第98話『咎人は月下にて裁かれ⑦』
なぜ私がデカい図体の白狼を背後に控えさせているかというと、自衛のためである。
得体の知れない前科者と行動を共にする以上、最低でもこのくらいの抑止力は匂わせておかねば。
「嬢ちゃん。一つ確認させてくれ」
背広姿の包帯男は、私と白狼を交互に見てから口を開いた。
「その狼の悪魔が裏切るってことはねえか? 【断罪の月】とやり合ってる最中に、そのクラスの悪魔が不意打ちかましてきたら正直かなり厄介だ」
「大丈夫です。狼さんが裏切ることなんて絶対にあり得ませんので」
実際のところリスクがゼロとはいえない。
私の本性がバレてしまった場合は「よくも騙してくれたな小娘!」などと襲い掛かってくるかもしれない。ただ、おそらく大丈夫だと思う。この犬はチョロいから。
「……ふっ」
私の言葉を聞いた白狼はどこか誇らしげに笑っている。やっぱりチョロい。
包帯男は値踏みするように白狼を眺めてから、
「了解だ。疑って悪かったな」
浅く頭を下げて謝罪した。
思うところはありそうな態度だったが、聖女の娘である私が大丈夫だと言った時点で、その判断は絶対なのだ。
「じゃあ狼さん。また小さくなってもらえます?」
「構わんが、なぜわざわざ本来の姿に戻らせたのだ?」
「初対面の人には狼さんのカッコよさをちゃんと見てもらいたいじゃないですか」
「ふん。世辞を言っても何も出んぞ」
しゅるしゅると身の丈を縮ませる白狼。
素っ気ない言葉のわりに、鼻を高くしている様は上機嫌そうである。
白狼の飼い犬っぷりにやや毒気を抜かれたか、包帯男は頬を掻いてレギオムの方に向き直る。
「旦那。集合場所がここってことは、やっぱり海路で行くのか?」
「ああ。目的地のリグマクまでは陸上交通が整っていないし、何より道中の治安があまりよくない。海上路が適当だろう」
リグマク。
それが【断罪の月】の出現した港町の名で、今回の任務で向かう場所だ。
地図で確認させてもらったが、聖都からはエルバ以上に遠く離れていた。船旅で向かうなら結構な日数を要するはずだ。
「それなら、今からお迎えが来るんですよね? 立派な船だといいんですけど」
さすがに豪華客船とはいくまいが、天下の教会が手配する船である。
私のような貴人を乗せるにふさわしい一隻が用意されているに違いない。どうせ避けられない任務なのだから、せめて船旅くらいは満喫させてもらわねば。
「おっとすまない、メリル嬢には説明していなかったね。船はこれだよ」
「え?」
レギオムの方を振り向くと、彼は一隻の船を指差していた。
格納場の隅で整備水路に浮かんでいる木造の小型船だ。
「……は?」
私は耳を疑った。
確かによく手入れされていて小奇麗ではある。だが、長旅をするような船には見えない。名所の湖とかに浮いている観光船のようなサイズ感だ。
それに、どこを見ても蒸気機関の煙突が見当たらない。かといって帆があるわけでもなく、どういう種類の船か見当も付かなかった。
そんな私の困惑を見て、レギオムが快活に笑った。
「はっはっは。反応が正直だねメリル嬢。こんな船で長旅は心許ないといったところかな?」
「あっ、いやっ。そんなわけでは」
「大丈夫、長旅にはならないよ。一昼夜もあれば着くだろう」
私はぎょっとした。
ありえない。仮にリグマクまで直通の鉄道が敷かれていたとしても、とても一昼夜なんかで着く距離ではない。そんなに速い船なんて聞いたことがない。
「なんせこの船の動力は私自身だからね。快適かつ迅速な船旅を約束しよう」
そう言われた私はしばし固まり、
「人力……?」
脳裏に浮かぶのは、ハムスターがカラカラと車輪を回して遊ぶ光景である。
もしかしてこの船内にはあんな車輪が備えられていて、人間が走って動かす仕組みになっているのだろうか。
だとしたら嫌すぎる。目的地に着くまで、いい歳こいたおっさんの全力疾走を見せつけられ続けるのか。暑苦しいし見苦しい。
「いやいや。誤解を招いたならすまない。動力になるのは私の能力だよ。私が授かった力は他の悪魔祓いの皆と毛色が違っていてね。少しばかり応用の幅が広いんだ」
己を誇るようにレギオムが自分の胸を叩く。
よかった。流石にそこまで脳筋な船ではなかった。
包帯男は既に知っているのか、さして解説を聞きもせず船に飛び乗った。
「旦那。武器は積んであるか?」
「ああ。要望があったものは船倉に一通り積んであるよ」
「すまねえな。何から何まで」
「構わないとも、ネッド君」
ネッド?
私は一瞬だけ首を捻ってから、それが包帯男の名前だと気づいた。
「……旦那。俺の素性はできれば明かして欲しくねえんだがな」
「もちろん、君の意志はできるだけ尊重したいと思っている。しかし今回は三人一組のチームだ。メリル嬢だけ君がどこの誰でどういう人間かも知らないというのは、チームの信頼関係に響くとは思わないか?」
「い、いえ……事情は人それぞれですし、無理なさらず……」
私は両掌を前に出して宥める。
そりゃあ、私だって包帯男の素性は気になる。結局、打ち合わせの後もどんな前科を持っているのか教えてもらえなかったわけだし。(母曰く『人には触れられたくない過去があるから~』とのこと)
だが、無理に聞き出して機嫌を損ねるような真似はしたくない。
包帯男は「ふーっ」と長いため息をついて天を仰ぐ。
「あのな旦那」
「何だい」
「よく考えろ。こんな風体の不審者、最初から信頼ゼロだろ」
そして、ごく真っ当な正論を述べた。
思わず私も頷きかけてしまった。
「だいたい嬢ちゃんはまだ十四かそこらだろ? 俺の素性なんかどう足掻いたってヨゴレな話になるわけだし、子供にあんまり聞かせるもんじゃねえよ」
「むぅ」
惜しい。そこまで常識があるなら、私のようないたいけな少女を悪魔祓いの任務なんかに駆り出さないで欲しかった。
「――侮られたものだな」
そこで唐突に白狼が失笑を漏らした。
「この娘を誰だと思っている。幾多の修羅場を潜り抜け、我ら悪魔にも物怖じしない胆力の持ち主だぞ。貴様ごときの過去が何であろうと……」
「狼さん」
余計なことを言い始めた白狼の首に腕を回し、強制的にストップをかける。
「いいんですよ。言いたくないことは言わなくて」
「しかし貴様を未熟者扱いされるのも癪でな」
「いいから。詮索はやめましょう」
ここまで意味深に隠されると、だんだんこちらも怖くなってきた。
もし包帯男の正体が連続猟奇殺人犯とかだったらどうするのだ。ヴィーラみたいな趣味の悪魔祓いがいる以上、可能性がないとも言い切れない。
「……そうか。そうだな、無理に探る必要もあるまい」
その言葉に安堵しかけたのも束の間――
「匂いは覚えたからいつでも身元は掴めるしな」
馬鹿犬が特大の藪蛇を突いた。




