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勘違い男に容赦ない鉄槌を

作者: 薄っぺらい

「アイワース様、お話があります」


 想い人との食事を邪魔されたアイワースは、不機嫌な感情を隠すことなく婚約者のダイアナにぶつけてきた。


「食事中だ。見てわからないのか?

 大丈夫。私がついているから」

「アイワース様・・・」

「見ろ!ブリジットが震えてる。早く立ち去れ」

「いつまでその方を気にかけるおつもりですか?」

「何か色々と勘違いしているようだな。私は、其方がしでかした事のフォローをしているに過ぎない。

 下種の勘繰りは止めてもらおう」

「自業自得ではないですか。頬を叩いただけで済ましたのです。むしろ軽いくらいですわ」


 その時のことを思い出したのか、ブリジットが「ヒッ」と怯えた声を出した。


「彼女を怖がらせるなッ!

 なんて冷酷な女なんだ」

「それでも私はアイワース様の婚約者ですよ。その者より、私に気を遣うべきでは?」

「高位だからと下位の者を徒に傷つけるような其方に、気を遣えと?まずは其方が心を入れ替えるべきであろう」

「私はその者に恥を掻かされたのですよ」

「誰にでも失敗はある。それを責めるのではなく許せと、何度も言っているだろう。高位とは思えぬ狭量さだ」

「許すも何も、その者は真面な謝罪も出来ないのですよ」

「仕方あるまい。半年前まで、ブリジットは自分が貴族であることを知らなかったのだ。貴族としての作法や、常識など未熟であっても当然であろう。

 侯爵令嬢ならば、笑って許し、導くくらいの器量を見せるべきであろう?」

「つまりアイワース様は、どのような被害に遭おうとも、侮辱されようとも、ただ笑って耐えろと?」

「何故そのように極端に言う。侯爵令嬢として相応しい振る舞いを身につけるべきだと私は申している」

「ですから、私、その者の無礼に対して罰を与えました。それは非常に軽いものと思っております」

「何故そうなるッ!話の通じない奴よ。まったく可愛げのない」


 ダイアナとアイワースの言い分は平行線のまま、お互い1歩も譲ることはなかった。しばし無言で睨み合い、先に目を逸らしたのはアイワースであった。アイワースは軽く溜息を吐くと、真剣な眼差しをダイアナに向けた。


「其方との婚約は祖父同士が決めたものだが、其方の態度や心構えが変わらないようであれば、婚約破棄も辞さぬ。このままでは互いに不幸になるだけだ。よく考えることだな」


 そう言い終わると、アイワースはブリジットを伴って食堂を後にした。



 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 食堂の件から5日が経った休日に、ダイアナの父親(レイノルド)がアイワース達をホテルに呼び出していた。ダイアナと両親が並ぶ反対側には、アイワースとブラウン夫妻のスコットとリーンが座っている。ブラウン夫妻は今回の目的を聞かされておらず、部屋に入った時から緊迫した空気に戸惑い続けていた。ブラウン夫人が何度も尋ねるも、アイワースは何も答えず不機嫌そうに明後日の方を向いている。


「実は、ダイアナとアイワースが共に結婚を望んでいないことがわかったのでね。2人の婚約について話し合いたいと呼び出した次第だ」


 父親(レイノルド)の言葉にダイアナと母親(ホリー)は静かに頷いた。対してブラウン夫妻は驚きの声を上げる。


「待て、レイノルド。いきなり何を?」

「ええ。どういう事です?」

「実は、先日、アイワースが娘に「婚約を破棄する」と脅す発言をしたようでね」


 ブラウン夫妻がレイノルドの言葉の真偽を確かめようと、もの凄い勢いでアイワースに顔を向けた。


「ち、違う。私はそんなことは言ってない。出鱈目だ」

「大勢の学生がいる食堂で発言したと娘から聞いている。他の生徒に聞けば、嘘か本当かはすぐにわかるぞ。虚偽の発言は心象を悪くする。よく考えて発言するように。それはダイアナ、お前もだ。わかったな?」

