第112話『咎人は月下にて裁かれ㉑』
【断罪の月】の討伐が確認されてすぐ、リグマクの町には近隣二国から合同の治安部隊が派遣された。町の領有を巡って揉めていた二国が教会の仲介のもとで妥協し、暫定の合同統治体制を敷くことになったのだ。
長年の領有問題がそこまで簡単に片付くわけがないから、たぶん水面下で物凄く大変な交渉やら何やらあったのだろうが、そこまでは私の関知するところではない。教会の偉い人が悩むことである。
「ふーっ……」
そんなこんなで、私はようやく帰路の船で一服していた。
悪魔を倒したらすぐ帰れると思っていたのだが、治安部隊が到着して体制を整えるまでの数日間、私たちも居残るハメになっていたのだ。
町に大した被害はなかったわけだからすぐに撤退したところで二次被害などはなかったはずだ。しかし、仮にも悪魔の精神汚染に晒されていた町である。暴動やパニックが発生するおそれに備え、抑止力として私たちも残っていたわけだ。(私に抑止力がないのは置いておくとして)
幸いにも変な騒動は起きず、無事に引継ぎは完了した。
あとは船室のベッドに寝転んで聖都への帰還を待つのみなのだが、
「狼くん……本当に素晴らしかった! 君の力がなければ今回の事件の解決は困難だったろう! ともに協力して困難を乗り切った以上、私たちはもう仲間……そう! 君も立派な悪魔祓いの一員だ!」
「やめろ気持ち悪い」
うるさくて昼寝もできなかった。
船室の扉の向こうから熱烈な賛辞を送っているレギオムと、扉を睨みながら心底気色が悪そうにお座りをしている白狼。
町に滞在中の数日間は白狼が適当にふらついて暑苦しいレギオムから逃げていたのだが、同じ船の中となると逃げ場がない。
教会を忌み嫌っている白狼からすれば『君も立派な悪魔祓いだ!』などと言われるのは耐え難い屈辱だろう。
「この娘の後ろ盾がなくなれば、我は即座に処分される身だろう。心にもない世辞を抜かすな」
「ううむ。心苦しいが、完全に否定できないのが辛いな……」
「ならば黙っていろ。どうも貴様は気に食わん」
辛辣な言葉に参ったのか、しばらくレギオムは黙っていたが、やがて指を弾く音がした。
「では、こうしよう。この感謝の気持ちが本物であるという証拠に、君が気にしていた『機密』を独断で開示させてもらう」
「む……?」
「【隔絶の潮】という悪魔を知っているかな?」
白狼が尋ねるように私を見た。知らないので首を振る。
「去年、私が討伐した悪魔だ。もともとは流刑地の孤島に発生した悪魔で『囚人を孤島に閉じ込める』ことに特化した存在だった――はずなのだが、無差別に船を襲う凶悪な悪魔になり果てていてね。やむを得ず、私がこの手で弔った」
何が機密なのか分からない。そんな悪魔の話なら、資料室に行けば私でも閲覧できると思うが。
「【隔絶の潮】の外見は腐乱した鯨の姿だ。海水に溶けた腐肉は波を操り、空に噴き上げる血液の潮は風を操る。水や空気を高密度に圧縮して『壁』を作る扱い方が基本だが、いろいろと広範に応用も効く。たとえば今、この船を動かしているように」
一瞬、理解が遅れた。
悪魔の能力の話をしていたはずである。それがなぜか急に、船の動力の話になってしまった。この船を動かしていたのはレギオムの力だったはずでは。
「やはりか」
しかし、白狼は即座に唸っていた。まるで合点がいったというように。
「貴様が能力を使うときの気配は異質だった。悪魔祓いではなく、むしろ悪魔のそれに近い。貴様は……殺した悪魔の能力を奪えるのだな?」
「奪う、そうだな。おおむねその通りだ。『契約を遂行させる能力』も【誓約の秤】という悪魔を倒した際に手に入れた。正直にいうと、決して気分のいいものではない。メリル嬢や聖女様の力と比べたらあまりに邪悪で血腥い。悪魔である狼くんからすれば、おぞましいとすら思えるだろう」
ただ、とレギオムが繋げる。
