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第111話『咎人は月下にて裁かれ⑳』

 幼い少女に難しい話はあまり分からなかった。

 ただ、喋っている人が何を言いたいのかは分かった。

 空にいる『神様』も私たちと同じで、とても怖がって苦しんでいると。だから、こちらだけ怯えることはないと。


「声が……」


 そこで、ぽつりと。

 同じく物陰で震える子供たちのうち、年長の少年が小さく呟いた。


「庭の方から声がしないか……?」


 暗闇で肩を寄せ合いながら、全員で耳を傾けてみる。

 すると確かに、庭の方から誰かの声が微かに聞こえた。


「空を仰ぐ必要はありません。悪魔を直視する必要もありません」

『空を仰ぐ必要はありません。悪魔を直視する必要もありません』


 さきほどから町中に響いている、不思議なほど落ち着く声。

 それより一瞬だけ早く、同じ内容を喋っている声がする。


「ただ物陰から一歩を踏み出して、明るい場所に立ってみてください」

『ただ物陰から一歩を踏み出して、明るい場所に立ってみてください』


 少女は薄目を開く。

 声の主が近くにいる。勇気づけてくれる存在がすぐそばに感じられる。

 階段下の物陰にいれば光から逃れられる。しかし一歩でも踏み出せば、あの恐ろしい光に照らされることになる。


 それでも、少女は腰を上げた。

 他の少年少女たちも同じだった。

 光は恐ろしい。だけど、すぐそこに誰かがいる。この恐怖と絶望感を和らげてくれる、とても頼もしい誰かが。その誰かに近づきたいという思いで、恐怖の中でも一歩を踏み出せる。


「そうすればきっと見えるはずです」

『そうすればきっと見えるはずです』


 そして物陰から歩み出た少年少女たちは、眩さに目を細めながらその光景を見た。


『「あなた方を護るために戦う……私たち悪魔祓いの雄姿が!」』


 町の上空を舞う白銀の鳥と。

 それに毅然と立ち向かう、巨大な獣と少女の背中を。



――――――――――――――――……




 銀の魔鳥――【断罪の月】の身体に変化が生じた。

 美しい白銀が錆びて朽ちるように、その羽毛が翼の先からじわじわと黒く染まり始めたのだ。


「むっ!」


 同時に、死力を尽くすかのような勢いで抵抗が激しくなる。

 悪魔を抑え込むために『不可視の壁』を展開していたレギオムの両腕が弾け飛ぶ。腐敗して脆くなっていた腕は、二本とも肩の付け根から失われていた。


「旦那!」

「大丈夫だ。この程度ならどうということはない……それより、メリル嬢は仕事を果たしたようだね」


 港を見れば、まばらにではあるが住民が外に歩み出していた。

 腕で光を防ぎ、未だ不安げな様子ではある。しかし暗闇で怯え続けるよりも『悪魔祓い』の姿に希望を求め、一歩を踏み出してくれたのだ。


「任せていいかな、ネッド君」


 既にレギオムの腕は驚くべき速度で再生を始めている。

 能力の中断とともに全身の腐敗も止まり、皮膚や筋肉もみるみるうちに復元されていく。

 その一方で【断罪の月】の再生速度には大きく陰りが生じていた。これまでどんな負傷も瞬く間に完治していたというのに、レギオムの拘束を打ち破る際に折れた翼が、未だ治りきらず歪んだままだ。