「はい、お父様」

「アイワース、君はわかったのかね?」

「――ッ。わかりました」


 アイワースはレイノルドの言葉に渋々頷いた。


「スコット、リーン、突然のことで驚いただろうし、状況がつかめていないだろう。最初から説明するので、まずは最後まで聞いて欲しい」

「――わかった。まずは話を聞かせてくれ」


 ブラウン夫妻は緊張した面持ちで、レイノルドに向き合った。


「事の発端は、3ヶ月前のことだ。

 娘が食堂で、ブリジットと言う生徒に水をかけられ、追い打ちをかけるように娘が持っていた料理をひっくり返した。そのせいで娘の制服は料理まみれになってしまった。ちなみにブリジットは1年生で、半年前まで訳あって平民として生きていたので、娘とは当然面識はない。引き取ったのはマレー家で、我が家とも関係はない。スコット、ブラウン家はマレー家との関わりはあるかい?」

「いや。名前は知ってるが、ウチも関係ない。確か、――子爵家だったか?」

「その通りだ。話を続けよう。

 娘は酷い目に遭わされたわけだが、ブリジットは「てへぺろ」と言って、舌を出して笑ったらしい。

 ダイアナ。何度も聞くが、お前は『てへぺろ』が何か、知らないのだな?」

「はい、初めて聞いた言葉です。正直、本当に『てへぺろ』と言ったのか、今でも自信がありません」

「わかった。スコット、リーン、アイワース、君達は何か知っているか?」


 レイノルドの問いに3人とも首を振る。


「そうか。この『てへぺろ』が何なのかわからないが、少なくとも謝っているとは考えられない。娘もそう思ったらしく、無礼を働いたブリジットの頬を叩いたそうだ。

 問題はこの後だ」


 レイノルドに厳しい目を向けられたアイワースは、その迫力に耐えられず目を背ける。


「アイワースが娘の行為を非難したのだ。それだけではない。汚れてしまった娘の姿を見て笑ったのだ」

「違う!」


 アイワースが突然大声を出し、レイノルドの言葉を否定した。その表情には必死さと焦りが浮かんでいる。言葉だけ聞けば、アイワースの取った態度がどれだけ酷いかわかる。しかしそれを認めるわけにはいかない。それを認めてしまえば、悪いのはアイワース自身になってしまう。これまでの言葉や行為が全てが悪になってしまう。


「何が違うのかね?」

「笑ってはいない――です。それと、ブリジットは、その・・・。その、――ドジっ娘なんです」

「――?すまない。その『ドジっ娘』という言葉は聞いたことがなくて・・・」


 レイノルドが尋ねるように顔を向けてきたが、ダイアナも初めて聞く言葉だった。周りを見渡すも、ホリーもブラウン夫妻も不思議そうな顔をしていた。ただ1人、アイワースだけは気まずそうに皆から目を逸らしている。


「アイワース、その『ドジっ娘』について教えてくれないか。君がブリジットを庇うというのなら、それなりの根拠があるのだろう?その『ドジっ娘』がどういうものが何なのかわからなければ、私達は判断のしようがない」


 しばらく黙り込んでいたが皆の視線に耐えられなくなったのか、アイワースは言い辛そうに『ドジっ娘』について説明を始めた。


「だからッ、彼女はダイアナを辱めるようなつもりはなかったんです。ただの事故だったんです」


 説明を終え、ブリジットの無罪を訴えるアイワースだったが、ダイアナはやはりアイワースの言い分が理解出来なかった。


(これなら、私が嫌いだからブリジットを贔屓していると言われた方が、まだ納得出来ますわ。あの様子だと、本気でブリジットが悪くないって思ってそう。気持ち悪ッ)


 他の者はどうなのかと窺うと、両親もブラウン夫妻も驚いた顔のまま固まってしまっていた。ダイアナがふと視線を感じてそちらに目を向けると、アイワースが睨むように見ていた。目が合った瞬間、アイワースは怒りを露わにした。


「ブリジットはまだ貴族社会に慣れていないんです。それなのに、ダイアナは彼女の失敗を許さず、謝罪も受け入れず暴力を振るったんです。それはッ、侯爵という身分に相応しい振る舞いと言えますかッ。むしろ困っている彼女を助け、導くことこそ上位貴族の役目と考えます。違いますか?」


