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晴れて候  作者: 桃 春花
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其の参 敬して遠ざく




 あやかしの子だよと、誰かがののしった。

 あっちへ行けと石が投げられる。

 幼いひな菊は泣きながら走った。

 背の高い草むらに隠れて、一人声を殺して泣いた。

 そんなひな菊の周りに、妖たちが集まってくる。人とかけ離れた、奇怪な姿のものたちだ。

 一つしか眼を持たぬもの、逆に身体中に眼を持つもの、鳥の頭に人の身体、獣の身体に人の顔。さまざまな異形たちが、徐々に数を増やしてひな菊を取り巻いていく。

 さっき自分がされたように、ひな菊は小石を拾って投げつけた。


 あっちへ行って。

 あんたたちなんか大嫌い。


 泣きじゃくる幼子に困惑したように、彼らは一旦距離を取った。

 けれどまた、少しずつ近寄ってくる。覗き込む顔は異形でも、みな心配そうにひな菊を見守っていた。

 おどけるように、小さな妖が転がった。ころり、ころりとひな菊の前でふざけてみせる。

 別の妖が野辺の花を摘んできた。ひな菊が受け取ろうとしなければ、頭の上から降らせてくる。

 腕いっぱいに木通(あけび)を抱えてくるものもいた。甘い実をさし出されて、ようやくひな菊は小さな手を伸ばした。

 呼び声が聞こえる。

 ひな菊と同じ、切り下げ髪の幼い娘が、振袖に草がつくのもかまわずやってくる。

 妖の群れの中にひな菊を見つけ、うれしそうに笑った。ひな菊も泣き笑いで手を伸ばした。

 一緒に木通を食べて、手をつないで歩いた。妖も一緒に、みんなで歌をうたった。






「可愛らしい寝顔ですね。もう少し拝見していたく存じますが……姫、起きてください」

「……んぇ?」


 ぼんやりと、ひな菊は目を開ける。どの妖が呼んだのだろうか。なにか、普通に人のような声だったけれど。


「せっかく気持ちよくお昼寝のところ、お気の毒ですが」

「んー……?」


 目をこすりながら、ひな菊は身体を起こした。蒲団ふとんがわりにかけられていた着物が肩から滑り落ちた。


七枝ななえ?」

「申しわけありません、私です」


 目の前に端整な男の顔が現れる。ようやくひな菊は覚醒した。


「げっ、海棠かいどう!?」

「はい、おはようございます。そろそろ約束の刻限ですので、お支度を」

「はっ? え、あ?」


 口の端のよだれをぬぐいつつ、ひな菊は周りを見回した。なつかしい野辺の風景はなく、西の丸の自室だった。

 大きな手がすいと近づいてきて、ひな菊の目尻をぬぐった。ぬくもりはすぐに離れる。ひな菊はどういう顔をしていいのかわからず、海棠から目をそらした。どうやら、寝ながら少し泣いていたようだ。


 ずいぶん昔の夢を見た。


 まだぼんやりしているうちに海棠は一礼してひな菊の前から下がり、かわりに奥女中たちがひな菊を取り囲んだ。あれよあれよという間に着物をはぎとられ、別の着物を着せられる。なにごとかと思ったが、そういえばさっき海棠が約束がどうのと言っていた。そうだ、今日はこれから本丸の大奥へ出向かなければならないのだ。

 予定を思い出し、仕方なくひな菊は重くて邪魔な姫装束に身を包んだ。ただし髪を結うのだけは断固拒否して、乱れたところを梳かせるにとどめる。

 そうして支度の整ったひな菊の前にふたたび呼ばれた海棠は、案の定砂吐き文句を垂れ流した。


「これは、見違えました。姫のお美しさは十分に承知のつもりだったのですが、まだまだわかっておりませんでしたね。素材のよさは磨けばさらに光り輝くものと、あらためて感じ入りました」

