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晴れて候  作者: 桃 春花
2/17

 《二》




「上様におかれましては、本日もご機嫌うるわしゅう。隠しきれぬ小ジワもことのほか輝いておられ、お(よろこ)び申し上げます」


 若い姫らしい華やかな染めと刺しゅうの入った打掛姿で、しとやかにひな菊は手をついた。重たい(まげ)を嫌い、二つに分けて結んだだけの髪が、さらりと畳にこぼれ落ちる。


「……よい覚悟じゃの、ひな菊」


 正面に座す大樹公の手の中で、扇がみしりと音を立てた。

 顔を上げて、ひな菊はべえと舌を出した。


「朝っぱらからお説教しに来るなんて、今日の母上はおヒマなのね。天下泰平で結構ですこと」

「説教しに来たなどと言うた覚えはないがの。そう思うということは、よほど身にやましいところがあるのじゃな」

「いいえ、ちっとも。窮屈な暮らしも面倒な稽古ごとも、てやんでぇやってられるかこんちくしょーと思うばかりなれば、トンズラこいてなんぞやましきことがありましょうや。ほんの反抗期にござりますれば、おかまいなさらず」

「そちも憎たらしいまでに健勝の様子、なによりじゃ」


 母娘はよく似た顔を突き合わせて、ふふふほほほと笑い合う。二人の間に飛び散る火花に、周囲に控えた奥女中たちが冷や汗を流していた。

 平然としているのは昔からこんなやりとりを見慣れている乳姉妹の七枝ななえと、岩のように厳しい表情をぴくりとも動かさない松尾まつおだけだ。


 前ぶれもなく突然訪れた母との対面に使われているのは、御広座敷(おひろざしき)と呼ばれる部屋だった。


 世嗣(よつぎ)や大御所の住居として使われる西の丸は、基本的に本丸と同じ構造である。公務を行う書院などは表、女たちが暮らす場所は奥と呼ばれ、厳格に区別されている。

 大奥は男子禁制と言っても、表と一切の交渉なく暮らせるものではない。男役人が来てさまざまな話し合いをすることもある。そんな時に使われるのが、この御広座敷だった。

 言い換えると、使用人用の部屋ということになる。

 上様のおなりとなれば、通常表の白書院が使われるものだ。さもなくば、せいぜい大奥の御座(ござ)()か。御広座敷というのはありえない。

 現在西の丸の主であるひな菊も、これまで御広座敷に入ったことはなかった。いったい母は何をたくらんでここを指定したのか、身構えずにいられない。

 警戒心もあらわな娘に、大樹公は人の悪い笑みを見せた。


「そんな可愛いわが子に、今日は土産を持参したぞ」

「土産?」


 ぱちりと大樹公が扇を鳴らす。供をしてきた男たちが廊下に控えていたが、そこから一人が進み出た。

 御広座敷の入り口で手をつく。


「許す。ちこう」


 大樹公が声をかけると、もう少しだけ中へ入った。ひな菊とはまだまだずっと遠い。

 こういう格式ばったやり取りが、ひな菊には面倒でならなかった。

 肩越しにふり返ったひな菊は、軽く眉を上げた。はるか下座に平伏する男は、髷も結わない短髪だった。

 昨今は髪形も服装も多様に様変わりしているが、武士ならば古式どおりに月代(さかやき)を剃り、髷を結うものだ。それが彼らの礼儀であり、矜持であり、おしゃれでもある。

 進み出た男はいちおう肩衣(かたぎぬ)をつけ、腰には脇差しもあったが、幕府の役人にはとても見えなかった。どちらかというと召し出された町人のようだ。しかし町人が大奥へなど入れないことは、言うまでもない。

 いったい、なに者なのだろう。


(おもて)を上げよ」


 さらに声をかけられて、男が身を起こした。ひな菊も座り位置をずらし、上座を右手にする。なるほど、さっきから妙に女中たちがそわそわしていたのはこやつのせいだったかと納得した。

 大樹公と姫の御前にあって緊張したようすもなく、うっすらとものやわらかな笑みをたたえた顔は、たいそう整っていた。年は二十歳そこそこといったところか。それなりにしっかりした線を持ち、眉などもきりりと太いが、表情のせいかとても優しい印象だった。