 アイワースの怒鳴るような言葉で我に返ったレイノルドは、しばし考える素振りを見せた後、理解出来ないと言った様子でアイワースに問いかけた。


「君の言葉を整理させてもらうと、ブリジットは、何もないところで転んでしまう、飲み物をよくこぼしてしまう失敗の多い子――ということで間違いないかい?」

「概ねそんな感じです。でも、言葉にすると難しいんです!それだけじゃないんですッ」

「でも、間違ってはいないのだろう?」

「それは、そうですけど・・・」

「私からすれば、先程の人前で舌を出す行為も含め、ただの幼子のように思えるが。それも自身の失敗を省みない、成長しようという意思の欠片もない愚図だとしか」

「ち、違います!ブリジットはそんな子じゃ・・・」

「それなら聞くが、そのブリジットと同じような子はアイワースの周りにはいるのかい?他の生徒は皆、年相応の振る舞いをしているのではないのかい?

 ダイアナ、お前はブリジットのような子を他に知っているかい?」

「いいえ。私の友人は勿論、その様な振る舞いをする者は、ブリジット以外に知りません」

「だ、そうだ。アイワース、反論はあるかい?」


 アイワースはレイノルドの言葉に答えることなく、ただ首を横に振っただけだった。


「それなら、話を戻そうか。

 アイワース、君は先程も娘の行為を非難したね。服を汚されても許せ、と。

 それならば、君は給仕に服を汚されてもそのように対応する――ということだね?決して咎めることなく、汚れた服のままホテルを出て歩けると」

「待ってください。ブリジットはドジっ娘だと言ったではないですか。それにどうして外に出て歩かないといけないのですか?ダイアナの時と状況が全く違います」

「そうかね?それなら、君はこの事件が起こる前からブリジットを知っていたと言うことになるが?以前から知っていたのか?」

「いえ、その時が初めてです」

「つまりその時君は、見ず知らずの者に婚約者が恥を掻かされているにも関わらず、助けるどころか笑ったと。そして舌を出して意味不明なことを言ってきた相手を許せと」

「その、――笑ってはいません・・・」

「娘は笑われたと言っているが・・・。

 まぁ、良い。そこは突き詰めても答えは出まい。しかし娘を庇わなかった、許せと言った。それは事実だろう?」

「は、はい」

「君が娘に言ったことだ。見ず知らずの者に恥を掻かされようと怒らず、大勢の前でその姿を晒し続けろ。君は娘にそう言ったのだよ。自分の言葉だ。出来ないとは言わないだろう?

 どうする?実際に試してみようか?」


 レイノルドの言葉は静かであったが、その分、言葉の中に感じられる怒気は冷たく恐ろしかった。アイワースは恐怖で顔を上げることが出来なかった。

 ブラウン夫妻は、息子のあまりに非礼な言動を聞き、ただ唖然とするだけだった。息子を庇おうと反論をしようにも、反論出来る要素が何一つ見つけられなかった。


「この件を娘から聞いた後、私はアイワース、君のことを調べてきた。娘に相応しい相手か、親として確認する必要があると判断した。

 君は、休日は大抵ブリジットと過ごしていたね。劇を見に行ったり、食事をしたり、王都を散策したりと。まるで恋人のように」

「ち、違います。私と彼女は、恋人というわけじゃありません。

 その、――彼女は病気なんです。その、恋人のようなことをしたことは認めます。ですが、それはあくまで彼女の病気を治すためのもので」

「病気?調査結果ではそのような報告はないが。何の病気なんだい?」

「はい。PTSDという病気です。彼女がそう言ってました」


『てへぺろ』と『ドジっ娘』の時と同様、『PTSD』について知る者はなく、再びアイワースが説明をする。しかし、やはりまたしてもアイワースの説明は誰もが理解に苦しむことであった。


「それは病気と言えるのか?