「ああはいはいもー、耳がくさるからやめて」


 まともに聞く気もなく、ひな菊は手を振って黙らせる。床に引きずるすそを踏まないよう注意し、広がる打掛は手でかいどった。

 まことに、女の装束は邪魔くさい。

 部屋を出れば、海棠と女中たちもぞろぞろとあとをついてきた。


「ああ、やだなあ……気がすすまない」


 ひな菊はぶちぶちと不平をこぼした。


「なーんであたしがお礼なんか言いに行かなきゃなんないかなあ。あんたが来たことなんて、ちっともありがたくないのに」

「すばらしき出会いだったではありませんか。これまでの人生で最高の喜びでしたね」

「へー、それはまた幸薄い人生だこと」

「あちらへ出向かれるのがおいやなら、恵泉院けいせんいん様をこちらへお呼びすればよろしいのでは? それならまだお気楽でしょうに」

「礼を言う側が相手呼びつけてどうすんのよ。いくらなんでも不躾でしょう」

「姫のご身分からすれば別に問題ではないかと存じますが、そうお考えにならない謙虚さはご立派ですね。日頃はきかん気のやんちゃでも、さすがこうしたところは筋が通っておられます」

「あんたさ、そのおべんちゃら、ちょっとは控えられないの?」

「これは申しわけございません。正直者ゆえ、思うところを黙っておれませず」


 誰が正直者だ、誰が!


「……ばかみたい」


 小さなつぶやきに、実にまったくとうなずいて、ふとひな菊は気づいた。今のは自分が言ったのではない。大いに同感だが、別の場所から漏れ聞こえた声だった。

 ひな菊はふり返らず、知らん顔のまま歩いた。どこから、誰が言ったのかわからない。ほんの一瞬、短い一言の中に、蔑む響きが込められていた。

 声の主が蔑んでいるのは海棠ではないだろう。彼が誉めそやすひな菊に対してだ。

 向けられる悪意を感じる。

 ひな菊が反応しないでいると、またささやく声がした。


「妖の子が」


 くすくすと笑うのも聞こえる。どうやら、近くの部屋かららしい。

 ひな菊がとがめないものだから調子に乗っているのだろう。普通ならば即引き出されて、きつく仕置きを受けるような行為なのだが。

 まだ夢の続きを見ているようだ。

 ひな菊はそっとため息を隠した。今さらこの程度で腹も立たないが、やはり少しは気落ちせずにいられない。

 聞こえているだろうに、後ろに続く誰も、なにも言おうとしない。海棠もこんな時に限って黙っている。

 別に、かわりに怒ってもらいたいわけではないのだけれど。

 それでもやはり、なにかが、さみしかった。






 西の丸の大奥内でひな菊が乗り込んだ駕籠かごは、そのまま本丸の大奥へ運び込まれた。姫君が庭を歩いて移動するなどということはないのだ。たとえ普段、庭でも山でも好き勝手に出歩く人だとしても。

 海棠が供をできるのは大奥の入り口までで、戸が閉じられると彼はすぐさまきびすを返し、表へ向かった。

 本当ならば、ひな菊が出てくるまで戸の前で控えていなければならないが、ゆうに半時はかかるだろう。その間に他のことをしたかった。


 海棠は番士ばんしという、城内の警備係が詰める場所へ向かった。詰所の隣には弁当部屋というものがあり、交代で休憩を取るようになっている。海棠はそこへ入り込んだ。

 箱火鉢にやかんがかけられ、茶が飲めるようになっている。海棠は物おじせず、勝手に茶を淹れて一服した。

 部屋には数名の番士がいて、入る時に挨拶はしたが、見慣れぬよそ者に対する反応は冷たかった。泰然と茶を飲む海棠を、横目で見てはこそこそとささやき合っている。そのうち一人が声をかけてきた。


「おい、おぬしが最近西の丸に入ったという、姫君付きの守役だな」


 海棠は湯呑みを下ろして彼をふりかえった。歳の頃三十の半ばくらい、中堅といったところか。


「はい、広根海棠と申します。新参の若輩者ですが、よろしくお願いいたします」


 丁寧に頭を下げれば、ふんとばかにした笑いが返ってきた。


「なるほど、役者も顔負けの色男というわけか。さぞかしその顔で姫君に気に入られておるのだろうな」

「しかしなんだ、その頭は。まげも結わぬとはみっともない。もしや町方(まちかた)のせがれが御家人株(ごけにんかぶ)を買って武士を名乗っているのではあるまいな」

「守役などといって、姫君になにをお教えしているのやら」


 他の者も口々に笑う。あからさまな敵意だった。

 番士と守役ならば、役職では海棠の方が上級になる。しかし大樹公のそば近く仕える役目だけあって、彼らは皆選りすぐられた家柄の者ばかりだ。その矜持がこうした態度になって表れるのだろう。

