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チョコレートケーキ、できました?  作者: 倉永さな


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《三十九話》束縛の原因

 あたしの視線を受けた圭季はさすがにばつが悪そうな表情を浮かべていた。


「……不快になるよな」


 不快かと聞かれたら、残念ながらどちらかといえばそうだとしか言えない。

 だけど。

 ヘンタイ椿の執拗な追いかけを体験した今となっては、行きすぎてるけどまあいいかと思えてしまう不思議。

 よくない傾向……なのかなあ?

 だけどあたしのことが心配で那津を派遣?していたことを考えると、今更なのかもしれない。


「チョコを見てると、危なっかしくて仕方がなかった」


 ……ドジだからなあ。ううう、反論できないよ。


「おれが目を離した隙にどこかに飛んでいってしまいそうだし、見ていてもなにかやらかさないだろうかって心配だった」


 さすがにあたし、そこまで酷くないわよ! と言いたかったけど、圭季の表情は真剣だったし、口を開いたから反論することは止めた。


「最初はその危なっかしいのを見ていてオロオロしていたんだけど、次はなにをするんだろうと思ったら目が離せなくなった」


 みっ、見られていたなんて知らなかった……!

 今はまだマシになったけど、それでもまだよくポカをするからなあ。

 入学式に反対側の電車に乗ったり、キャンパス内で迷子になったり!

 ……思い出したら落ち込んできた。

 あたしは思い出したことを頭から振り落とすように頭を軽く振った。

 少しだけ頭の芯が痛むのは気のせいだろうか。


「見ているうちに、自分の腕の中に抱え込んで守りたいという気持ちが強くなってきた」


 腕の中に抱えてって……。

 圭季に抱きしめられたことを思い出して、耳が熱くなってきた。今は髪を下ろして耳が隠れているから圭季にはバレていない……はず。


「でも、それに限界があるのが分かった。だからチョコをどこかに閉じこめておきたいと思った」


 那津がそんなことを言っていた気がする。


「そんなこと、不可能だって分かっていた。だからチョコがアルバイトしたい、サークルに入りたいと言ったとき……そんなことをしたらいけないと頭では分かっていたのに、感情がついて行かなくて、駄目だと言ってしまった」


 束縛しようとした原因は分かったけど。


「おれはチョコを失うのが怖かったんだ」


 いやそれ、大げさでしょ。

 あたしは確かにドジだけど、命を失う危険は今までなかったよ?


「おれはすごく臆病なんだ」


 圭季が臆病?


「八歳のクリスマスのとき、おれはチョコを一生守ると誓った」


 あの時、あたしは圭季に対して父と母とは違う

「好き」

という気持ちをうっすらと抱いた。……と思う。

 だけどそれはあまりにも淡くて、そして三歳という歳を考えれば忘れていても仕方がないこと。

 現にあたしは、圭季に会っても思い出さず、クリスマスパーティーに参加するまで忘れていたくらいだ。


「あの約束をした後、千佳子さんが亡くなったと知り、チョコが泣いているだろうからと慰めるつもりでお葬式に行った」


 え? 圭季は母のお葬式に来ていたの? まったく記憶にない。


「チョコはお祖母さんと思われる人にずっと抱っこされていた。チョコはショックだったのか……泣きもしないでぼんやりとしていたから声が掛けられなかった」


 小さかったからと片づけてしまえばそこまでだけど、その辺りのことはまったくといっていいほど覚えていない。

 ショック……だったんだろうな、きっと。


「チョコのことを守れなかったって……悔しかった」


 そこで圭季に責任を感じられても困るんだけどっ!


「前にも言ったけど、チョコにはお袋の味とは言わないけど、おれが作った家庭料理を食べてほしいと思ったから、料理を覚えた」

「うん……。それを聞いたとき、すごくうれしかった」


 しかも感動して泣いた覚えもある。


「だけど、それだけではなかったんだ」

「……え?」


 それだけではないって。まさか餌付け?

