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晴れて候  作者: 桃 春花
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其の伍 逆鱗




 町なかへ入っても海棠かいどうはずっとあとをついてきた。


「ねえ、まさか一日中ついてくるつもり?」

「ここで放って帰ったりしたら切腹ですからねえ」


 などと言うが、本当の理由は別だろう。

 目撃した場面が場面なので、非常に気まずかった。海棠もなにかしら思うところはあるはずだ。なのに言いわけも口止めもせず素知らぬ顔なのが不気味だった。

 背中に刃を突きつけられているような気分になってきて、ひな菊は意味もなく辺りを見回した。

 ちょうど小間物屋の前を通りがかるところだった。店先に出ていた店主と目が合った。さっそくにこにこして、彼は声をかけてきた。


「おや、きれいなお嬢さん。どうだい、新しい品が入ったばかりだよ。見てってくんな」

「ああ、うん……」


 あいまいに笑ってひな菊は店を見る。小さな店内に髪飾りや裁縫道具など、女の使う品が所狭しと並べられていた。

 ひな菊と近い年頃の娘が二人、店主の女房と話しながら品を見ている。正月の晴れ着用に新しい飾りを買いに来たのだろう。


「さあさ、もっと入って。小さい店だからってばかにしちゃあいけねえよ。うちはけっこうこだわって品を置いてるからね。いいのがあるよ」


 店主に背中を押されて、ひな菊は店に足を踏み入れる。買うつもりはなかったが海棠とのいやな緊張感から開放されたくて、少しだけ見てみることにした。


「あなたでも、こういうものには興味あるんですね」


 海棠があとから入ってくる。先客の視線が商品から彼に移動した。


「そりゃあ、きれいなものを見れば、普通にきれいだと思うわよ」

「そのわりに、いつも(かんざし)一つつけませんよね」

「簪をつけようと思ったら髪を結わなきゃいけないじゃない。重いし(びん)付け油がべたべたするし、いやなのよね。それに、簪だの(くし)だのつけてたら落っことさないかと気になるし」

「普通に行動していれば、あまり落としませんよ」

「そう言えばあたしがおしとやかになるとでも期待してるわけ?」

「ああ、この程度でおしとやかになってくれたら楽でいいですねえ」


 二人のやりとりを聞いていた店主は、笑顔の下で考えた。たしかにこの娘は珍妙ななりで、普通の装飾品など必要なさそうだ。しかしそこで引き下がっては華南かなっ子商人の名がすたる。それならそれで、ふさわしい品を勧めればよいのだ。


「それじゃあ、こんなのはどうかね。最近はあんたみたいに島田を結わない娘さんも増えてるからね。それでも使える飾りがほしいってんで、職人に作らせてみたのさ」


 店主が棚から出してきたのは、紐で結びつける形の髪飾りだった。花や手鞠をあしらった可愛らしいものから玄人好みの(いき)なものまで種類がある。たしかにこれならばひな菊の髪形でも使えそうだった。


「商売上手ね、おじさん」


 ひな菊は笑った。小さいなりに、この店は繁盛するだろう。


「さあさ、手にとって見てくんな」

「ごめん、せっかくだけどあたしは……」

「いいじゃないですか。これなら落とす心配もないでしょう」


 辞退しようとするひな菊の横から、海棠が手を伸ばして飾りを取り上げた。ひな菊はあわてて店主に聞こえないようにささやいた。


「お金持ってないのよ」


 城の金蔵にはたっぷりあるだろうが、その金がひな菊の手元に来ることはない。必要なものは周りが勝手に整えて、なにも言わなくても都度用意されるのだ。したがってひな菊は、小遣いなどという言葉とは無縁だった。くれと言ってももらえない。


