざけてくれるようだった。




