第104話『咎人は月下にて裁かれ⑬』
「解せないな。君はただの掃除夫なのだろう? なぜ自分が『悪いもの』だなどと思うんだい?」
「……自警団の連中は、警備料って名目であちこちから金を巻き上げてた。逆らった奴はリンチだから誰も逆らえない。俺はただ掃除をしてただけだが……自警団に雇われて給料を貰ってた。外から見ればあいつらの仲間と同じだ」
「なるほど、線引きが分からないと。では次。これまでに発生した不審死事件について、どんな形でもいいから調査記録は取られているかい?」
「分からない……。あんな事件なら普段は自警団が記録を残すが、今は自警団の連中が逃げてる……」
「ならば、少なくとも自警団が機能しているうちは誰かが記録を取っていたかもしれない。そういうことだね?」
「ああ、おそらく……」
「記録があるとしたら、どこに保管されているか心当たりは?」
「……自警団の本部だと思う。港を見下ろせる丘の上に建ってる屋敷だ。オルガスさんが死んだ後も、他の幹部連中がしばらく残ってた……」
立て続けに問いを放ったレギオムは、満足そうな頷きを見せた。
気づけば掃除夫の目の前には、それなりの枚数の金貨が積み上げられている。私は庶民の金銭事情に疎いのでよく分からないが、結構な大金なのではないだろうか。
「メリル嬢。君から追加の質問はないかな?」
「え、ええ。とりあえずは」
「ならばひとまず十分だ。ここまでにしておこう」
レギオムが指を弾くと、掃除夫の目に一瞬で光が戻った。
「あ……? なんだ? 今、眩暈がしたような……」
「手間を取らせて申し訳ありませんでした。協力に感謝いたします」
またも敬語になってレギオムが掃除夫に深々とお辞儀した。
そして積まれた金貨をすっと彼に向けて押し出す。
「僅かばかりではありますが、どうかお受け取りください」
「ひっ……? な、なんだ? 俺はまだ何も答えて……」
「いいえ。とても真摯に答えていただきましたよ」
不安げに掃除夫がガタガタと震えだす。
そりゃそうだろう。様子からして、質問の間の記憶はまるごと飛んでいるようだ。いくら金貨を差し出されても、意味が分からな過ぎて怖いに決まっている。
レギオムが押し付けようとする金貨を、掃除夫は怯えたように固辞する。
「い……いらねえ。やっぱり受け取れねえ。もういいから帰ってくれ」
「いいえ、受け取って貰わねば私も困るのです。そういう取引だったもので。どうしても受け取っていただけないのなら、無理にでもあなたの懐に押し込ませていただかねばなりません」
「な、なんだ? あんた、何を考えてんだ? 何のつもりなんだ?」
顔を真っ青にして、今にも泣きだしそうな掃除夫。
見かねた私はレギオムの脇腹をこつんと肘でつついて、
「あの~。お支払いの話より、まずは心配をすべきじゃないですか? この掃除夫さん、転んで頭を打ったばかりじゃないですか」
「む?」
察しの鈍いレギオムに視線だけで「黙ってろ」と伝え、私は白狼の背中を撫でてみせる。
「質問の終わり際、ちょっとこの子が吼えてしまいまして。驚いた掃除夫さんがひっくり返って床に頭を打ってしまったんです。お加減は大丈夫ですか?」
「あ、ああ……? 頭を打った? 俺が?」
「はい。覚えてませんか?」
ここで白狼がアドリブを利かせ「ガウッ!」と掃除夫に向けて吼えてみせる。
掃除夫は慄いて大きくのけぞった。
「すいません、ちょうど今のような感じで……。驚かせてしまって申し訳ないです」
「そう……だったのか?」
いくらか掃除夫が落ち着きを取り戻したようなので、ダメ押しで私はレギオムに向く。
「いくらこの方の答えが『何も分からない』の一点張りだったからって、そんな投げやりな態度ではダメですよ。教会の一員として、思いやりの心を忘れてはいけません」
「ん。いや、何も分からないどころか貴重な情報を……」
