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晴れて候  作者: 桃 春花
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 《二》




 その頃ひな菊もまた、大奥の一室で茶を前にしていた。

 御座ござの間に迎えられたひな菊に、美しい御中臈おちゅうろうがうやうやしくさし出してくる。下座には恵泉院けいせんいんを筆頭に、ずらりと年配の女たちが並んでいた。

 皆、本丸大奥最高権力者の御年寄おとしよりだ。このほかに位だけ御年寄よりも上の上臈(じょうろう)というのがいるのだが、彼女は高齢と体調不良を理由にこの場には現れなかった。

 年齢も経験もとうていおよばない、ひな菊など鼻息で吹き飛ばされそうな迫力おばさんたちを前に、最高級のお茶に口をつける。味なんかわからない。

 一人、恵泉院だけが、おっとりと微笑んできた。


「まこと、上様にそっくりなお美しさですこと。そうしておられると、よう似ていらっしゃいます」

「そ、そうですか」


 微笑み返し、ふとひな菊は気づいた。


「そういえば、恵泉院様と海棠かいどうも、どことなく似ていますね」

「まあ、さようにございますか?」


 彼女は四十の手前と聞く。母のような妖怪じみた若々しさはないが、まだ十分に美しく魅力ある人だった。ものやわらかな表情が、やはり海棠に重なる。


「あの子は、姫様のお役に立っておりますでしょうか」


 ……失礼にならないように。

 ひな菊は気をつけて答えた。

 

「ええ、毎日はげみになっています」


 手合わせが。


「すぐれた師と、思うております」


 いつか倒してやる。


「ありがとう存じます」


 うれしそうに恵泉院は頭を下げた。


「……でも、なんというか、ちょっとだけ性格に問題がなきにしもあらずというか……あの砂吐きそうな口説き癖、どうにかならぬものでしょうか」

「ま」


 袖で口元を隠して、ほほと恵泉院は笑った。


「それは、ご無礼を申しわけございません。あの子は昔から母にも義姉(あね)にも可愛がられ、自分の姉妹からもちやほやされていたものですから、すっかり女子(おなご)に対する口が上手になってしまいまして」

「……ずいぶん、親しげなごようすですね」


 ひな菊が首をかしげると、恵泉院は袖を下ろした。


「この大奥に住まい、宿下がりもせぬ身なのにとお思いなのですね。ええ、たしかにそのとおりですが、かわりに家族の方から会いにきてくれます。男の子も九歳までは連れてこられるのですよ」

「ああ、そうでしたか」

「こちらへ訪ねる時、母はかならず海棠を一緒に連れてきました。あの子の成長はわたくしにとっても楽しみで……わが子のようにも思うております」

「…………」


 わが子、という言葉にある事実を思い出し、ひな菊はどう返したものかと迷った。それに気づいて、恵泉院はさみしげに笑った。


「ご承知のとおり、わたくしは先代様から授かった若君を亡くしてしまいましたから」

「叔父君は、わずか三歳で身罷(みまか)られたと。お気の毒に思います」


 唯一の男子でありながら、生来の病弱さゆえに彼女の息子はなかなか世継ぎと定められなかった。そうこうするうちに先代が亡くなり、幕閣たちがさんざん協議した結果、年長で健康な母が十八代目となったのだ。

 結局その一年後、若君も世を去った。恵泉院にとってどれほどの衝撃だったのか、まだ十五歳のひな菊には到底はかりしれない。

 精一杯のなぐさめに、恵泉院はただ静かに頭を下げて応えた。


「親が子においてゆかれることほど、さみしいものはございません。姫様はお健やかにお育ちで、ほんによろしゅうございました。上様はお幸せにあらせられます」


 父親のしれない私生児、妖姫(あやかしひめ)、さもなくば大樹公の世嗣よつぎ。そんな仰々しい肩書よりも、彼女にとってのひな菊は、単に誰かの子供という存在であるようだ。向けられるまなざしは、優しいのにどこか暗くもの悲しい。

 亡くなった若君は、ひな菊と一歳しか違わなかった。無事に成長していればこのくらいと、重ねずにはいられないのだろうか。

 息苦しくなってきて、ひな菊は恵泉院から目をそらした。なにげなさをよそおって、後ろの御年寄たちを見る。ひな菊の視線を受けても、誰も口を開かなかった。彼女たちは恵泉院とは正反対に、固く冷たい顔をしていた。

 礼儀を別にしても、ひな菊と話をする気はないらしい。ただ義理のみでこの場に(はべ)っている。そうした気持ちを隠すそぶりもなく、中には露骨に軽蔑の視線を向けてくる者もいて、ひな菊をうんざりさせるのだった。