 メリル・クラインは目論見通りに『条件』を満たしたのだ。


「今ここで皆が求めているのは、恐怖を祓う『神の遣い』の雄姿だ。私では化物同士の共食いしか見せられない」

「それなら、嬢ちゃんの方が……」

「彼女も君をご指名のようだ」


 治ったばかりの頬を綻ばせ、レギオムが微笑した。

 彼の視線を辿って高台の方に目を凝らしてみれば――メリル・クラインが、こちらをまっすぐに指差しているのが見えた。信じて託すように。


「過去に決着をつけてこいということだろう」


 そう言われて、ネッドはゆっくりと空を仰ぐ。

 天空を舞う【断罪の月】は、やはりこちらを睥睨していた。

 白銀の美しい身体は今や黒錆に侵食され、『神』と称するにはあまりに禍々しい斑模様を呈している。


「……そうか」


 肝が冷えるような畏怖は、もう感じなかった。

 同じなのだ。あの悪魔と自分は。

 罪を犯し、罪に怯え、罪を裁かれて楽になる日を心のどこかで待っている。ただの臆病な小心者が、たまたま大きな力を持っていただけという話だ。


「『神の遣い』なら堂々としてなくちゃな」


 ネッドは顔に巻いた包帯を解いた。

 過去の罪から逃げるために被っていたチンケな覆面を。


 上空に向けて足場となる結界を多重展開。

 左手に銃、右手にナイフを携えて跳躍する。


 迎撃が来る。

 魔鳥が斑に染まった翼を構えると、無数の羽根が矢のごとく射出された。白銀と黒錆の羽根が天から降り注ぎ、駆け上がるネッドの進路を潰そうとする。

 対するネッドは左手の銃に渾身の『力』を込め、


 撃発。


 放たれるのはもはや弾丸ではない。銃の自壊と引き換えに空を奔るのは、雷のごとき一条の光である。

 光条は白銀と黒錆の矢群を呑み込んで消滅させ、そのまま【断罪の月】の左翼を焼き尽くす。

 ただし、反動無視で撃ったネッドの左腕も無事ではない。肘から先がズタボロに焼け焦げて使い物にならなくなった。


 上等。

 相手には右翼が残り、こちらには右手が残っている。


 ナイフを固く握り、『力』を注いで光の刀身を伸ばす。

【断罪の月】も接近戦に応じる。右翼を大剣のごとく翳し、風を裂いてこちらに急降下してくる。


 駆け上がるネッドと、飛来する魔鳥。

 肉薄に一秒もかからぬ速度でありながら、視界がスローモーションのように引き延ばされて感じる。

 そんな中、


(ああ、勝ったな……)