ここで白狼が「ガウッ!」とレギオムに吼えて強制的に黙らせた。ナイス。
「それじゃ俺は……大したことは喋ってなかったのか?」
「はい。だから正直こちらもここまでの大金を払うのがちょっと惜しくはあるのですが」
冗談めかして私は笑う。
掃除夫はまだ目を泳がせて不安げではあったが、とりあえず私の方便で少しは落ち着いたのだろう。魂が抜けたような安堵の息を吐いて、積まれた金貨に手を触れた。
「こんなには受け取れねえ。一枚か二枚か……この町を出ていけるだけの路銀がありゃ十分だったんだ。多すぎても厄介事の種だ」
「ふむ、承知いたしました。それでは一度全額を受け取っていただいた上で、不要な額を教会に寄付していただくという形はどうでしょう?」
「何でもいい。好きにしてくれ」
レギオムがなにやら回りくどい提案をして、結果的に掃除夫は二枚だけ金貨を受け取る。残った金貨は再びレギオムが回収した。
「敬虔なる浄財に感謝いたします。お礼といっては何ですが、神よりのお告げをあなたに」
「は?」
「もしこの町を出ていくなら明日以降をおすすめします。迂闊にあの『月』から逃げようとすれば、目を付けられてしまうかもしれませんから――あとこれ忘れてました。ドアの修理費です」
そう言うとレギオムは、自分が壊したドアの修理費を黒ずんだ銀貨で払った。
――――――――――――……
「街から漂ってくる血の匂いはそう大したものではない。陰で百人も二百人も殺されているということはなさそうだ」
港の市場の喧騒から少し離れ、丘の上の屋敷を目指す道中。
私はふと思い付いて、白狼に街全体のおおまかな被害状況を調べてもらっていた。
「ここに来るまでの途中、局所的に凄まじく匂いの濃い場所はあったがな。港や市場のあたりに」
「そこはたぶん掃除夫さんの言ってた自警団とか海賊の人の殺害現場でしょうね」
私は心の底でほんのちょっと安心する。
真面目に調査するため白狼にこんな命令をしたのではない。間違っても【断罪の月】が私に襲い掛かってこないか確認するためである。
まだ被害が序の口といったような調子なら、とりあえず私に差し迫った危険はないだろう。
「大したものだ。さすが狼の悪魔だけあって、とてもいい鼻をしているね。助かるよ」
「貴様のために協力したわけではない」
「だとしても結果的に協力してくれているのだからね、感謝せねば」
白狼は露骨に嫌そうな顔をしている。
私は「まあまあ」と宥めてから、残す一つの懸念事項に話を移す。
「ところでなんですけど――今のところ【断罪の月】を視認できているのはネッドさんだけじゃないですか。一人でちゃんと勝てますかね……?」
彼が敗北してしまったら大惨事である。無駄に悪魔を挑発しただけになってしまう。
そうなったら私はレギオムにすべてを押し付けて安全地帯に隠れるつもりだが。
「大丈夫だろう。本人は極めて謙虚ではあるが……過去に交戦した際の話を聞く限り、ネッド君は【断罪の月】に戦闘能力で引けを取っていないよ」
「そうなんですか? なんだか自信がなさそうでしたけど」
「彼自身は『一目散に逃げただけ』と言っているが、それは極めて主観的な表現だ。彼はしっかり敵を観察して、攻撃を躱し、防ぎ、ときに反撃まで繰り出して攪乱しながら――見事に逃げ切ったんだ」
他人のことだというのに、レギオムは自慢するように誇らしげな表情をする。
「だからこそネッド君は【断罪の月】について貴重な情報を得られた。彼は当時、大勢の部下を引き連れていたのだが、その部下たちがやられていく中でも決して冷静さを失わず、『本体が見える者』の条件や『標的とされる者の優先順位』『本体が見えないうちは干渉不可能』という特性の数々を見破った。賞賛に値する戦果だよ」
私も一通りの資料は読んだ。
教会が【断罪の月】について保有していた情報は断片的で、たとえば「悪魔の気配がしない」とか「結界でも被害を防げない」などというものだった。