「町に下りても団子一つ買えないんだから……」


 恥かしそうにむくれる少女に、海棠は笑いをこらえた。


「……黄色は違いますね。そちらの赤いのを見せてくれますか」

「はいよ」

「ちょっと海棠」


 勝手に話が進んでいく。袖を引っぱるひな菊にかまわず、海棠は選び出した飾りを髪に当ててきた。


「うん、やっぱり赤が似合いますね。これがいいんじゃないかな」


 椿の花を模した飾りだった。赤い花弁に金色の(しべ)があざやかだ。花は大きいのが一つきりだが、蕊と揃いの金糸の房が垂れている。ひな菊の濡れ羽色の髪によく映えた。


「あなたの髪は本当にきれいだから、束ねるだけなんてもったいないというより許しがたいですよ。こうして飾りを添えればどれほど華やぐか、わかってますか」

「……あんたも、どれだけ恥ずかしくて砂吐きそうなこと口走ってるか、わかってる?」

「花を誉めてとがめられる筋合いはありませんね。店主、いくらです?」

「へい、二朱で」

「高っ」


 ひな菊は目をむいた。団子の二百倍以上だ。もちろん大奥の女たちが聞けば鼻で笑う程度だが、庶民向けの小さな店で聞くとは思わなかった。


「これでも良心価格だよ。金は本物だし、絹も金糸もそこらの粗悪品じゃないんだ」

「それはわかるけど……これで団子二百皿」

「彼女の髪形だと同じものが二ついるんですけど」

「あるよ、あるよ。そら、ふたっつで四朱ね」

「団子一月分……」

「一日十三皿ですか。腹をこわしますよ。はい、それじゃこれで」

「まいどあり!」


 脳内に皿を並べているうちに売買が成立してしまった。はっとひな菊が我に返った時には、もう店主はほくほく顔で金をしまうところだった。


「え、あ、ちょっと」

「こうやってつけるのかな。ちょっと、動かないでください」


 海棠が器用に花飾りを結びつける。いそいそいそと店主が手鏡を持ってきて、ひな菊を映してみせた。

 無造作に束ねただけだった髪の根元に、赤い花が咲いている。それだけでたしかに印象は変わった。奇抜な髪形もあでやかに見えてくるから不思議だ。

 海棠が満足げに微笑んだ。

 

