第108話『咎人は月下にて裁かれ⑰』
幼い少女は震えていた。
ほんの少し前までは、怖いものなど何もないと思っていた。
自警団の怖い大人たちは親のいない子供たちを攫っていた。でも、そんな人でなしどもは全員いなくなった。
何もかもぜんぶ神様のおかげだった。空からいつも見守ってくれる神様。この町に神様が現れてから、怖い大人たちに殴られることも蹴られることもなくなった。
自警団の奴らが捨てた屋敷に潜り込んで、仲間のみんなの家にした。
あいつらが貯め込んでいた宝石とかを売って、みんなで美味しいご飯を食べた。
ついさっき、白い犬を連れた変な二人組が屋敷に乗り込んできたときは少しだけ怖かった。
だけど、祈りながら神様の光を眺めていたらすぐ平気になった。こいつらもどうせすぐ死んじゃうんだと思うとワクワクした。
――それが、今。
見られている。
咎められている。
お前たちは盗人だと。罪人だと。『神様の目』がその鋭い眼光で、自分たちを糾弾している。
「うぅうぅ……」
やり場のない不安に、自分の頭や身体をひたすら掻き毟る。
きっと、今度は自分たちの番なのだ。
これまで悪人たちがそうされたように。斬られ、抉られ、吊るされ、罪人らしく惨たらしく殺されてしまう。嫌だ、そんなの怖い、痛い。許して欲しい。
屋敷のロビーで、少女たちは身を寄せ合って階段下の影に隠れていた。
ここでロビーでもっとも暗く、あの恐ろしい『神様の目』の光が届かない場所だった。
目を瞑って震えていると、外から何度もすごい音が聞こえた。爆発のような、何かを叩きつけるような。
きっと『神様』が怒って暴れているのだと思った。
隠れるな。出てこい。お前たちを八つ裂きにしてやる、と――
『リグマクのみなさん、聞こえますか。我々は教会の者です』
そんなとき、突然に声が聞こえてきた。
不思議な声だった。遠くから響いているようにも、耳元から語り掛けられているようにも感じる。
『きっと今、みなさんは恐ろしさに震えていると思います。空から差す妖しい光が、美しくて畏ろしい銀の鳥が、次は自分を裁きに来るのではないかと、心の底から不安が湧きあがってきているかと思います。暗い所に隠れて、ただ目を瞑ってうずくまっていたい。そんな風に考えているでしょう。分かります、とてもよく分かります』
銀の鳥というのはよく分からなかったが、少女はその言葉に浅く頷いた。
そうだ。光の届かないところにずっと隠れて、目を瞑っていたい。何も見ないでいたい。
『だから、今は目を瞑っていてもいいです。隠れていてもいいです。ただ、私の声を聴いていてください。この声を聴いてください』
そんな弱音を肯定してくれて、少女はほんの少しだけ安堵する。
どこの誰かも分からないのに、なぜだかとても落ち着く声だ。もういなくなってしまった父親の声がこんな調子だった気がする。
真っ暗な中で、隣の仲間たちと痛いくらいに手を握り合って、不思議な声に耳を傾けた。
声の主は、『神様』を倒しに来た悪魔祓いなのだと名乗った。
それなら早く倒して欲しい。今すぐにこんな怖いのを止めて欲しい。
『何をチンタラやってる、早く倒せ。さっきからドンドコバンバンと物騒に暴れているわりに、あの恐ろしい光は全然消えないじゃないか。役立たずめ。いつまで待たせるつもりだ。そんな体たらくで何が悪魔祓いだ――そんな不満は重々承知しています』
そう願っていたら、声の主も不満そうにほとんど同じようなことを言った。こんなに怖いのに、ちょっと可笑しくなってしまった。
声を出して笑ったりはしない。だけど、怖さに塗りつぶされていた胸が、さっきよりも軽くなっていた。
親のような、兄姉のような。その声を聴いているだけで、心が温かくなるような。
『私もあの悪魔のことが怖いです。ほんの少し。あくまでほんの少しだけ』
温かな声は続ける。
『だけど、今はもう平気です。平気だと思います。平気であると信じています。なぜなら――私はみなさんよりも少しだけ、悪魔のことをよく知っているからです。悪魔祓いとして特別な力があるからではありません。知っているか否かの違いです』
知っている?