 ブリジットが娘を怖がるのは、頬を叩かれたからであろう?当然なのでは?」

「あ、あのッ、ですから、ダイアナがいつまでもブリジットを睨みつけたり怖がらせたりするから、彼女は怯えてしまう――んです」


 アイワースは自分の言葉がおかしいことに気づいたようで、次第に勢いがなくなっていき、最後の方はなんとか聞き取れるくらいであった。


「事故であったとしても、謝る姿勢を見せない者を許さない、嫌う。それは当然だと私は思うよ」

「――はい」


 アイワースは力なく俯いてしまった。これまで自分が正しいと思っていた事全てが、非常識で非礼であることに気づき、認めてしまった。すでにアイワースにダイアナへの嫌悪感や怒りは消えてしまっていた。あるのはこれまでの己の過ちだけだった。そのアイワースの姿を見て、後悔していることを悟ったブラウン夫妻は、息子に憐れみの目を向ける

 その様子を見て、ダイアナは内心ほくそ笑む。


(まだよ。まだ終わらないんだからッ。本番はこれからよ!)


 これから起こることを一瞬たりとも見逃さないようにと、ダイアナはアイワース達に全神経を集中させる。


「そして私達がもっとも許せないのは、君が「ダイアナよりブリジットの方が魅力的だ」と娘を侮辱したことだ。これは別に君の趣味を責めているわけではない。人の趣味や美醜はそれぞれだ。否定する気は全くない。しかしそれは、パートナーに配慮して、あくまで隠れてするものだ。

 それなのに、君は公然と、大勢の前で娘を侮辱した!何があろうと、娘より男の方が可愛いと言ったこと、これだけは許せない」


 一瞬の静寂の後、スコットとリーンの驚きの声が部屋中に響いた。


(そうよ。これッ。これが聞きたかったの。あぁ、3人ともとっても良い顔よ)


 喜びに打ち震え、笑みが零れそうになるのを手の甲を抓って何とか耐え、ダイアナは悲しそう表情を浮かべた。笑ってしまっては、レイノルドのせっかくの演技が台無しになってしまう

 レイノルドの言葉を処理しきれなかったアイワースは、ただ呆然としていた。


「お前、同性愛者だったのか?」


 スコットの言葉でようやくレイノルドの言葉の意味を理解したアイワースは、慌てて必死になって否定した。「自分は同性愛者ではない」と喚きながら弁明するも、これまでの息子の非常識さを目の当たりにしたブラウン夫妻は、アイワースの言葉を素直に信じることが出来ず胡乱な目を向けてしまう。


「違うんだッ!決して同性愛者なんかじゃない!信じてくれ!って、ブリジットは女性ですよッ!

 レイノルド様ッ、いくらなんでもその様な出鱈目は許せません!確かに私はダイアナに非礼を働いてしまいました。それは認めます。ですが、根も葉もない嘘を吐いて良いわけではないことくらい、レイノルド様もわかってるでしょう!」

「私は嘘を吐いてはいないよ。ブリジット=マレーという名の男子生徒がいることは学園に確認している」

「そんなはずないッ!。そうだ!なら、誰かと勘違いしたんだ。もしくは書類が間違っていたとかッ。

 ダイアナッ、君ならブリジットが女性だって知ってるだろ」


 予定通りアイワースが助けを求めてきたことに、ダイアナは気を引き締めた。家族全員で考えたダイアナの見せ場である。派手な演技は入らない。静かに、優雅に、それでいて残酷に。


「ブリジットが男性であることは学園の生徒、教師皆知っています。そして、女子の制服を来た男性をアイワース様が可愛いと言っていたことは、誰もが聞いています」


 アイワースは驚きのあまり固まってしまった。スコットは悍ましいものでも見るような目を息子に向けている。リーンはショックのあまり泣き出してしまった。


(やった!やったわ!)


 ダイアナは胸の内で歓喜の声を上げた。

 確かに、アイワースが勘違いするくらいブリジットは可愛らしい。可憐な美少女と言っても差し支えない程である。それ故学園で大きな話題となり、誰もが知っているくらいである。むしろ、アイワースが何故知らなかったのかダイアナは不思議であった。

 ダイアナがその理由を知ったのは偶然であった。男子生徒達が「アイワースがいつブリジットを女生徒気づくか」という賭けをしていた場に出くわしたのだった。問いつめると、男子生徒が結託していること、一部の女生徒も協力してアイワースに本当の事を教えないようにしているということだった。

