第101話『咎人は月下にて裁かれ⑩』
自分のことを『殺し屋』とか『工作員』などと思ったことはない。
客観的に過去の自分を振り返れば、確かにそういう類の人間ではあったのだろう。だが、若き日の〇〇〇は自分のことを『普通の警官』だと信じていた。
教会に対して特別な敵愾心があったわけでもない。
故国は教会を国教として受け入れてはいなかったが、エルバほど強固に拒絶していたわけでもない。悪魔を退けてくれる存在として好意的に見ている国民も多かったし、教会との関係強化を声高に訴える政治家も少なくなかった。
ただ、あらゆる物事は一枚岩ではない。
教会に接近して利を得ようとする者がいる一方で、教会からの干渉を疎ましく考える者もいた。
そして〇〇〇が生まれた地方の長官は、後者に属する人物だった。
15歳で地元の警察に採用されて、ごく普通に職務をこなし続けた。
一年経ったころに署長から呼び出され、『異動』の打診を受けた。
「少し耳に挟んだのだが、〇〇〇君は実家のご両親と上手くいってないらしいね?」
「これから君には秘匿性の高い業務部署に移ってもらいたい」
「ついては『不慮の事故で殉職』という扱いにして、ご両親や友人との関係を一切断ってもらいたいのだが――」
分かりました、と当時の〇〇〇は答えた。
雰囲気からして、断る選択肢などないのは明白だった。
それに両親との折り合いが悪かったのは事実だ。〇〇〇は決して両親に悪感情を抱いていたわけではなかったが、おそらく両親の方はそうでなかった。殉職扱いになれば見舞金も出るだろうし、きっと両親は喜んだろう。
――今にして思えば完全に使い捨ての鉄砲玉だった。
しかし、〇〇〇は命じられた仕事を何度も生き延びた。
当時はまだ、〇〇〇は生まれ持った特別な力を扱えなかった。幼い頃から身の内に『何か』があるのを察してはいたが、本能的な恐怖からそれを敢えて抑え込んでいた。
ただ、それを抜きにしても〇〇〇は戦技について才に恵まれていた。
腕が評価され、さらに多くの仕事を任せられた。
それでも〇〇〇は自分ことを普通の警官だと思っていた。周りの同僚たちも同じだったろう。
どんなに闇の深い世界でも、そこに暮らしている人間はすっかり目が慣れていて、己の周りの暗さに気づかないのだ。
そうして三年が経った。
それなりに部下を束ねる立場になっていた〇〇〇は、規模の大きな仕事を命じられた。
『とある町が悪魔によって壊滅した』
『この被害が明るみになれば、わが国内での悪魔を恐れる世論が高まる。ひいては教会の発言力の拡大に繋がる』
『ついては、件の町の壊滅原因を伝染病のせいということにしたい』
要するに隠蔽工作である。
町に火を放って家屋も死体も焼き尽くし、もしも生き残りを発見したら『口封じ』する。悪魔の仕業だなどと証言できないように。
数十人の部下を引き連れた〇〇〇は防疫部隊を装って町に向かった。
そこで〇〇〇は出会った。
眩い月を背に、神々しく浮かぶ銀翼の猛禽と。
部下は誰一人として生き残れなかった。〇〇〇は恐怖のあまり『力』の抑制が外れ、辛うじてその場を脱した。
情けない幼子のようにどこまでも逃げ続けた。
――ごめんなさい
――許して
そんな風に泣き喚きながら。
いつしか銀翼の猛禽が追ってきていないことに気づいて、〇〇〇は膝から崩れ落ちて盛大にゲロを吐いた。胃がからっぽになっても、吐き気はいつまでも消えなかった。
自分が殺してきた人々の顔が。自分が見捨てた部下の顔が。いつまでも瞼の裏に焼き付いて離れなかった。
そうして〇〇〇は――自分が救いようのない咎人なのだと、ようやく自覚した。
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