 ――蛍大名という言葉がある。側室に上がった娘の親類縁者が、一気に成り上がることを皮肉った言葉で、お尻の威光にあやかるというわけだ。

 広根家の今日こんにちあるは、すべて恵泉院のおかげだ。そして海棠の役目は姫君付き。貧乏人が女のおかげで出世し、女に媚びて出世した。彼らはそう見下しているに違いなかった。

 海棠は怒らなかった。


「いちおう、武家の生まれですよ。もっとも部屋住(へやずみ)の身でしたので、いささか不真面目に育ってしまいましたが」

「ふん、冷や飯食いか」


 ばかにしながらも番士は近寄ってきた。穏やかで気さくな態度に、いくぶん敵意を和らげたらしい。


「それが一気に守役とはな。まこと、うらやましい限りだ」

「いずれ姫君のご寵愛を得て、さらなる出世か? 顔一つで成り上がれるとは、なんと楽なことよ」

「いやあ、実はちょっとそういうのを期待していたんですがね」


 海棠は肩をすくめた。


「姫君はどうにも気性の荒いお方で、私のような男ではお気に召さないようです。逆に嫌われていますよ」

「ほう」


 番士たちはどっと笑った。


「なるほど、大樹公の血を引くだけあって、顔だけの優男には見向きもされんか。それは残念だったな」

「荒ぶる姫ともっぱらの評判だからな。(それがし)もちらと見かけたことがあるが、あれは姫というより山賊だ。脚をさらして歩き回り、じつに猛々しかった。まあ、見目は悪くなかったがな。白い内腿がなまめかしくて、そそられたわ」


 品のない顔でさらに彼らは笑い合う。一瞬、海棠の目に冷たい光がよぎった。番士たちは気づかずに続ける。


「意外と男慣れしているやもしれんぞ。なにせ城の外で育ったのだ、どのような経験をしてきているやら」

「誘えば簡単に乗ってくるやもな」

「いやしかし、妖の子と言われる娘だ。ただの女と思って手を出したら、どんな痛い目を見るかわからんぞ」

「おお、そうそう、もしや姫君のお好みは妖の男なのではないか? 人間など逆に醜く見えるのかもしれん」

「そういえば、そのような話があったな。妖の国で歓待を受けた男が、妖の遊女に醜いと嫌われたという」


 意地の悪い言葉がかわされる。海棠はさりげなく、そのことですがと切り出した。


「姫君が妖の子だという話、どういった理由からなのでしょう?」

「なんだおぬし、側仕えのくせして知らんのか?」

「はあ、これまでお役目とは無縁でしたから。お城に上がるようになってうわさはちらほら耳にしたのですが、周知のことゆえ説明の必要はあるまいと皆思い込んでいるようで、私もつい今日まで聞きそびれてしまいました」

「……なるほどな」


 盲点だったのか、番士はやけに真顔で納得した。

 一瞬顔を見合わせた後、彼らはさらにひざを詰めてきた。いちおう辺りをはばかるつもりらしく、声をひそめる。


「十六年前のことだ。公方(くぼう)様がまだ沙羅姫と呼ばれておられた頃、神谷(かみや)延行寺(えんぎょうじ)に参詣なされた。ところが途中、お付きの者が目を離したわずかな隙に消えてしまわれたのだ。奉行所の者も駆り出されて捜索が行われたが、手がかり一つ見つからなかった」

「それが十日後、まったく突然に、それも城内の御座所(ござしょ)で発見されたのだ。いつ、どうやって戻ってこられたのか、誰にもわからなかった。しかもだ。沙羅姫は、ご自分の身に起こったことを、なにひとつ覚えておられなかった」

「……神隠し、ですか」


 話がなにを意味するのかは、すぐにわかった。

 怪談、奇談の中でも、神隠しはもっとも有名だ。行方不明になった子供が何年もあとに、いなくなった当時のままの年齢で戻ってきたとか、数多くの逸話が言い伝えられている。


「そのようなことがあったとは、存じませんでした」

「公には秘密にされるからな。まあそれだけで終わればただの不思議ですんだのだが、十月後姫には子が生まれた。父親のしれぬ赤子だ」

「神隠しにあっていた間に身ごもられたというわけですか」

「そうとしか考えられぬ。当時姫に男がいるそぶりはなかった。親しくしていたと言えばせいぜい乳兄弟の山吹(やまぶき)平太郎(へいたろう)くらいだが、その頃姫のそばには仕えておらなんだ。それに計算も合う」