 3年程前の成長期で容姿が大きく変わったアイワースは、女生徒から好意を持たれることが多くなった。自身を得たアイワースは、不特定多数の女生徒達をその気にさせては別れるを繰り返してきた。結果、3年間で全男子生徒と半数以上の女生徒から、嫌われ憎まれるようになっていた。

 ダイアナはこれを利用した。いつ真実を話すかは自分が決める代わりに、皆に余興を提供すると交渉したのだった。一番の被害者である婚約者からの提案であったことと、その方が面白そうという理由で交渉は成立した。ダイアナがわざわざ毎回、大勢の人がいる食堂でアイワースと対立していたのは、それが理由である。

 ブラウン家の有様は、今や惨憺たるものであった。スコットは頭を抱え、呪いの言葉のようなものを吐いている。リーンは半狂乱になって息子を叩き続けている。そしてアイワースは絶句し、ただ呆然と母親に叩かれるまま床に座り込んでいた。


(学園のみんなには悪いけど、(エマ)の言う通りにして良かったわ)


 元々ダイアナは、真実を告げるのを、学園の大勢の前でするつもりであった。両親ともそのつもりで計画を練っていた。それを変えたのは、同じ部屋にいた(エマ)の「親の前で言った方が面白いと思うよ」という一言だった。これにより、ダイアナは舞台を学園から親の前に変更したのだった。


(学園でみんなに嘲笑される姿も見られるし。エマには感謝だわ。何か、お礼しないと)


 その後ブラウン家が落ち着きを取り戻すのを待ち、ダイアナは無事アイワースとの婚約を解消した。破棄ではなく解消にしたのはレイノルドの判断によるもので、追い詰めすぎないようにした方が良い、感謝されるように仕向ける為であった。そして、ブリジットの容姿の件を伏せていたという点を、後日追求されないことも考慮してのことであった。


(ご両親がブリジットを見れば誤解とわかるでしょうけど。まぁ、わざわざ見に行くことはないでしょうね。それに、仮に誤解が解けたとしても、以前の家族の関係には戻れないでしょうね。

 これからどうなるのかしら?)


 魂が抜けたように項垂れながらアイワース達が部屋を出て行くのを、ダイアナは笑顔で見送った。



 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 ブラウン家との会合から1ヶ月が過ぎた。学園は長期休暇に入り、ダイアナは実家で平穏な日々を過ごしていた。レイノルドもブラウン家との縁が切れたことで、家全体が明るい雰囲気に包まれている。

 ダイアナとアイワースの婚約は互いの祖父が親友であったため、強引に成されたものであった。本来は「互いの子供同士を」という約束であったが、両家とも子供は男子しか産まれず、孫でようやくダイアナが生まれたことで婚約させた。当時は祖父が当主であっため、レイノルドは反対することが叶わず、ずっと悔やみ続けていた。それも、祖父同士は親友であったが、レイノルドとスコットは友人とすら言えない間柄であったからである。波長が合わないこともあり、学園に通っていた時も話すこは皆無と言って良かった。

 更にブラウン家は賭け事の借金が多く、金銭面で苦しい状況にあり、スコットはホワイト家の援助を当てにしている気配があった。

 その様な背景もあり、アイワースとの婚約解消には両親もダイアナと同じくらい意欲的であった。それこそ、台本を作って演技の練習を一緒にするくらい。

 こうして大きな悩みが解消されたのだが、新たな悩みがダイアナを困らせていた。


「昨日届いた分です」


 執事見習いのケンドリックが釣書(新たな悩み)を持って部屋に入ってきた。

 メイドのヘレンがテーブルを片付け、釣書が置かれる。長期休暇に入って半月、ダイアナの元には、毎日何通もの釣書が届いていた。しかしダイアナの目に留まるような相手は折らず、次第に条件も悪くなっていくため辟易していた。ダイアナは1番上の釣書を手に取るも、開くことなく元に戻してしまう。


「無理に選ばなくてもよろしいのでは?」


 ヘレンの言葉通り、両親や(アイン)からはそう言われていた。しかしいつまでも選り好みしていては、良い相手は他の令嬢に取られてしまうのが現実である。


「卒業式までには、それなりの関係を築いておきたいですもの。あと1年半。長いようで短いわ」


 学園の卒業式では、恋人や婚約者にエスコートとされるのが習わしである。相手がいない場合は親に頼むことになるのだが、卒業式で想い人にエスコートされるのはダイアナの秘かな夢であった。これまでは相手がアイワースであったため諦めていたが、婚約解消になったことで夢を叶える希望が生まれた。