 まあ、好かれているとは思っていなかったが。

 覚悟はしていたものの、悪意の中に身を置くのはけっこうきつい。母などに言えば未熟者と笑われそうだが、ひな菊は人一倍他者の悪意に敏感なのだった。


「早いもので、もう師走(しわす)もなかば……今年もあとわずかにございますね。年が明ければいよいよ姫様のお披露目、楽しみですこと。大奥でもたくさんの行事がおこなわれて、それは華やかなのでございますよ」


 恵泉院だけは親しげに話しかけてくれるけれど、彼女も苦手だ。どんなに優しくしてくれても、彼女の内側にある暗い情念が伝わってくる。向かい合っていると引きずられて、ひな菊まで深い淵に落ちてしまいそうな気持ちになるのだった。

 袖に隠した手のひらが汗をかいている。

 調子を合わせ、明るい話題に花を咲かせながらも、ひな菊はひたすら退去の頃合いを待つのだった。






 義理を果たして自分の部屋に戻ったひな菊が真っ先にしたのは、重たい装束を脱ぎ捨てることだった。

 まず打掛を勢いよく放り投げ、繻子(しゅす)の帯を乱暴にほどく。固く結ばれた帯はやっかいで、ひな菊はいらいらと引っ張った。


「海棠様、どうか別室でお待ちくださいませ」


 止める暇もなくひな菊がどんどん脱いでいくので、七枝ななえは海棠に頼むしかない。彼はうなずいて立ち去りかけたが、ひな菊がそれをとどめた。


「いいわよ、別に。全部脱ぐわけじゃないんだから」

「少しは恥じらいというものをお持ちください!」

「怒鳴らないで。本当に気分が悪いんだから」


 いつもの覇気がない声に、七枝ははっと口をつぐむ。ひな菊の顔色はたしかに悪かった。七枝は文句を言うのをやめて、帯をほどくのを手伝った。


「薬湯を持ってきてもらいましょうか」


 海棠の言葉に、ひな菊は首を振る。


「いらない。病じゃないもん。ちょっと疲れただけ」


 振袖も脱いで(ひとえ)姿になり、最後に足袋たびを脱いで、ようやくひな菊は息をついた。畳の上に転がり、ぐったりと目を閉じる。長い髪が乱れ、細い肩から畳へ広がった。

 

「なんともしどけないお姿で……これは誘っていただいていると受け取ってよろしいのでしょうか。望外の喜びですが、こう明るくてはいささか気恥ずかしいですね」

「そのくさった目とわいた頭を捨てておしまい」


 海棠は笑い、打掛を拾ってひな菊にかけてやった。


「言い返すお元気がおありなら大丈夫でしょうが、やはり薬湯をもらってまいりましょう」


 返事を待たずに部屋を出ていく。引き止めるのもおっくうで、ひな菊はもう放っておくことにした。


「本当に大丈夫ですか、姫様」

「うん……」

「お蒲団ふとんを敷きましょうか」

「いい、このままで」

「でも、お風邪を召しますよ」

「すぐ落ち着くから……」


 力なく横たわっていると、ひな菊はひどく華奢ではかなげに見える。じっさいはそんなに弱い人ではないとわかっていても、七枝は不安になってきた。そっとふれた額に熱はなかったが、冬だというのに汗をかいていた。

 懐紙を取り出して押し当てる。このようすだと単も襦袢(じゅばん)も全部着替えさせたほうがよいだろう。


「今日のお食事は、姫様のお好きな(、、、、)はまぐりのお吸い物ですよ。お芋の甘煮も出るそうです」


 元気づけるつもりで言ったが、ひな菊は切なげに息をついた。


「……食べられるものだといいなあ」


 七枝は顔を曇らせた。


「姫様、せめて松尾まつお様にはお話ししませんか。このまま黙っておくのはよくありませんわ」

「だめよ」


 ようやくひな菊が目を開く。瞳にいつもの力が戻っていた。


「関係のない者にとがめがいくだけだわ。言う必要はない。さして実害はないんだし」

「大ありではございませんか」


 七枝は憤然と言い返した。


「いったい、誰が姫様に毒などを……」

「さあ。あたしに死んでもらいたい者など、いくらでもいるでしょうよ」


 畳の上でつっ伏したまま、ひな菊は低く笑った。


「分家筋の連中か、それとも幕閣か。政治的にもあたしは問題視されてるし、ましてあやかしつきとなれば排除したいことでしょう」


 人々は妖を忌み嫌うが、本当におそろしいのは人間の方だ。人を殺すのは人でしかない。


「女たちもあたしがいる限り、いずれお部屋様に、お腹様にという望みは持てない。陰謀に加担する者が出てきても不思議はない。さすが、柳営(りゅうえい)は聞きしにまさる伏魔殿(ふくまでん)よ。あいにく毒なんかじゃあたしは殺せないけど」


 話の内容の物騒さとは裏腹に、ひな菊の口調は軽い。仕込んでいる者には想像もつかないことだろうが、彼女はこれまで出た毒入りの膳を、すべて看破してきた。手も口もつけず、毒が入っていることを察知できるのだ。