「錦上添花ですね。花上添花とでも言うべきかな、あなたの場合」

「キンジョウ……なんだね?」


 店主が首をかしげた。町人にはなじみのない言葉なのだろう。


「錦上に花を添える。美しいものの上に、さらに美しいものを添えるという意味ですよ」

「へへえ、兄さん学があるねえ。さらっとそういうこと言って贈り物しちまうたぁ男前だねぇ。気障だけどよ」

「はっはっは、そんなわかりきったことを今さら」


 ひな菊は深々とため息をついた。


「……出るわ」

「まいどあり! また来てくんな」


 上機嫌な声に送られて店の外に出る。人ごみの中を黙々とひな菊は歩いた。


「なんです、ご機嫌ななめですね。それはお気に召しませんでしたか」

「……気に入ったわよ。選んでくれてありがとう。お金はあとで松尾に言って用意してもらうから」

「ささやかな献上品ですよ。姫君は鷹揚に受け取っておけばいいんです」

「あんたに借りを作りたくないのよ」

「この程度で貸したつもりはありませんよ。似合うと思ったから買ったまでです。もう少し素直になれませんかね」


 ふり向かないまま、ひな菊はふんと鼻を鳴らした。


「人を猿呼ばわりした口でよくもぬけぬけと。なにが錦上添花よ。ならそっちは巫山(ふざん)の夢じゃない」


 後半は聞こえないようにつぶやいたつもりだったが、海棠の耳にはしっかり届いたらしかった。


「おや、艶っぽいことを言いますね。ふふ、姫と密会ですか。では、その続きも?」

「なんであたしなのよ! 恵泉院けいせんいん様でしょうがっ」


 思わずふり返ってつっこんでしまい、あ、とひな菊は口を押さえた。


「恵泉院様が、どうか?」

「いや……その……だから、さっきの……」


 ごにょごにょと口の中で言いよどむ。海棠の笑わない目が怖かった。

 ひな菊は息をつき、腹を括って海棠に向き直った。


「こんなことしなくても誰にも言わないわよ。そりゃ、あたしもあれはどうかと思ったけど、だからって告げ口する気はないから」

「なんの話です?」

「この期におよんですっとぼけるんじゃないわよ。あたしに見られたと知って追いかけてきたんでしょうが。あんたと恵泉院様が……その、こっそり会ってたこと」


 いったん勢いを取り戻した声が、また尻すぼみになっていく。海棠の目がますます冷たくなったように見えて、ひな菊は内心冷や汗をかく思いだった。


「……どこまで、聞いていたんです?」


 静かな声なのに脅されているような気分だ。負けてはならぬと、ひな菊は己を奮い立たせた。


「あの距離で声なんか聞こえるわけないでしょ。なにも聞いてないわよ。そこまで悪趣味でもないし」

「本当に?」

「あたしはあんたと違ってうそつきじゃないの」


 胸を張って主張するが、海棠が納得してくれたかどうかはわからない。依然、いやな緊張は続いていた。


「それで、僕と恵泉院様とがどうだと言われるんです?」

「どうって……」


 なんだってわざわざ言わせるのだ。ひな菊はむっとして、そして馬鹿正直に答えたら、もしかして口封じなどという展開もありうるのだろうかと悩んだ。

 なにせ彼らの密会は、露顕すれば身の破滅である。ただの逢引きではすまされない。

 しかし結局、ひな菊は思ったまま言うことにした。まわりくどいやり方や本音を隠した口先だけのごまかしは苦手なのだ。なるようになれと開き直って口を開いた。


「恋人同士なんでしょ」


 思いきって言ってしまえば、あとは勢いのまままくしたてる。


「人の色恋沙汰に口出ししたくはないわ。叔母と甥の道ならぬ恋でも当人同士が幸せならまあいいでしょうよ。ただ、あたしがそう思ったって世間は許してくれない。まして恵泉院様は普通の女ではないのだから」


 いやな科白せりふだ。自分がこんなことを言うはめになるなんて。


「参詣にかこつけて密会していたなんてことがばれたら、恵泉院様もあんたも流罪だわ。広根家にも累がおよび、みんなが不幸になる。芝居じゃないんだから心中してあの世で幸せに、なんて言えないわよ。現実の人間はもっと前向きに、幸せを求めて生きないと」


 なんで齢十五にして、六つも年上の男にこんな説教くさいことを言わねばならんのだ。


「愛し合う二人が引き裂かれるのは本当に気の毒だけど、でもあきらめた方がいいと思うの。今ならまだ間に合うわ。もう会うのはやめて、時が心を癒してくれるのを待って……」


 突然、海棠が腕を伸ばしてきたので、ひな菊はびくりと一歩しりぞいた。

 やっぱり口封じ!? 逃げるか戦うか。まともに戦ったのでは勝ち目はないが、奥の手を使えばなんとか――なるかな?

 と、そこまで真面目に考えたひな菊だったが、かまわず海棠は間を縮めてきて軽く抱き寄せるように引っ張った。

 直後、荷車が横を通りすぎた。


「……あ」


 荷台いっぱいの大根と白菜が遠ざかっていく。気をつけて、と海棠が言った。


「どうも、激しく誤解があるようですね」

「誤解?」


 ひな菊は海棠に目を戻した。彼は表情に迷うようすで、ひな菊を見下ろしていた。


「姫がとても想像力豊かであらせられることはよくわかりました。芝居、お好きなんですね?」

「え、や、まあ……心中物は好かないけど」


 想像力? 誤解って。


「ですが、あいにく僕と恵泉院様はそういう関係ではありませんよ。普通に叔母と甥です。禁断の恋などしていません」

「ええ? だって……」

「だって、なんです?」

「……抱き合ってたじゃない」


 思い出すと、なぜか頬が熱くなる。


「そんな情熱的なことはしていませんよ。今こうして、あなたに手を添えているのと同じ程度だったと思うのですが」


 言われてようやく、ひな菊はまだ海棠の腕の中にいることに気がついた。あわててふり払い彼から離れる。

 まずい、ますますほてってきた。

 海棠が、にやりと意地の悪い笑い方をした。


「ひょっとして、妬いてくださったんですか?」

「なんであたしが。なんであんたに。真面目に話してるんだから、ちゃかさないでよ」

「僕も真面目ですよ」


 海棠はすぐに笑みを消した。


「恵泉院様がなんのために参詣なさっているかは、ご存じなんでしょう?」

「……亡き若君の、月命日だから」

「そうです。十三年の歳月が流れても、あの方のお心はいまだ癒されません。ずっと亡くされた若君を思って泣いておられるのですよ」


 ふと、ひな菊は当たり前のことに気づいた。亡くなった恵泉院の息子は、ひな菊にとっては叔父だが、海棠にとっては従弟だ。

 ――似ていたのだろうか?