 ダイアナがもう一度釣書を手に取ろうとした時、ケンドリックが「お嬢様、お話があります」といつにない様子で声をかけてきた。

 その真剣な様子に、ダイアナも背筋を正して向き合う。


「実は、以前よりお嬢様をお慕いしておりました。

 アイワース様の婚約があり、この想いは秘めたままにするつもりでした。ですがッ、婚約が解消された今、欲が生まれてしまいました。お嬢様を誰にも渡したくない――と。

 お嬢様、どうか私の想いを受け取っていただけないでしょうか?」


 そう告白すると、ケンドリックはダイアナの前に跪いて片手を差し出した。

 ダイアナはケンドリックの言葉に声を失う。これまで隠してきた思いが一気に爆発した。


「何言ってるの?あなたが私と?気でも狂ったの?」


 ダイアナの冷たく侮蔑混じりの言葉に、ケンドリックが驚愕の表情を浮かべた。


「え?で、でも・・・。その、――お嬢様は私の様なタイプが好みだと・・・」

「え?」


 ダイアナはケンドリックの全身をくまなく見ていく。前に突き出た腹。ぶよぶよの手指。境目のない顎。どこをどう見てもダイアナの好みとはかけ離れている。ケンドリックが何故そう勘違いしたのか、ダイアナはわけがわからなかった。


「あ、あの、以前、よく食べる大柄な男性が好み、と仰ってました――よね?」


 その言葉で、ダイアナはケンドリックがどう勘違いしたのか察しがついた。そしてその身勝手な解釈に呆れてしまう。


「私が言ったのは、健啖家で体格の良い方です。有り体に言えば、筋肉隆々な男性です。例えるなら、――警備のトレバーでしょうか。決してあなたのように肥え太った男性ではありません!」

「トレバー?お嬢様はトレバーのことを慕っているのですか?トレバーは既婚者ですよッ」

「はい?何を聞いているのですか!トレバーの名前を出したのは、あくまで例えです。あなたにグレッグ、――学園の生徒の名前を出したところでわからないでしょう!好みのタイプの事といい、どうして人の話を間違って解釈するのですかッ。

 そもそも、私とケンドリックでは身分が違いすぎます。あなた、男爵ではありませんか」


 身分の違いは、婚姻に大きく影響する。結婚で身分が上がれば、これまでの友人であっても下位者として接しなければならない。更に同位の者達からは、元下位者として見下されてしまう。身分差の大きい結婚は、結局誰も幸せにならないのが現実であった。だからこそ身分の事を言えば諦めるとダイアナは考えたのだが、ケンドリックは何故か不敵な笑みを浮かべた。


「それなら問題ありません。実は私、ジョンソン公爵家の血を引いておりますので」


 自信満々にそう述べたケンドリックが理解出来ず、ダイアナはつい「どういうこと?」と漏らしてしまった。失敗したと気づいた時にはもう遅かった。ケンドリックは待ってましたとばかりに独演会を始めてしまった。止めようと声をかけるも、自分に酔いしれるケンドリックは延々と語り続ける。諦めて話を聞くも、感情が先走りすぎてケンドリックの話は全く要領を得なかった。

 ダイアナが何とか話をつなぎ合わせて理解出来たのは、ジョンソン公爵家のオーウェンとメイドの間に生まれたのがケンドリックであること。オーウェインの妻は、殺してしまいたいほどケンドリックを忌み嫌っていたこと。メイド()はすでに他界しており、オーウェインが病死する直前、ケンドリックの身を案じて親友であったレイノルドに託したこと。引き取ったレイノルドは、執事のフィリップの養子として、次期執事として育てようとしたことであった。


「畏れながら、旦那様からは仕事の有能さは認められております。血筋も問題ありません。お嬢様の好みとは少々違ってしましましたが、如何でしょうか?私の想い、受け取ってもらえないでしょうか?」