 いやいや、まさかねー。

 でも、胃袋を掴めって言うくらいだし。しかもあたしはしっかり掴まれているけど!


「おれは、お菓子が食べられない。だからそれを克服するために料理を始めたのもある」


 料理を作ることが代替ってことね?


「本当ならば、製菓会社の息子らしくお菓子を作りたかった。でも、作ることさえ……いや、作ることだからなのか、考えただけで身体が拒否反応を起こしてしまっていたんだ」


 相当な重症ってことよね、それって。


「だけど料理を作ることはお菓子作りにも通じるところがあるから、作ることを覚えたんだ」


 圭季の家には料理人がいるのにどうして料理をするのか疑問に思っていたけど、そういう理由だったんだ。


「料理をするのはおもしろかった。野菜が、肉が、魚が形を変え、合わさってひとつの料理になる。とても不思議だった」


 あたしも同じことを思ったことがあったからうなずく。


「そうして作った料理を、だれかが喜んで食べてくれる。美味しいと言ってくれる。……ああ、素晴らしいって思った。だからこれがお菓子で同じことをできたらと……」


 そうだよね。

 圭季は橘製菓の跡取り息子。

 すごく悔しかっただろうな。

 しかも料理のセンスももともと持っていたからだろうけど、見た目も味も申し分ない。これがお菓子に対して発揮されていたら、とても素晴らしいお菓子が次々と生み出されていたんだろうな。

 そう考えるとなんだかとてももったいない。


「料理は作れるようになったけれど、お菓子は作るどころか見るのも嫌だった。……一時期はそんな自分が嫌で、自暴自棄になっていた。チョコにとって嫌な話だけど、薫子とつき合っていたのはちょうどその頃だった」


 そういえばつき合っていたって言っていたよね。

 自棄になって……。

 そんなときもあるよね、だれしも。


「チョコとの約束を忘れていたわけではなかった。だけどこんなおれにチョコが守れる訳ないと……。だから手短にいた薫子とつき合うことにしたんだ。会社のことを考えたら、無難な相手だったから」


 跡継ぎとしての打算もあったらってことだよね?

 圭季は大きく息を吐き出すと、自嘲気味にはははと乾いた笑い声を上げた。


「だけど、今考えるとひどいよな、おれ。チョコを守ると言ったのに、それさえせず、約束を破った。しかも薫子はおれの八つ当たりの対象だ」

「……や、八つ当たり……?」

「そうだ。薫子のことは手荒に扱っていた」


 ……手荒?

 手荒れの間違いではなく?

 いや、手荒れだとおかしいか。

 だけど圭季が手荒に扱ってる姿なんて想像できなくて、あたしは首を思いっきり捻った。


「……ったぁ」


 忘れていたけどあたしはけが人だった。動かさなければ痛くないからすっかり忘れていた。


「チョコ、大丈夫か?」


 おろおろとした圭季の声にあたしは力なく笑みを浮かべた。


「大丈夫」

「……無理するなよ?」


 そう言って圭季はちらりと時計に視線を向けた。


「思ったより長居してしまったな」


 と言いながら、圭季は椅子に座り直した。


「ほしいものはなにひとつ、手に入らない。代わりのものは望まなくても手に入ったのに」


 ぽつりと苦しそうに言った圭季の瞳には、今まで見たことのない昏い光が宿っていた。

 なにか言いたいのに、あたしはさっきからほとんど言えていない。

 圭季をじっと見ていると、視線があった。

 さきほどとは一転して、今度は熱っぽい光を宿していてあたしはどきりと心臓が高鳴った。


「代わりで妥協しようとした。だけどやっぱり駄目だったんだ。そして去年の一年間、チョコと一緒に暮らして分かったことがある」


 そうして圭季はあたしの包帯まみれの手の甲にそっと手のひらを乗せてきた。

 圭季の熱を感じて、全身が熱く感じた。


「本物に勝るものはない、と」


 

【つづく】

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