何を。あの悪魔が――『神様』がとても恐ろしいことなら、この町の人間なら誰だって知っている。
『悪魔とは無差別に破壊を振りまく邪悪の化身ではありません。そこには確たる行動原理があるのです。行動原理という表現が堅苦しいなら、敢えてこう言いましょう。悪魔にも我々と同じく『心』というものがあると』
少女には信じられなかった。
空で輝いていた『神様の目』は、かつてあまりに神々しく、今はあまりに禍々しい。とても自分たちと同様の存在だなどと思うことなんてできない。
『私はあの悪魔よりもずっと強い人を知っています。世界最強の悪魔祓いで、正真正銘の神の遣いといえる人です。だけど、そんな完璧そうに聞こえる人だって、普段は普通の人間です。料理はヘタクソだし愛娘に脳筋な無茶振りをしたり、なんなら人間的に若干の問題がなくもないといえます』
なんだか話が妙な方向にズレた。
落ち着いていた低い声が、心なしかちょっと弾んだ気がする。
『悪魔だって同じです。どれだけ恐ろしくても、どれだけ神秘的に見えても。決して理解できない存在ではありません。それどころか、とても人間らしかったりすることもあります。私はこれまで、そういう悪魔をたくさん見てきました』
だから、と声は強く言う。
『私が証明します。あの悪魔は、決して裁きの化身などではないと。恐れる必要はないのだと』
――――――――……
と言いながら、私の膝はガクガクに震えていた。
本当は隠れて震えていたいが、そんな醜態を晒しては白狼に私の正体がバレてしまう。これまでの嘘を知られてはどんな仕返しをされるか分からない。
屋敷の庭先。リグマクの町を一望する高台の上。
【断罪の月】が生み出す光球の下で、私はおぞましい光に全身を焼かれている。寒気はするし怖くてたまらないし吐き気すら催している。早く家に帰って母に泣きつきたい。
だが、
「私を信じてください。きっとみなさんの心を、暖かな光で照らして差し上げましょう」
『私を信じてください。きっとみなさんの心を、暖かな光で照らして差し上げましょう』
私の隣で律儀に台詞を復唱する白狼。悪魔としての力を全力で行使するため、その身は本来の巨躯へと戻っている。
そんな白狼から山彦のように跳ね返ってくる自分の言葉を聞くと、身の震えが少し収まる。
この犬が威嚇として放つ遠吠えには人間の心を挫くほどの威力があった。反面、その威力はポジティブな方向にも作用する。前向きな言葉を喋らせると、聞いている方の心もいくらか楽になるのだ。
さっきから私が綺麗事じみた励ましの言葉を語っているのは、半分くらいは自分のためである。自己暗示のように強がりの弁を並べていると、それを強化して白狼が響かせてくれる。それを間近で聞いているおかげで、私はなんとかこの場に立てている。
こんな特技があるならもっと早く言っておけと思う。
いろいろ便利な使い道もあったろうに。
「あの悪魔の本質は何か。何をするために生まれ、何を考えて行動している悪魔なのか。前置きは省いて結論から申し上げましょう」
私は自身の言葉を白狼に復唱させ、町の全員に届ける。
これが本当かどうかは分からない。だが、戦線をネッドとレギオムに任せ、私がここでダラダラと喋る時間を作るための言い訳にはなる。
それでも。
白狼を経由した自己暗示のおかげだろうか。不思議なほどに自分自身でも信じられる。
「あの悪魔は罪人を裁く悪魔ではありません。罪人を『見せしめにする』悪魔です」
3月28日(金)より『二代目聖女は戦わない』書籍1巻が発売となっております!
書き下ろしエピソードも収録されておりますので、よろしくお願いします…!
また、8章につきましては次回更新(今週前半を予定)にて複数話を一挙更新して完結予定です
ここからクライマックスとなりますので、どうぞご期待ください!