「恵泉院様は、僕の中に若君のお姿を見ておられるんです。僕が成長するのを喜ばれると同時に、僕が若君でないことを悲しんでおられる。かわいそうな方なんですよ」

「……うん」

「どうやったらあの方のお心を晴らしてさし上げられるのか、僕にもわかりません。それこそ恋でもできれば、また気持ちも変わっていくのかもしれないけど、あの方にそれは不可能だ。ずっと大奥に閉じ込められて、死ぬまで自由のない飾り人形でいなければならない。先の大樹公は亡くなり、若君にも先立たれ、あの方の元にはなにも残されなかった。周りにいるのは権力と贅沢にしか興味のない女ばかり。うわべだけ華やかで孤独な牢獄にずっとつながれて、どうして心が癒されますか。あの場所で、どうやったら前向きに幸せを求めて生きられると言うんですか」

「…………」


 ひな菊は圧倒されて、なにも言えずに立ち尽くした。

 いつも癪にさわるくらい余裕たっぷりで腹のうちを見せない海棠が、珍しく本音を表している。激しい口調ではなくとも、彼の目には冷たい怒りがはっきり浮かんでいた。淡々と語る言葉もぐさりと貫いてくる氷の刃のようだ。

 たった十五歳のひな菊には、どう受け止めればよいのかもわからなかった。そしてそのことに、海棠自身もすぐに気がついた。

 感情的になったことを恥じるように、彼はひな菊から目をそらした。


「すみません。あなたに当たってもしかたないですね」

「あの……ごめん。浅い考えだったわ。無神経だったわね、ごめんなさい」

「いいんです。あなたにわかるはずもない」


 突き放した言い方だった。まともに相手もできないと露骨に態度で示されてくやしかったが、自分はたしかに未熟だ。しかたがない。


「勘違いと失言は謝るわ。でもさっきのあんたたちがおかしな風に見えたのは事実よ。不愉快でしょうけど、気をつけた方がいい。他の誰かに見られたら不愉快どころじゃすまなくなる」

「……なぜあなたは内緒にしてくれるんです? 目ざわりな僕のことも一緒に片づけられる好機でしょうに」


 目をそらしたまま海棠は言う。ひな菊はむっと眉を寄せた。

 しつこくからんでくるものだ。そんなに許せないのだろうか。


「恵泉院様はもちろん、あんたのことだって別に片づけたいなんて思ってないわよ。たまに手討ちにしてやりたくなるけど」

「ちょうどいいじゃないですか」

「なにがよ。告げ口して遠ざけたって意味ないわ。あたしのこの手で、あんたを打ち負かすのが目標なんだから」


 今度ははっきりと、呆れた視線が返ってきた。


「まあ、目標は高い方がいいですよね」

「ほざいてなさい。いつか絶対、あんたを地にはいつくばらせてやるから。現時点で遠くおよばないことは認めるけど、この先もずっと勝てると思ったら大間違いよ。あたしはかならず強くなってみせるから」

「……強いですよ、十分に」


 最後の一言はごく小さなつぶやきだったので、ひな菊の耳には届かなかった。

 ひな菊はあらためて打倒海棠の意欲を燃やしつつ、一方で硬直しかけた空気がどうやら元に戻ったらしいことに、ひそかに安堵していた。

 さっきの海棠は怖かった。ひな菊などまるで問題視しておらず、それでいて棘は鋭く突き刺さってきた。優しい笑顔も甘い言葉も、すべて見せかけのものにすぎないのだとわかっていたつもりなのに、あらためて思い知らされた気分だった。

 機嫌を直してくれたのは、許されたというより単に手加減されただけだろうが、あんな状況が続くよりはありがたい。


「うん、そうね。せっかく外に出たことだし、久々に師匠のところへ行って稽古をつけてもらおうかな」


 気まずさの残滓もふり払おうと、ことさらに元気よくひな菊は歩き出した。

 海棠はため息をついた。すれ違う男たちがじろじろとひな菊をながめていく。どうしてこれを本人は気にとめずにいられるのだろう。彼は不快そうに眉をひそめた。

 

「姫の師匠ね。興味はありますが、もうそろそろ城に……」


 言いかけた時だ。


「あらっ、旦那! 海棠の旦那じゃないっ」


 いきなり、彼を呼び止める声がした。


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