「そうしてお生まれになったのが、ひな菊姫なのですね」


 なるほどと海棠はうなずいた。ひな菊が大樹公の隠し子とは聞いていたが、そのようないきさつがあったとは。父や兄は知っていたのだろうか。最近では滅多に口を利くこともない人々を思う。


「しかし、それだけで姫を妖の子と決めつけるには無理がありませんか。表沙汰にされていないだけで、沙羅姫――公方様の神隠しには、れっきとした事情があったのかもしれませんよ。それらしく不思議な話でごまかして真相を隠したのだと考えた方が、ずっと自然に思えますが」


 じつは情夫と駆け落ちして連れ戻されたとか、無頼の輩にかどわかされていたのだとか、他にも理由は思いつく。


「おそれ多いことを平然と言うな」

「同じことを考えた人は多いと思いますが」

「まあな。おぬしの言うとおりだ。当時はそのように思われていた。まこと人外の者のしわざだったと言われるようになったのは、ごく最近よ。おぬしのご主人が西の丸に入って以来だ」

「……姫の周囲に、妖が出没するから?」

「そうとも。聞けば養家の山吹家では、昔からそうだったというではないか。周辺では有名な話らしいぞ。山吹家の養い子は妖とたわむれ、式神のごとく従えていたと」

「妖の子が妖を呼ぶのだ。近頃城内に怪異が多いのも、妖の子がいるせいよ」

「昨夜もまた大奥の女中が宙を飛ぶ生首を見たというぞ。このままあの姫が大樹公になどなったら、この華那(かな)の国はどうなってしまうのか」

「まったくだ。上様も、そのようないかがわしい子供を世継ぎになさるとは、なにをお考えなのやら。城内で育てることまかりならぬと命じられた先代様こそ正しかった。そのご遺言に逆らうとは、やはり愚かな女か」

「なに、まだどうなるかわからんさ。上様はお元気で当分代替わりはなかろうし、ご養子として迎えるにふさわしい方も分家筋にいらっしゃるしな」

「いかさま。やはり大樹公は男であってこそ……」

「おぬしら、いつまで休憩しておる」


 突然(ふすま)が開いて、隣室から別の番士が顔を出した。

 どうやら陰口が聞こえてとがめにきたらしい。彼は海棠のこともじろりとにらんだ。

 

「とうに時間はすぎておるぞ」

「お、おお、これはいかん、失礼した」

「や、つい話し込んでしまったな。ではこれにて」


 番士たちがあたふたと立ち上がる。海棠は彼らに謝辞を述べ、「ああ、そうだ」と付け足した。


「まだお名前をうかがっておりませんでしたね」

「む、そうだったか。某は疋田(ひきた)源吾(げんご)と申す」

「では疋田どの、西と本丸ではなかなか顔を合わせる機会もありませんが、どうぞ今後ともよしなに」

「ああ、まあ、お役目はげまれよ」


 他の者も口早に名乗って隣室へ移っていった。彼らの名と顔をしっかり記憶に刻み、最後に海棠は呼びに来た番士を見た。

 まだ二十代と思われる若い番士だ。先の者たちとは違い、浮ついた気配はない。こちらを見下ろすまなざしは(やいば)で一なでしてくるような鋭さだった。


「西の丸姫君付きの広根海棠と申します。そこもとのお名前も、お聞きしてよろしいでしょうか」

「……大井(おおい)忠清(ただきよ)だ」


 低く答える。こちらもついでに覚えておこう。

 つかのま、大井は黙って海棠を見下ろしていたが、やがて独り言のようにぼそりと言った。


「……君命(くんめい)(はずかし)めずと言う」


 答えも待たず襖が閉められる。一人残されて、海棠はそっと笑った。


「君命、ね……」


 すっかり冷えてしまった湯呑みに、もう一度熱い茶をそそぐ。湯気をあごに当てながら、誰にともなく海棠はつぶやいた。


「ええ、もちろん。あの方のたってのお願いですからね。かならず、果たしてみせますとも。かならずね……」


 聞く者もないひそやかな約束は、火鉢の灰に落ちて消えていった。



半時=一時間


君命を辱めず=論語より。君主から命じられた任務を十分に遂行すること。

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