これにネッドの実体験が加わったことで、一気に情報の精度が上がったというわけか。
だが、それにしても――
「ふん。部下を捨て駒にして敵の観察か。ずいぶん立派な『神の遣い』だな」
危うく私は噴き出しかけた。
私も同じことを考えていたのだが、口に出すやつがあるか馬鹿犬。
「決めつけるのは早いですよ狼さん! もしかしたら部下の人たちを必死で守ろうとして戦った結果、たまたまそういう特徴を見抜けたのかもしれませんし!」
「む、そういう見方もあるか。すまん」
本当は私も『捨て駒』派だが、口が裂けてもそんなことは言わない。もし後で本人にバレたら怖すぎる。
「うむ、私もメリル嬢に同感だ。しかし――ネッド君自身は非常に自罰的でね。今回の事件で敵討ちを果たして、少しは前を向いてくれるといいのだが」
――――――――――――……
船の甲板に立ちながら、ネッドは銀翼の鳥を見つめていた。
この世のものとは思えないほど美しくて悍ましい。まさしく天の遣いを思わせるその姿を見ていると、己の醜悪さを思い知らされるような気分になる。
そして――銀翼の鳥もまた、天上からネッドを睥睨していた。
まるで咎人を蔑むように。見逃さないと糾弾するように。
これからあれと戦うのだ、と思うとネッドは背筋に寒気が走る。今の自分は悪魔祓いの力を完全に使いこなせるようになった。以前とは比較にならないほど強くなった。
それでもネッドは心の底で、あの悪魔をひどく恐れている。
「……妻にあのこと話しときゃよかったな」
今夜にも死ぬかもしれないと思うと途端に後悔が湧いてくる。
妻に伝えるべきことを、まだ伝えられていない。
――俺たちの子には悪魔祓いの素質がある、と。
妊娠して数か月目の時点でネッドは察していた。聖なる力の気配が感じられたし、妻の体調も良好すぎるくらい良好だった。まず間違いなく赤子の力の恩恵だろう。
正直、結婚したときはまるで想定していなかった。
聖女とメリル・クラインという例があるから誤解している者も多いが、悪魔祓いの子が必ずしも悪魔祓いの素質を持つわけではない。というより本来、親から子へ力が引き継がれるのは非常に稀なのだ。
悪魔祓い同士の婚姻でも、その子供に力が引き継がれる可能性は一割未満。
一般人との間の婚姻であれば可能性はさらに下がり、ほとんどゼロに近づく。
最高クラスの悪魔祓いであれば、たとえ一般人との婚姻であっても高確率でその子供に能力が引き継がれるらしいが――そんな例を残しているのは、いずれも歴史上に残るほど強力な悪魔祓いだけだ。ネッドがそんな器のわけはない。
結局、ネッドはゼロに近い可能性を引き当てて、我が子に力を引き継がせてしまったことになる。
この不運がネッドを懊悩させていた。
悪魔祓いの力が確認された赤子は、『安全のため』教会の管理下に置かれる。
強力な力を持っていたら、制御できない幼子のうちに周囲にどれだけ被害をもたらすか分からない。だからこそ、教会はその信仰圏において『不思議な力を持つ赤子が生まれたら教会に報告を』と徹底している。
もちろん親が望めば面会はできる。
面会はできるが、安全が確認されるまで一緒に暮らすことは叶わない。
――しかし、親が悪魔祓いであれば話は別だ。
教会などに管理を任せずとも、親が自力で我が子の力に対処することができるのだから。
つまりネッドが正体を明かせば、問題なく我が子を家庭に受け容れられるのだ。
「だけど……どんな面下げて、だな」
教会圏において悪魔祓いとは、この世の何よりも尊い『神の遣い』である。
咎人であるネッドにはその名誉が耐えがたく重い。
だから最愛の妻に、未だ何も告げられずにいる。
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