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チョコレートケーキ、できました?  作者: 倉永さな


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《二十九話》久しぶりの語らい

 圭季は機嫌良く、あたしに前と同じような紙を手渡してきた。


「今度はここから近いから、通いやすいと思うよ」


 渡された紙を見ると、圭季と初デートした最寄り駅だった。そこはここから二つ先の駅で、勤務先はどうやら側に建っているデパートのようだ。

 あたしは圭季を見上げる。また無理矢理、ねじ込んだということはないのだろうか。

 あたしの疑心を感じ取ったのか、圭季は言い訳するように理由を述べた。


「急に欠員が出たらしいんだ」


 それが事実かどうかはすぐに分かる。


「ありがとう、ございます」


 だからあたしは素直にお礼を言って、受け取った紙をぎゅっと握りしめた。

 圭季はあたしの肩に手を乗せてきた。思わず身構えてしまう。

 やっぱりあの日の影響があたしの中に色濃く残ってるみたいだ。怖くて仕方がない。

 あたしが身体を強ばらせたことに圭季は気がついて手を離した。


「しばらくの間、シトラスの件で会議続きで帰りが遅くなるだろうけど」

「……うん」

「気にせずに先に寝ていてほしい」


 とは言ってくれるけど、本当は毎日、圭季が帰ってくるのを待っていたい。でも、あたしも慣れない生活と気疲れで申し訳ないと思いつつ、先に寝てしまっている。


「あのっ。帰ってくるの待っていられなくて、ごめんなさいっ」


 あたしのお詫びの言葉に圭季は目を丸くした。


「いや……。チョコも学校があるだろう? しかもこれからはアルバイトも始まる。疲れて休んでしまうのは本末転倒だろう? 無理のない範囲で頑張ってくれればいい」


 そう言われるとあたしはなにも返せない。


「その……圭季も根詰めすぎないでね」

「ああ、ありがとう。大丈夫だよ。チョコの顔を見たら疲れが吹き飛んだから」


 そう言って微笑む圭季はなんだか眩しくて、あたしは思わず目を細めた。


「あの……。シトラスの件」


 そうだ、圭季にお詫びを言わなきゃ。

 あたしのせいでなんだか大変なことになってしまってるようだったから。


「そのことなら、気にしないで。おれの方こそ、その、悪かったな、色々と」


 圭季はバツの悪そうな表情を浮かべ、鼻の頭をかきながらそっぽを向いた。

 まさか謝られるとは思っていなくて、あたしは

「その」

だとか

「あの」

といった意味をなさない言葉をもごもごと口にして、きちんとお礼とお詫びを言えないままうつむいた。

 あたしと圭季の間微妙な空気が流れる。

 なにか言わないとと焦るけど、何一つ思いつかなかった。


「大学」


 圭季も同じようになにか言わないとでも思ったのか、唐突に一言。

 思わずあたしは身構えてしまった。

 そのことに気がついたのか、それとも元からそう聞こうとしていたのか。


「大学には慣れた?」


 そんな何気ない質問に、あたしと圭季はそういった会話さえも交わす余裕がなかったことを思い知らされた。

 そういえばここのところずっと顔を合わせていなかった。だから近況報告ができていなかった。

 去年一年間は圭季は立花センセとしてあたしの側にいて見守ってくれていたけど、四月からは別々になってしまった。

 伝えなくても良かった状況に慣れきっていて、お互いが別の道を歩み始めたために口にしなくては分からないということを失念していた。

 圭季は仕事ってのは分かっていたし、父からの話で大変なのは知っていた。

 でも圭季はあたしのことを知る機会があっただろうか。

 少しでもあたしは自分の状況を圭季に知らせる努力をしてきただろうか。

 ──答えは『否』だ。

 メールは苦手だからと自分からすることは稀。

 圭季の帰りも待っていられずに寝てしまっていた。

 それってやっぱりよくないことだよね。


「チョコ?」


 黙り込んでしまったあたしに、圭季は不審そうな声を上げた。


「大学でなにかあったのか?」


 あたしが答えないのは、大学でなにかあったからと思ったようだ。圭季の読みは正しいけれど、忙しい圭季にこれ以上の負担を掛けたくない。だからあたしは即座に否定した。


「うっ、ううんっ。キャンパスが広くて最初は迷子になったけど、どうにかやってるよ」


 思い出して落ち込みそうになったけど、どうにか笑顔を浮かべることには成功した……と思う。頬はぴくぴくとひきつっていたけど。

 圭季はあたしのぎこちない笑顔をどう思ったのか分からないけど、表情を緩めた。それから口角を上げ、嬉しそうな笑みを浮かべた。


「確かに慣れないと広すぎて迷うな」


 同意してくれたことであたしは勇気づけられた。だから少し軽口をきけるようになっていた。


「もしかして、圭季も迷子に?」

「残念ながら、それはないな」

「う……」


 そ、そうよね。圭季が迷子になっておろおろしている姿は想像つかないわ。そんな愚問をするなんて、あたしが間違っていました。


「慣れたらそこまで複雑な作りではないから、迷わなくなるよ」


 ええ、おかげさまであれから迷わなくはなりましたわ。

 それから圭季はあの教授はどうしてるだとか、大学のことを懐かしそうに聞いてきた。


「おれが卒業したときからあんまり変わってないのか」


 学校という場所は変化に乏しい場所だから、圭季が驚くようなことはないんじゃないかなあ。

 廊下に立ったままということをすっかり忘れ、あたしと圭季は長い間、大学の話で盛り上がった。


「あふ……」


 しかし、ふとした時に思わずあくびが洩れてしまった。


「ああ、寝ようとしていたところ引き留めてごめん」


 圭季にそういわれ、あたしは慌てて首を振った。


「ううん。あたしこそ、ごめんなさい。帰ってすぐに声をかけて」


 あたしはそれだけ告げると慌てて圭季の側から離れ、風呂場へ駆け込んだ。

 追い炊きボタンを押し、ほーっと息を吐き出した。

 圭季が腕を伸ばしてくる前にと思って慌てて離れたんだけど、ちょっと不自然だったかな?

 他愛のない話ができて嬉しかったし、やっぱり圭季のことが好きなんだなという再認識は出来た。

 圭季の温もりを感じたくないわけではなかった。むしろ久しぶりに近くにいたのもあり、本当は温もりが欲しかった。

 でも、やっぱり怖いのだ。

 今日の圭季は酔っぱらっているようには見えなかった。だからあんな乱暴なことはしてこないって分かっていたけど……。

 昔、男の子に乱暴なことをされて以来、あたしは自分とは違う性別である『男』が苦手だったけど、那津と圭季のおかげで克服できたと思っていたのは違っていたようだ。

 那津だから、圭季だから、平気ってだけだったのだ。

 それなのに、その平気な圭季が酔っぱらってあんな乱暴なことをしてきたから、あたしの苦手意識がまた復活してきてしまった。

 圭季のことは好き。

 でも、触れられるのが怖い。

 抱きしめてほしいし、圭季の体温を感じたいって思うけど……。圭季に抱きしめられた途端、嫌だと泣き叫んでしまいそうで怖かった。好きなのに拒絶してしまうかもしれないという恐怖。

 もっと圭季の側にいたい。

 もっと圭季を感じたい。

 そう思う一方で、怖いから遠ざけてしまいたいと思ってしまう、自己矛盾。

 最近の圭季の強硬な態度で避けてしまいたいと思っていたけど、今日、話すことができて良かった。

 だけどやっぱりまだ圭季のことが怖いのは変わらなかった。

 どうすればよいのか分からず、あたしは小さく首を振り、部屋へと戻った。


【つづく】

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