 改めてプロポーズしてきたケンドリックに、ダイアナは堪らず顔を顰める。仕事面では確かに有能ではあるのに、ダイアナの言葉や心情は歪曲して捉え、今もケンドリックは正しく理解しようとしていなかった。それに、好みのタイプとは少々どころか全く違う。


(どうすれば・・・。そうだわ、これなら)


 策を思いついたダイアナは、ケンドリックに一つの質問を投げかけた。


「私のことを想っているというのなら、私の好きな花くらいわかっているでしょう?」


 ダイアナの質問にケンドリックは愕然とした表情を浮かべる。目を泳がせ、額には汗が滲み始めた。助けを求めるように目を彷徨わせた結果、ケンドリックが出した答えは「赤い花」であった。

 部屋に飾られている花を見て、名前すら答えられないことにダイアナはこれ以上ないくらい呆れてしまう。3つ答えれば4つ目。4つ答えれば5つ目と意地の悪いことを考えていたのに、ケンドリックは1つも、目の前の花すら答えることが出来なかった。


「あなた、私の好きな花1つすら答えられないで、よく私のことを好き言えるわね」

「ち、違うんです。確かに答えられませんでした。でも、お嬢様を想う気持ちに嘘偽りはありません。私は誰よりもお嬢様を理解しています。

 例えば、靴を履くときは左足からですし。階段を上る時は右足から上ります。あとは、実はまだピーマンが苦手でいらっしゃったりとか」

「気持ち悪ッ」


 全身に悪寒が走った。夏なのに、ダイアナは寒気を感じて腕を擦る。これまでずっと後ろで静かに控えていたメイドのヘレンも「うわぁ~」と思わず嫌悪感を声に表していた。

 ダイアナの漏れ出た言葉が相当ショックだったのか、ケンドリックが後ろに倒れ、尻餅をついてしまう。


(あっ、違うわね。太った身体が支えきれなくなったみたい。すぐに態勢を戻さないし、足が震えてるもの。本当、無様ね)


「ケンドリック、あなた先程から言っていること、全部自分のことばかりなのわかってる?相手、私のことを表面しか見ず、内面を全く理解しようとしていない。それでどうしてわたしから 良い返事をもらえると思えるのよ」

「そ、それは、お嬢様が私のことを、よく情熱的な目で見ていましたから・・・」


 全く心当たりのないことにダイアナは混乱してしまう。どれだけ記憶を探っても、ケンドリックをその様な目で見た覚えはなかった。

 多少足の痺れが取れたのか、ケンドリックが重い身体を持ち上げるように立ち上がる。


「だから私は、お嬢様も私のことを想ってくれていると。

 ジョンソン家では、私は義兄達から毎日苛められていました。そんなツラい日々を送っていた時、偶々遊びに来たお嬢様は私を庇ってくれました。それが本当に嬉しかったのです。そして縁あって、再び私達は巡り会いました。これを運命と言わず何と言いましょう」


 ケンドリックは再び心情を熱く語るが、ダイアナはその時のことを全く覚えていなかった。語られた今も思い出せない。運命と言われても迷惑なだけであった。

 まずはケンドリックを情熱的な目で見ていたという誤解を解かなければと思うも、そもそも何故その様な誤解が生じたのかがわからなければ誤解の解きようがない。ダイアナが必死に思考を巡らせていると、ヘレンが「よろしいでしょうか?」と声をかけてきた。


「何かしら?」

「はい。先程ケンドリックが申した情熱的な目でということですが、あれはケンドリックではなく、ケンドリックの食べていたドーナツを見ていたのでは」


 一瞬時が止まったかのように思考が停止してしまったが、ダイアナはヘレンの言葉には心当たりがあった。

 甘い物が大好物であるにも関わらず、ダイアナは1日にクッキーを1枚しか食べることが出来なかった。それをケンドリックは、欲望のままに甘い物をダイアナの目の前で食べていた。ケンドリックとしては「よく食べる」というダイアナの好みに対してのアピールだったのだが、実際は全くの逆効果であった。「この体型を維持するのに、どれだけ我慢してるかわかってるのッ」「何それ?私もあなたの様に太れば良いって誘惑しているの?」と恨みを買っていた。

