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第99話『咎人は月下にて裁かれ⑧』

「おい悪魔、もしかして俺を脅してんのか?」


 船の甲板の上で、包帯男――ネッドが語気を強くした。

 包帯の隙間から白狼に向ける視線がとてつもなく鋭い。素人の私でもひしひしと殺気めいたものが感じられた。

 白狼はやれやれといった感じで首を振る。


「単に事実を述べただけだ。顔を覆った程度で正体を隠せると思っているのが、我にとっては少し滑稽でな」

「言うじゃねえかこの犬……」

「おっ、狼さん! なんでそんなに喧嘩腰なんですか! よくないですよそういうのは!」


 慌てて仲裁に入る私。

 白狼は拗ねたようにぷいとそっぽを向く。


「もともと我は、貴様以外の悪魔祓いは好かん」


 そうだった。

 母のことは未だに死神呼ばわりするし、ユノにも初対面では嫌味たらしかったし、ヴィーラのことも警戒していた。(ヴィーラについては警戒されて当然だったが)

 先刻はレギオムに対しても素っ気ない対応だった。

 待ち合わせ時間よりもずいぶん早くこの格納場に駆けつけ、白狼にデカくなってもらって他の面子を待ち受けていたわけだが――


『やあ、おはよう! 君が噂の悪魔だね! 会えて光栄だ!』


 レギオムの友好的な挨拶に対して白狼は、


『馴れ合うつもりはない』


 と一蹴して、ろくに話そうとしなかった。

 この調子だとじきにどこかの悪魔祓いと本気で喧嘩してしまうんじゃないかと思う。そうなったら飼い主の私の責任になるからやめて欲しい。


「ちっ……これで満足か?」


 そこで、ネッドが動いた。

 顔に撒いていた包帯をしゅるりと解いたのだ。その下から露わになったのは――ごく平凡な茶髪の青年の顔である。

 そう、普通だった。街ですれ違っても、一秒後にはその顔を忘れていそうなくらい平均的な顔つきだった。


「俺はネッド。歳は23。下町の第八区画に住んでて、表向きには『土地開発公社勤務の技師』ってことになってる。知りたけりゃいくらでも教えてやるから、間違っても俺んちに近づくんじゃねえぞ。悪魔」


 だが、怒りの滲むその双眸は常人ではあり得ないほどの迫力を湛えている。

 その殺気だけで私はその場にへたり込んでしまいそうだったが――


「よしよし! これで皆の自己紹介ができたな! 実にいいことだ!」


 ぱん! と。

 陽気にレギオムが手を叩き合わせ、能天気そうに笑った。

 険悪な空気を読んだのか、それとも一切空気が読めていないのか。どこか間の抜けた言動に、ネッドもやや肩透かしを喰らっていた。


「あとは道中でさらなる親睦を深めるとしよう! さあ、出航だ!」


 そう言うとレギオムは運河へと通じるシャッターを手回し機で開き、タラップから船の甲板へと上った。

 あまり気乗りはしないがもう後戻りもできまいので、私も白狼を連れて船に乗る。


「部屋割りだが、船室はメリル嬢。ネッド君は船倉でよいかな? 私は甲板で操船をするので構いなく」


 ふむと唸って私は頷く。

 男衆と相部屋だったらゴネ倒すつもりだったが、船室を独占させてもらえるなら妥協してやろう。

 甲板から扉を開いて船室を覗いてみれば、なかなか上等なベッドやソファが整えられていた。さらに、水回りっぽいブースも隅の方にある。これはありがたい。


 と、そこで。


「少しいいかね?」


 声を落としたレギオムが話しかけてきた。


「はい?」

「ネッド君があそこまで意固地と思わなくてね。先輩として少しだけフォローさせてもらいたいのだが」


 見れば、甲板にネッドの姿はもうなかった。船倉に降りていったらしい。

 あまり関わり合いになりたくないというのが私の本音だったが、さすがにそんな本音は言えない。どう対応するか迷っているうちに、レギオムが熱っぽく語り始めた。


「過去に過ちを犯したとはいえ、今現在のネッド君は立派な悪魔祓いだ。決して誤解しないで欲しい――なぜ彼が顔を隠しているか分かるかい?」

「い、いえ……」


 指名手配されているお尋ね者なんじゃないかと内心で疑っていたが、伏せておく。


「悪魔祓いとして公然と活動すれば、教会から様々な特権と高い報酬が与えられる。世間的な名誉も得られる。だが、ネッド君はそうした実利や名誉について、『俺にそんな資格はない』と一貫して固辞し続けているんだ」

「あ。だから下町に」


 さきほどネッドが下町住まいと白状したとき、おかしいとは思ったのだ。

 悪魔祓いなら相応の報酬をもらっているはずだから、そんな環境の悪い場所に住む必要はないだろうと。


「――と、まあ。それだけは分かって欲しい。見た目で誤解されがちだが、あれは彼なりの贖罪意識の顕れなんだ」

「はあ。そうですか……」

「そうとも。私としては、彼もそろそろ日の目を浴びてよいと思うのだがね。心から改心して神に尽くしている以上、赦されるべきではないだろうか。少なくとも私は赦す。赦さねば。思うに彼は運が悪かったのだよ。もし聖都に生まれていれば今頃、神の遣いとして表舞台で輝かしく活躍していただろうに。若き時分を殺し屋的な仕事に費やしてしまったのは不幸としかいいようがない。もちろんそれは彼を早くに見つけられなかった私たちの責任でもあるのだが」

「はあ、そうですか……」


 雑な相槌でおっさんの熱弁を流そうとしていた私だったが、途中で「ん?」と頭に疑問符が浮かぶ。

 なんか聞き捨てならない物騒なワードが聞こえたような。


「あの……今、殺し屋とか言いました……?」


 レギオムが「はっ」と息を呑み、一瞬で大量の冷や汗を浮かべた。

 それから慌ててぶんぶんと両手を振って釈明を始める。


「い、いや! 待った! さすがに今のは少しばかり不適切な表現だった! 正確には『教会の布教活動に対する妨害工作員』とでも言うべきで、工作の一環として要人をアレしたりすることもなくはなかったという具合で――」

「おい旦那」


 そこで私とレギオムが揃って背筋を伸ばした。

 声に振り向けば、船倉への階段からネッドが顔を覗かせていた。


「黙って船出せ」


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