第101話 根源的な欲求は、癒された
フランスは、イギリスの顔を見た。
なぜ、思いつかなかったのかしら。
たしかに、呪いも病のようなものだとしたら、癒しの力が効くかもしれない。
フランスは、慎重に言った。
「もしかして、癒しの力が効く可能性も、あるかもしれませんね」
全員で、目を見合わせる。
し、してみる?
どうする?
イギリスの表情を伺ったが、彼の顔には、とくに何の感情も見えなかった。
フランスはおそるおそる、イギリスに向かって訊いた。
「一度、ためしてみても?」
アミアンが冷静な声で言う。
「今、呪いがすべて癒されたら、竜の姿になれなくなって、鶴と亀を捜しにゆけなくなりませんか?」
たしかに、それはそうね。
ダラム卿が言う。
「このややこしい入れかわりも呪いの一種なら、同時に癒される可能性もあります」
なるほど。
たしかに。
フランスはしばし考えてから言った。
「癒しの対象をしぼってみる、というのはどうですか?」
ダラム卿が驚いた顔で言った。
「そんなことが可能なのですか?」
「聖女の癒しの力は、言葉の力なんです。何を癒すかを、言葉で指し示すことはできます。ほとんど使うことはありませんけれど」
大体、癒された、と言えば事足りる。
聖女教育では、対象をしぼって癒すことも習うが、それは実際にはほとんど使うことのない力の使い方だ。
聖女の力って、ほとんど実際に使うことがない部分のほうが多いのよね。
ダラム卿が、すこし考えるようにしてから言った。
「では、味がわかるように、舌を癒すというのはどうでしょう」
アミアンが嬉しそうな顔で「いいですね!」と言った。
そうね。
いいけれど……。
フランスはすこし考えてから、ダラム卿に言った。
「もしや、それは効かないかもしれません」
「なぜですか?」
「味がしないことが、呪いの根本ではないような気がします。舌が病におかされて味がしなくなっているならば、舌を癒せば良いですが……。陛下の場合、味がしないことは、食欲を失ったことに原因があるような気もします」
「では、食欲を癒せば……」
「それも、根本ではない気がします。食欲も睡眠欲も……」
フランスは性欲も、と言いそうになって、そこだけ飛ばして言った。
「人の根本的な欲求です。生きるための。癒すならば、そこを指し示す必要があるかもしれません」
フランスはイギリスのほうを向き、彼の瞳を見つめて言った。
「効くかどうかは、わかりません。でも、試してみませんか?」
イギリスはちいさく頷いた。
フランスは、イギリスのそばにいった。
目の前に立って、彼の胸元に手をかざす。
主よ、どうかお願いします。
彼は、思いやりにあふれ、あなたが持つ愛と同じものを、持っています。
どうか、呪いの内にあっても、彼が人としての喜びを感じることができるよう、あなたの手のぬくもりを、分け与えてください。
あなたの光は、彼のもとにあります。
アーメン。
フランスは、ひとつ息を吸って、言った。
「あなたの内にある、人が生きるためにもつ根源的な欲求は、癒された」
光が、心のうちをなでる。
祝福の光が、見えた。
だが、それは、ごく小さなものだった。
いつものように、はっきりと感じ取れるほどの、強い光はない。つかの間おとずれた光は、しっかりと感じる間もなく、消えてしまう。
だめかしら……。
ダラム卿が、部屋に用意されていたぶどう酒をついで、イギリスにわたす。
イギリスは、それを、そっと一口飲んだ。
フランスは、じっと息を殺して見守った。
アミアンもじっと、イギリスを見つめている。
ダラム卿も。
イギリスは、しっかりと味わうようにぶどう酒を飲み込んでから、フランスを見つめ返した。
そして、首をふる。
横に。
ああ、主よ。
駄目だったのね。
ダラム卿が小さく言う。
「残念です」
イギリスが、表情をかえずにフランスを見て言った。
「気にするな」
なんだか、申し訳ない。
フランスはその日の夜、しょんぼりした気持ちで、眠りについた。
*
フランスは、夜明け頃に、イギリスの姿になって、彼の天幕で目が覚めた。
のびをして、テーブルの上にあるものを見る。昨日、イギリスが口をつけたぶどう酒が、そのまま置いてある。
フランスは、すこしだけ、口に入れてみた。
何の味もしない。
ぶどう酒の香りだけはあるが、味もしなければ、酒を飲んでいる時に感じる、喉が熱くなるような感じも、腹の内が温まるような感じもしない。
これじゃ、酔えないわけね。
ぶどう酒の香りがするだけの、ただの水だわ。
いや、水ほどの味もない。
何も感じなかった。
イギリスは、おそらく、鼻に抜けるぶどう酒の香りだけを、楽しんでいるのだろう。
フランスは、悲しくなった。
すこしでも期待を持たせてしまったかもしれない。味を感じられるようになるかもしれないと。
でも、癒しの力はきかなかった。
申し訳ない気持ちのせいで、イギリスとふたりで会うのが億劫な気がした。
いつもなら、自室に戻って、イギリスのぼさぼさのままの髪をといたりするが、今日は、天幕の中でひとり、蝙蝠の姿になって飛ぶ練習をしてみる。
鳩の姿同様、かなり簡単に飛ぶことができた。
天幕のてっぺん近くに、ぶらさがって考える。
けっこう、コツはつかめたと思うのよね。
あんまり意識しちゃだめなんだわ。
身体が変われば動きは自然と変わるのかもしれない。今だって、しようと思わなくても蝙蝠らしく逆さになってぶら下がって、翼を身体にくっつけるようにしている。
今夜にでも、また出かけて、竜の姿で飛ぶ練習よ。
そうしたら、次は、鶴と亀ね。
そのためにも、今日はしっかり仕事を片付けないと。陛下と合わせる顔がないとか、思っている場合じゃないわ。
フランスは、人の姿になって、教会の執務室に向かった。
今ごろ、アミアンが陛下の準備を手伝っているだろうから、今日はまかせておいて仕事優先よ。
フランスは、自分を元気づけるように大股で歩いた。自分の私室にこっそり向かうわけではないので、魔王イギリスの姿のまま、執務室に向かう。
歩いていると、違和感があった。
ちょっと……。
あの、あれが、悪い気がするわ。
お股の、あの子のポジションが、よろしくない。
変な歩き方になる。
やあね。
今日のズボンは生地がかたいから、ちょっと……。
先っぽがこすれて、ヒリヒリするかもしれない。
なんとか良さげな位置にもどってくれないかしら。
しかも、なんだかズボンがきついのよね。
ん?
きつい?
フランスは、妙な窮屈さに、自分の股を見た。
……え?
なんか……、は、腫れてる?