「人のために生まれながら道を誤ってしまう悪魔は数多い。その暴走を止めてやり、彼らが持っていた力を改めて人のために活かす。彼らが殺めた人数以上に、彼らの力で人を救う。私がそうすることで、少しでも彼らの罪を贖えると――そう信じている」
扉の向こうで、レギオムが踵を返す音がした。
去り際に一言だけ、
「狼くん。君はどうかその心根を曲げず、いつまでも健やかにあっていてくれ」
―――――――――――――……
「そういえば、顔は隠さなくていいんですか?」
海から聖都へ上る河口が見えてきたころ、甲板に立つ私はふとネッドに尋ねた。
尋ねてから自分で驚いた。前科者の重罪人だとビビッていたはずが、いつの間にか慣れてしまっていた。心なしか、ネッド本人の刺々しい雰囲気も和らいだように思える。
「ああ、コソコソすんのはお終いだ。気後れしようが虚勢張ってなんとかしてやるさ」
大仕事を終えて自信がついたのだろうか。なんとまあ現金なものである。
甲板の欄干に身を乗り出し、溜息混じりにネッドが語り始める。
「――ってのも、嫁さんの腹にいる子供が悪魔祓いっぽくてよ」
「はあ……は!?」
何気なく切り出された事実に私は驚愕した。
赤子が悪魔祓い? そんなことあるのか? いやあるか。ユノとかたぶんそうだったし。
「ええと、生まれる前に分かるんですか?」
「そりゃあ気配で分かるだろ当然」
「あ! そうですよね気配しますもんね気配! 当然!」
慌てて私は知ったかぶる。
足元をチョロチョロしている白狼に、私の無能を悟られるわけにはいかない。
「……で、物は相談なんだが」
「はぁ」
「他言無用で頼みてえんだが」
「はぁ」
「こんな危険な仕事、うちの子に絶対やらせたくねぇなって」
「はぁ?」
「ほら、一歩間違えば死ぬ仕事だろ? もし性格が嫁さん似で穏やかだったら戦いも向いてないだろうしよ。そんで、順当にあと十年くらい経てば嬢ちゃんが教会のトップになるだろ? そのときは手心加えてくれねえかな。その分だけ俺がしっかり働くから」
――ざけんじゃねえぶん殴るぞ。
私はシンプルにそう思った。
度し難いほどの親馬鹿めが。今、貴様の目の前にいるか弱い少女がどれだけ必死こいて修羅場を潜ってきたと思っているのだ。断じて私以外の奴を特別待遇になどしてやるか。
「ただ、なんとなく治癒系の能力が強そうな雰囲気なんだよな。ずっと嫁さん体調いいし。後方の治癒職なら比較的安全だしそうなってくれねえもんか……いい感じに治癒方面の能力だけ伸ばす方法とかないか?」
「知りませんけど????」
「そうだよな。嬢ちゃんは最初から全部できたろうしな。あ~、どうすっかな……」
いかにして我が子を危険から遠ざけようか悩むネッド。
ほとんど私の周回遅れみたいな思考回路だった。
「まあ、もしも」
ネッドが長い息を吐いて欄干に寄り掛かる。
「うちの子が悪魔祓いになるってんなら指導を手伝ってくれ。ユノの小僧が嬢ちゃんを尊敬してたわけが、俺も分かった気がするからよ」
――――――――――……
なお、これは後から聞いた話である。
任務から帰還したネッドは奥さんに『俺は悪魔祓いなんだ』と告げたそうだが、冗談と思われてまったく信じてもらえなかったらしい。
その場で結界なども披露してみせたらしいが『すごい手品ですねぇ』と呑気に褒められ、やはり信じてもらえなかったらしい。
最終的にうちの母が訪問して説明したそうだが、それでも半信半疑くらいの雰囲気だったらしい。
そんなクソどうでもいい顛末を――他ならぬネッド自身から、とても嬉しそうに聞かされた。
これにて8章【断罪の月】編は完結となります!
プロット作業に少々時間をいただきますが、今後も継続して9章以降を更新予定です。どうぞよろしくお願いします…!
また『二代目聖女は戦わない』の書籍1巻が3月28日より発売されております!
書き下ろしエピソードも収録されておりますので、ぜひ手に取っていただければ幸いです!




