第103話『咎人は月下にて裁かれ⑫』
掃除夫は焦点の合わない目で虚空を見つめていた。
そこには何の感情も意志も感じられず、明らかに正気を失っているものと見える。
「……これって何かヤバいことしてません? 大丈夫なんですかこの人?」
「それについては心配いらないよ。護るべき地上の人々に危害を加えるなど悪魔祓いとしてあってはならないことだからね。質問が終われば、彼は何の後遺症もなく元通りになる。神に誓って保証しよう」
自信満々に言い切るレギオムだが、白狼は明らかに彼を警戒していた。
尻尾だけではなく全身の毛を逆立て、しきりに鼻を鳴らしている。
「船を動かしていたときから妙だとは思っていたが……貴様の力は何だ? 他の悪魔祓いの連中と明らかに気配が違う。その気配はむしろ……」
「ふむ、狼くん。勿体ぶるのは趣味でないから素直に答えさせてもらうが」
レギオムはすうっと息を吸い込み、ばしんと手を叩いて頭を下げた。
「秘密なんだすまない! 私の力の詳細は教会の最高機密になっていて、悪魔の身である君に伝えることはできないんだ! 本当に申し訳ない!」
あまりにもストレートな謝罪に、白狼もいささか拍子を抜かしたような顔になる。
「メリル嬢もどうか気を悪くしないで貰いたい。君がこの狼くんをとても信頼しているのは分かっているが、だからといって私も無条件で信頼するわけにはいかない。私情ではなく組織としてのリスク管理というやつだ。個人的にはぜひとも隣人として語り合いたいと思うのだが、やはりそこは容易に譲ってはならない一線というものが……」
「分かった、もういい」
レギオムの長広舌を、白狼が短く打ち切った。
「もとより貴様などに信頼してもらおうなどとは思っていない。話す気がないなら素直にそう言え」
「ううむ、そうだな。確かに現状では結論としてそういうことになってしまうな。すまない」
どことなく気まずくなった空気の中、私たちは改めて掃除夫に向き直る。
レギオムの能力がどんなものかは知らないが、この様子からして、有無を言わさず情報を吐かせることができるというのは本当のようだ。
どうぞ、とばかりにレギオムから掌で質問を促されたので、私は咳払いをしてから無難な質問を告げる。
「近頃、このリグマクの町で不審な殺人事件が発生していませんか? とても人間の仕業とは思えないような。心当たりがあったら教えてください」
「……発生している。港の自警団長のオルガスさんが酷い死に方をした。町中を歩いているとき、いきなり悲鳴を上げて、全身から血を噴き出した。まるで刃物でズタズタに刺されたみたいに。誰も何が起きてるか分からなくて、オルガスさんはずっと刺され続けて最後には挽肉みたいになって死んだ」
「不可視の存在による惨殺か。まず間違いなく【断罪の月】の仕業だろう」
レギオムは頷いて、掃除夫の目の前に金貨を一枚置く。
「私からも追加で質問だ。事件はその一件だけかい? 複数件起きているなら、可能な限り詳細を語ってもらいたい」
「……オルガスさんの後釜に就いた自警団の幹部が、二人続けて死んだ。どっちもおかしな死に方だった。一人目は腸を引きずり出され、海に投げ込まれて魚の餌にされた。二人目はいきなり宙に浮き上がって、豆粒に見えるくらい空高くまで上がって、そこから真っ逆さまに落ちて死んだ。それから、港で有名だった海賊船の頭も死んだ。荷下ろしをしてたらいきなり手足を切り落とされて地面に倒れて、子分たちに助けを求めたけどみんな逃げだして、誰にも助けてもらえず泣きわめきながらその場で失血死した。他には地回りを束ねる頭が何人か……」
「も、もういいんじゃないですか? だいたい傾向は分かりましたから」
聞いているだけで気分が悪くなってきた私は、掃除夫の回答にストップをかけた。
掃除夫は途端に沈黙し、レギオムは報酬として金貨をまた一枚追加する。
グロめな話題を早急に切り替えるべく、私はとりあえず軽めの質問を一つ。
「自警団っていうのは……言い方はよくないですけど、この町を牛耳ってる組織っていうことでいいんですよね?」
「……そうだ。この町には政府も警察もいない。自警団がその代わりだ」
犯罪の温床たるリグマクの統治役ということは、まあろくな組織ではあるまい。その幹部や海賊が狙われたということは、やはり【断罪の月】は凶悪犯を選んで惨殺している。
これについては教会が有していた事前情報と矛盾がない。
掃除夫の短い答えにまたもレギオムは金貨を置き、彼自身も続けて問いを放つ。
「ここには普段、地回りたちが詰めているらしいね? なぜ逃げ去ってしまったんだい?」
「……怖がっていた。自警団の連中が次々におかしな死に方をして、次は自分じゃないかって。脱退者が相次いで、今じゃ港も市場も放ったらかしだ」
「君は逃げなくてよかったのかい?」
「俺は……家がない。ここに住み込みだ。おかしなことになってるのは分かってるが、ここから離れて暮らす場所がない」
「そうか。それは大変だったね」
同情の相槌をうちながら、さらに金貨を並べるレギオム。
相手は正気を失っているから枚数を誤魔化してもバレなさそうなのに、なんとも律儀なものである。
「ではもう一問。この町の上空に光の球が浮いているのは君も気づいているね? 不思議だとか不気味だとか思わないのかい? この町の皆はあまり気にしてないように見えるが」
それは私も気になっていたことだった。
港にいた人々も市場にいた人々も、頭上にあんなおかしなものがあるのに平然と暮らしていた。
「……安心するんだ」
ぼそり、と掃除夫が呟いた。
「安心?」
「おかしいのは分かってる。あり得ないのも分かってる。だけど……あの光の下にいると落ち着くんだ。不思議に暖かくって、ここにいれば安全だって。悪いものから護ってくれるって」
「ふむ? 少し理解に苦しむな。地回りたちは怯えて逃げ去ったという話だし、君もここに引き籠っていた。とても安心した様子とは見えなかったが」
「ああ……そうなんだ。気づいちまったんだ。気づいちまって、安心できなくなったんだ。だからあの光を浴びたくなくて、ずっと小屋に隠れてたんだ」
「何に?」
震えるように己が身を抱いて、掃除夫が項垂れる。
「俺たちは『悪いもの』の方かもしれねえって」
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