 慢心でも油断でもない。相手の突進を正面から受け止めて、一刀両断にできる確信がごく自然に湧いてきた。

 あるいは元から、ネッドにはそのくらいの実力があったのかもしれない。相手への畏怖が足枷となって縮こまった戦い方に終始していた。しかし、真っ向から立ち向かえば――


「いつかまた、地獄でな」


 光刃が一閃。


 頭から胴体を縦に両断された【断罪の月】は、真っ二つに割れて空に散る。

 傷は癒えることなく、断面から金色の炎が噴き上がる。聖なる力が悪魔の身を焼いたのだ。炎に包まれた魔鳥の残骸は、海に落ちる前に燃え尽きて塵と消えていく。


 空に浮いていた『月』が消滅する。

 ここに悪魔【断罪の月】は討伐された。




「っしゃぁ―――――――――――――――――!!!!!!!!」




 そのとき、ものすごい叫び声が上がった。

 上空から見下ろして声の主を探してみれば、高台にいるメリル・クラインが両拳を天に掲げて――場合によってはどこか間抜けにも見える表情で――絶叫していた。

 聖女らしからぬ異様な興奮具合に、隣にいる狼の悪魔もぽかんとしていた。


「あっ……違います狼さん! 吼えましょう! 勝ったんだって! もう大丈夫だって! みなさんを安心させるために!」

「なるほど、そういうことか」


 慌てた様子でメリル・クラインが狼に補足。

 狼は深呼吸をして息をたっぷりと溜めた後に、


『アオォォォオオ――――――――――――――――――ッ!!!』


 勝利の凱歌のごとく遠吠えを叫んだ。

 それを合図として、町の人々が一斉に「わっ!」と歓声を上げる。どこからともなく笛の音や鐘が鳴り、空にあるネッドに向けて手を振っている者の姿も見える。

 正直、喝采を浴びると居心地が悪い。自分はそんな賞賛に値するような人間ではない。ただ――


「もう、怖くはねえか……」


 ネッドの心に巣食っていた『裁きの神』はもういない。

 後は己自身で向き合っていくことだ。


 足場の結界を蹴り、ネッドは高台に向かって飛び降りた。


「よう嬢ちゃん」

「わっ、ネッドさん……って! 腕! 大丈夫ですか!?」


 そう言われ、左手がまだ黒焦げのままということに気づいた。戦闘に集中していて痛みをすっかり忘れていた。

 治癒能力を行使すると、炭化した部位が剥がれて血肉を再生していく。メリル・クラインはなぜか目を逸らしていた。悪魔祓いなら珍しくもない光景だろうに、血が苦手なのだろうか。

 完治した手首をパキパキと鳴らした後、ネッドは姿勢を正して深く頭を下げた。


「本当に世話になった。嬢ちゃんと旦那の助けがなけりゃ、俺は間違いなくくたばってた。この恩はいつか必ず返す……それから、悪魔」


 ネッドは再び頭を上げ、今度は狼に向かって一礼する。


「あんたにも助けられた。道中での非礼も含めて謝る。すまなかった」

「やめろ、むず痒い。我はこの娘に力を貸しただけだ……む」


 そっぽを向いて不機嫌そうに答えた狼が何かに気づいた。

 屋敷の中から何人かの子供が、裸足のまま駆け出してきたのだ。


「あっ……あのっ!」


 閊えながら言葉を発するのは、先頭に立っていた年長らしき少年である。

 彼が言葉を続ける前に、遮るようにしてメリル・クラインが割り込む。


「みなさん! このでっかい狼さんのことは他言無用です! いいですね! ここで見たことは絶対によそで言いふらしたりしないように!」


 ネッドを含めたその場の全員が気圧されるほどの迫力だった。

 まあ、聖女の娘が悪魔を飼っているなんて知れたら教会の威信に関わるから、口止めが必須なのは分かるが。


「は、はい……」


 どこか嬉しそうに飛び出してきた少年少女たちも、出鼻を挫かれて困惑気味である。

 が、そのうちの一人だけ――黒髪の幼い少女が無表情にトコトコと歩み寄って来て、狼の巨体をじぃっと間近で眺め、


 がしっ、と。

 顔を埋めるように狼の前脚にしがみついた。


「っっ!?」


 全身の毛を逆立たせ、尻尾まで立てる狼。

 急にあたふたとし始め、助けを求めるようにメリル・クラインの方に目線をよこしている。


「あれ、えーっと……。みなさん、この狼さんが怖いとかは思ってないんですか?」

「ん!」


 前脚の毛に埋もれたままの少女が言う。

 メリル・クラインはほっと胸を撫でおろしたように、


「じゃあ、ここで見たことが噂とかになるとこの狼さんが困るので、絶対に秘密でお願いしますね。ほら、狼さんからもお願いを」

「う、うむ……。くれぐれも内密に頼む」


 子供たちは口々に「はい!」「分かった!」「ん!」などと答える。


「それから、しがみつくのはやめてくれ。我は幼子の扱いが分からん。このままでは身動きができん。まず一旦離れてくれ」


 明らかに狼狽しながら狼が懇願するが、黒髪の少女はこれを無視した。

 狼の尻尾が迷走するようにぐにゃぐにゃと振られ、内心の混乱っぷりを露わにしている。


 たまらずネッドはその様子を見て笑った。


「立派に人助けしたんだ。居心地悪いかもしれねえが、誇っていこうぜ。狼さんよ」


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3月28日(金)に書籍版『二代目聖女は戦わない』1巻が発売となります!
どうぞよろしくお願いします!
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― 新着の感想 ―
人を手にかける度に罪悪感で苦しんでる悪魔かー 難儀な性質だけど元は普通の人の少し後ろ暗い部分のある願いから生まれたなら自然な形なんかもな 常人は正義として誰かを手にかけたあと、その後ずっと後悔や罪悪感…
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