 ややこしい話だが、毒そのものに気づくわけではない。ひな菊を害そうとする、強い悪意を見抜くのだ。その証拠に山吹家の人々が食中(しょくあた)りを起こした時には、もれなくひな菊も医者の世話になった。ところが隣家の息子が悪質ないたずらをして、毒入りの菓子をひな菊に与えた時は、なにもわからない幼児だったのに食べなかった。食べられるものに見えなかったからだ。

 毒入りの膳など、ひな菊の目には瘴気を放っているように見える。

 この特技があればこそ、安心して城にも住めるというものだ。人に知られればまた気味悪がられようし、あまりに強すぎる悪意を向けられると疲れもするが。


「七枝」


 心配そうに覗き込む乳姉妹に、ひな菊はほろ苦く笑った。


「あんたはこんなところにいつまでもいないで、ちゃんと家に帰りなさいね。いずれ適当な口実をつけて、罷免(クビ)にしてあげるから」

「無用ですわ」


 七枝は首を振った。


「わたくしは、ずっと姫様のおそばにお仕えすると決めているのです。そのようなことをおっしゃらないでくださいませ」

「山吹家の子供はあんた一人なんだから、婿を取って家を継がなきゃいけないじゃない」

「養子を迎えればすむことです」

「それじゃ、義父(ちち)上と義母(はは)上がかわいそうよ」

「家を出る前にきちんと話し合って、了承してもらいました。それに、父と母も姫様のことを案じております。わたくしが姫様を置いて一人帰ったりしたら、叱られてしまいますわ」


 七枝は優しくひな菊の髪をなでた。


「ですから、どうぞご心配なさらないで。わたくしの可愛い姫様。(ねえ)やはずっと、おそばにおりますよ」


 細くあたたかい手が、慈しみをこめて何度もなでてくれる。泣きたくなるほどに心地よかった。

 どんなに嫌われても、憎まれても、七枝だけはいつでも味方をしてくれる。

 昔からずっと、この手になぐさめられてきた。だからつい甘えてしまいたくなる。もう一人立ちしなければいけないと、わかっているのに。

 

「姉やって、歳は一緒じゃない」

「姫様は中身が赤子ですからよいのです」

「赤子ぉ?」

「殿方の前であんなに勢いよくお脱ぎになって。もう、こちらが恥ずかしくてなりませんでしたわ」


 ひな菊は少し身を起こして頬杖をついた。


「そりゃ、あたしも肌まで見せる気はないけどさ。どうせ玉ねぎみたいに何枚も重ね着してるんだから、上を脱いだだけでそんなに神経質にならなくてもいいじゃない」

「今からでも上様のところへ行って、おなかに置き忘れてきた女心をいただいてこられませ」

「…………」


 歳はともかく、七枝が姉だというのは本当だ。どうにも頭が上がらない。

 それがくすぐったくもうれしいということは、いちおう内緒なのだった。






 廊下を歩いていると、正面から松尾が一人でやってきた。

 軽く会釈して通りすぎようとした海棠に、松尾の方から声をかけてきた。


「姫様のお加減がすぐれぬとか」


 海棠は足を止め、彼女に向き直った。


「ええ、意外にかよわいところもおありなのですね。気疲れで弱るとは」

「気疲れ?」

「そのようです。毒のせいではなく」


 さらりと口にした言葉に、松尾は特に驚きも動揺も見せなかった。いつもどおりの威厳を保ち、さぐるようなまなざしを向けてくる。

 海棠は、ひな菊の前ではけっして見せない、冷やかな笑みでこれに応じた。


「白状しますと、ほんの昨日気づいたばかりなのですがね。いったいどんなからくりか、あの方はちゃんと見分けておられるようです。これまで何度か盛られた毒は、いっさい口にされていません」

「……その膳は」

「七枝どのがひそかに処分なさっています。表沙汰にすれば膳所や関係のない者たちにとがめがいくからと、姫が指図されているのでしょう。本当に、お優しい」


 口とは反対に、海棠の目は冷たかった。対する松尾も負けずに冷徹な顔を崩さない。ふ、と静かな笑いをこぼし、海棠はふたたび足を踏み出した。


「あの方の欠点は、そのお優しさですね。人をかばう余裕があるとでも思っておられるのでしょうか。狙う側にしてみれば、実にありがたい話だ。つけこみ放題ですよ。ねえ?」


 もう一度会釈して、松尾から離れる。向かいからやってきた女中が彼に気づいた時には、もういつもの優しげな表情に戻っていた。


「あの、松尾様、いかがなされましたか?」


 ぽうっと彼を見送った後、廊下で立ち止まっている松尾に気づき、女中はあわてて声をかけた。


「どうもせぬ」


 松尾はそっけなく答える。その顔はやはり、いつもどおりに静かなままだ。

そうしてふり返りもしないまま、彼女は反対の方向へと歩いていった。


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