第109話 行っちゃだめなとこ♡
フランスはダラム卿と別れて、会場内をそぞろ歩いていた。
ふと、足をとめる。
良い香りがした。
高貴な、花のような香り。
今すれちがった人……。
フランスは、そっと振り向いた。
今しがたすれ違った男も、フランスの方をふりむいていた。
えっ。
せ、聖下?
たぶん、聖下……。
かなり顔をしっかりと隠す仮面をしているが、大好きなシャルトル教皇を、フランスが分からないはずがなかった。
なんとなく、感じる。
あれは、聖下だと。
シャルトル教皇っぽい男が、こちらに向かってくる。
フランスは、とっさに——。
逃げた。
まずい!
聖女が、こんな不良な遊びをしているところがばれたら!
だが、人が多くて、思うように進めない。すぐに腕をつかまれた。
男の声がする。
「逃がしませんよ」
絶対に、聖下のお声。
お声までも、美しいのだから、聞き間違えるはずがない。
フランスがおそるおそる振り向くと、仮面ごしにも美しい男が、にっこりとして、そこにいた。
シャルトルブルーの瞳。
間違いなく、聖下!
なぜ、こんなところに!
フランスが何も言えずにいると、シャルトル教皇は、いいことを思いついた、という様子で言った。
「ここで会えたのも、何かの縁ですね。わたしと一緒に、お話しましょう。ね」
お話しまーーーす‼
フランスは頷いた。
シャルトル教皇は、フランスの手を握り、迷いなく進んでゆく。進んで、舞踏会の会場の中ほどにある階段を登っていった。
そして、来た。
ダラム卿が、言っていた場所。
『いくつかの休憩室が用意されていますが、いけない男がつかう場所なので、近寄ってはいけません』
まさに、そう言われていた場所に、フランスは来た。
これは……。
聖下って、いけない男だったの?
素敵。
階段を上がった先には、ふかふかの絨毯が敷かれた廊下があった。幅のひろい廊下で、左右にいくつも部屋が並んでいる。
ただ、不思議なことに、壁という壁に、垂れ幕のようなものがかかっていた。
装飾的にあつらえてあるが、どうも、垂れ幕と壁の間に空間があるようだった。いくつかの垂れ幕の下から、ドレスの裾がのぞいている。
シャルトル教皇に手を引かれて、廊下を歩く。
垂れ幕と壁の間にいる人からだろうか、くすくすと笑うような声や、女性がきゃっと小さく笑うような声がする。ひそひそと囁くような声が、そこかしこに満ちていた。
うわあ。
なんだか、かなり、怪しい雰囲気。
フランスは、ちょっとワクワクした。
シャルトル教皇は、廊下のつきあたりにある部屋の前の垂れ幕を、勢いよく開けた。
そこには、一組の男女がいた。
わああああ!
フランスは、心の中で叫んだ。
垂れ幕を開けた、その場所で、男女が、絡み合うようにして、おもいっきりキスしている。
フランスは、思いっきり見た。
しっかり、目を見開いて、見る。
貴重な光景!
男女のやつ!
女性が垂れ幕をあけられて、きゃっと叫んで男から離れる。
シャルトル教皇がしれっとした声で言った。
「おや、失礼。妻に似ているように見えたので」
キスしていた女性は、仮面を外していた。あわてて顔を隠し、走り去る。男が、シャルトル教皇に舌打ちをして、女性を追いかけて去って行った。
シャルトル教皇は、さっきまで男女が絡み合っていた場所に、フランスを引っぱり込むようにした。
垂れ幕をおろしてしまうと、まるで小さな密室のようになる。
「聖下」
フランスがそう言うと、シャルトル教皇が、ひそやかな雰囲気で、しいっと言った。
彼はひそひそと言う。
「シャルルと、呼んでください」
フランスもひそひそ声で返す。
「はい、シャルル」
「いい子ですね」
いい子でーーーすッ‼
フランスは必死で、落ち着いた顔をした。
シャルトル教皇が、くすくす笑いながら言う。
「いえ、いけない子でしょうか。仮面舞踏会で、男とふたり、こんなところで遊んでいるなんて」
いけない子でーーーすッ‼
フランスは、うるさい脳内を落ち着けて言った。
「こんなところで、お会いするとは、思いもよりませんでした」
「本当ですね。お互いに、いけないところを見られてしまったかもしれません」
「……」
シャルトル教皇が、愛らしく首をかしげて、お願いするように言う。
「内緒にしてくださいますよね?」
しまーーー
「します」
すると、いくつかの足音が近づいてきた。
複数の重い足音。
男女のそれではない。
おそらく、男が何人か連れだって、急ぎ足に歩いている。
複数の男の足音は、ちょうどフランスとシャルルのいる垂れ幕の隣にある扉をひらいて、入っていったようだった。
シャルルが、口もとに人差し指をあてて、静かに、という仕草をする。
フランスは頷いた。
シャルルが、壁をまさぐるようにすると、小さな板がはずれた。穴があいている。穴から部屋の中の光がもれているようだった。
耳をすますと、なにやら話し声が聞こえる。
何人かの男が、話をする声。
フランスのところにまでは、何を話しているかは、聞こえなかった。シャルルは、じいっと、その穴に顔をよせて見つめている。
フランスは、その様子をじいっと見つめた。
一体、何を確かめようといているのかしら?
シャルルが、フランスの視線に気づいて、両手でフランスを引き寄せるようにする。壁にある穴が、目の近くにくる。フランスは、シャルルの胸にもたれかかるみたいにして身体をかたむけ、穴の中をのぞいた。
何人かの男がいる。
これは……。
どの方も、東側の有力な貴族ね。
あ。
ひとり、マントを目深に頭からかぶった男がいるが、動くたびにちらりとのぞく顔は、見覚えのある顔だった。良いものを食べていそうな、たぷたぷしたあご。
あれって、ガルタンプ大司教?
なるほどね。
仮面舞踏会は複数の貴族が集まってする舞踏会だ。人の出入りも激しい上に、招待状を持ってさえいれば身元をあかす必要も、顔を見せる必要もない。
密会するには、うってつけだわ。
しかも、ここは『いけない場所』と言われている所だ。こそこそと人が来ることはあっても、堂々とここらでくつろぐものはいないだろう。
人目を避けると言う意味でもぴったりだ。
フランスは、すぐに顔をはなして、シャルルに場所をゆずった。
シャルルが、穴から部屋の内側の様子を、あらためてじいっと見たあと、穴に耳をよせるようにした。微動だにせず、集中している。
ふと、漏れ聞こえる声の中に、『聖女』という声が聞こえたような気がした。一体、部屋の中で、どんな企み事を相談しているのだろうか。
フランスは、耳をすませながら、近くにあるシャルルの顔を見つめた。
真剣な青い瞳。
素敵。
でも、どうしよう。
フランスは、邪魔したくなくて、じっとしていたが、脳内はまたしても大音量の叫びで充満していた。
シャルルが、フランスを引き寄せたまま、じっとしているので、まるで抱きしめられるような形のままでいる。
主よ、どうか、あわれなわたくしをお救いください。
息もできそうにありません。
と、思いつつ、深く息を吸って、シャルトル教皇の高貴な花のような香りを堪能する。
あ~。
聖下、大好き。
聖下、大好き。
聖下、大好き。