 ブリジットの一件も、昼食に出るプリンを食べるために、ダイアナは3日もクッキーを食べず我慢していた。それを駄目にされたのだ。どう謝ろうとも、到底許せるはずがなかった。

 必死に節職している目の前で欲望のまま甘い物を食べているケンドリックを、ダイアナが男性として好きになるなど、天地がひっくり返ってもあり得ないことだった。

 ダイアナは大きく溜息を吐くと、真剣な眼差しでケンドリックに向き合った。


「あなたが誤解しないようにはっきり言います。正しく理解するまで何度でも言います。

 私はあなたを男性として好きになることはありません。これからもずっとです」

「ですがッ、私はそれなり有能ですし、血筋も問題ありません」

「仕事面で有能だからといって、どうして恋情に結びつくのですか?使用人に求めているのは忠義です。使用人であるあなたに恋情は求めていません。

 それと、ジョンソン公爵家の血筋だそうですが、現在のあなたは男爵です。公爵に戻りたければ、ジョンソン家に帰属する必要があります。戻って命の保証はありますか?私と結婚したいというあなたの我が儘をジョンソン家が認めると思いますか?そもそも、ジョンソン家があなたの帰属を許すでしょうか」

「――ッ」

執事長(ジョージ)が亡くなれば、あなたは平民になるのですよ。その立場を理解していますか?

 そして、これが一番大事なことです。私はあなたのことが嫌いです。今日、その気持ちがより一層強くなりました。あなたと結ばれるくらいなら、一生独り身でいます。

 何度でも言います。私はあなたのことが嫌いです」


 自分の立場がようやく理解出来たのか、ケンドリックは絶望した表情を浮かべた。


「今後、私に近づかないように。お父様にもそう伝えておきます」

「そんな・・・。

 旦那様は認めてくださったのに・・・」


 そう呟くと、ケンドリックは魂が抜けたように項垂れながら部屋を出て行った。


(今のって、どういうこと?お父様は私とケンドリックを結びつけようとしたってこと?

 ちょっと問いつめないといけないわね)


 時計を見るとまだ4時前で、レイノルドが仕事から帰ってくるのはまだまだ先である。どう問いつめようか、本当ならどうしてやろうかとダイアナは考え始めた。

 実際のところ、またしてもケンドリックの勘違いである。ケンドリックは説得の上、ようやくレイノルドの許可を得たと思い込んでいるが、どれだけ否定しても食い下がるケンドリックを面倒に感じ許可を出したに過ぎない。ケンドリックと違い、レイノルドは振られると確信していた。だから諦めさせようと無理だと話もしたのだが、ケンドリックはレイノルドの言葉を受け入れようとしなかった。このままダイアナへの想いを秘めたまま仕えさせるのも良くないと、代わりなら他にもいると考えたレイノルドは「好きにしろ」と突き放したというのが事実であった。親友からは「いざという時は平民にしてくれてかまわない。平民になれば命を脅かされることはなくなるだろう」と言われていた。親友から頼まれたのはケンドリックの命であり、生き方までは頼まれていない。どう生きるかはケンドリック自身が決めることとレイノルドは考えていた。

 ダイアナは今日の分のクッキーを手に取ると小さく囓った。本当なら、感情のまま目の前のクッキーを全部食べ尽くしたいところである。紅茶には、砂糖かジャムをふんだんに入れて飲みたかった。しかしその様なことをしてしまっては、しばらく甘い物はお預けにされてしまう。何より、体型が変わってしまう。そうなっては、今の何倍も努力、我慢をしなければならなくなる。自分の体質を呪いながら、ダイアナはもう一口クッキーを囓った。乱れた感情を落ち着けるためには、時間をかけてクッキーを堪能する必要があった。


「お嬢様、気分転換に釣書を見てはいかがですか。お返事のために、一度は目を通さなければいけないわけですし」

「そうね」


 ダイアナは一番上の釣書を手に取って中を見る。

 名前の箇所に、グレッグ=ハーバーと書かれていた。

 信じられず、何度も見返えす。しかし何度見ようと、逆さから見ようとその名前は変わらなかった。

 先程までの鬱々とした気持ちが一瞬で消え去った。

 ダイアナの17年間の人生で、最幸の瞬間が訪れた。

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