 これが土産? 若い美男を差し入れるなんて、まあお母さまなんて大胆な。

 一人内心でボケて、んなわけあるかと自己ツッコミを入れる。この母のやることだ、裏があるに決まっている。

 視線を男から母に戻し、それで、と表情で問えば、大樹公はにっこり微笑んだ。


「この者の名は広根(ひろね)海棠(かいどう)と申す。旗本五千石広根家の次男にて、恵泉院けいせんいんどのの甥じゃ。そちより六つ上の二十一歳。今日より、そちの守役(もりやく)に就く」

「……は?」


 ひな菊は眉を寄せ、母の言葉を反芻した。


「守役って、なんで今さら。そういうのは、もっと小さい子供につくものなんじゃ」

「そうさの。そちの年なら本来は側衆(そばしゅう)として仕えさせるものじゃが、いかんせん仕える相手がコレじゃからの。守役とするのが相応であろ」

「コレで悪かったね」


 むくれながらも、ひな菊は理解した。

 しょうこりもなく、またお目付役を押しつける気なのだ。守役だろうが側衆だろうが、ようはひな菊を監督するための肩書にすぎない。

 冗談ではない、うっとうしい。

 ひな菊は、ことさらにうやうやしく頭を下げた。


「上様のお心づかい、いたみいります。ありがたくお受けいたしましょう。なれど、ただ一つ。守役と言えば単なる遊び相手にはあらず、警護(けご)の任も負う者と心得ております。なれば、相応の腕が必要にございましょう。この者に安心して任せることができるか否か、たしかめさせていただきとうございます」


 離れた壁ぎわで七枝がため息をつくのが見えた。また姫様そのようなと、視線が責めている。ひな菊はつんとあごをそびやかした。


「そちの目から見て、納得できる腕前であればよいのじゃな」

「はい。武士とは名ばかりのヘナチョコでは話になりませぬ。見目よいだけならば人形で十分。まこと役に立つという、あかしがほしゅうございます。少なくとも、このわたくしよりは強くありませんと」


 三月みつき前のできごとを知る者たちが、そろって微妙な顔をした。許しなく口を開くわけにはいかないから黙っているが、言いたいことは一つだ。またかと全員の顔に書いてあった。

 一人、大樹公だけが涼しい顔だ。


「さて、こう申しておるが、そちの方はどうじゃ」


 問いかけられて若者は頭を下げ、静かに答えた。


わたくしに異存はございません。上様のお許しがありますなら、お相手つかまつりましょう」


 初めに抱いた印象どおり、口調もやわらかい。

 大樹公はうなずいた。


「では許す。双方、立ち会うがよい」


 不敵な笑みを浮かべて、ひな菊は立ち上がった。と同時に、打掛が肩から滑り落ちる。下から現れたのは、絹の間着(あいぎ)ではなかった。

 女中には端女はしためのようなと言われ、大樹公には町娘のようなと言われたが、実のところそのどちらにも当てはまらない。木綿の小袖こそではかまという姿は、武家の子息風である。しかし小袖も袴も通常よりはるかに丈が短く、膝上までむき出しなのだった。

 幼い子供ならばともかく、年頃の娘がするにはあまりにはしたない格好だ。松尾も他の女たちも、なんとか改めさせるよう努力してきたのだが、いまだ成果は上がらない。


 足袋たびもはかないつま先を、ひな菊は海棠に向けた。一礼して海棠も立ち上がる。見た目はともかく、所作はいかにも武士らしい。思ったより上背はあったが、抜きんでた長身というほどでもない。あまり強そうには見えなかった。


「誰か、竹刀を持ってきてやって」


 周りに声をかけると、いいえと海棠がやわらかくさえぎった。


「このままでけっこうです」

「……そう。ならば、互いに素手で立ち会うことになるわね」


 海棠は黙って頭を下げる。よほど腕に自信があるらしい。母も今度こそはと余裕の態度だが、泰平に慣れて柔弱化した武士なぞなにするものか。ひな菊はひそかに笑った。

 始め、と大樹公が声をかけるなり、ひな菊は畳を蹴っていた。

 燕のごとき速さで海棠のふところへ入り込む。

 みぞおちを狙った肘、続いてあごを突き上げようとした(しょう)は、いずれもするりとかわされた。だがそれは予想したことだ。本当の攻撃は続く蹴りだった。

 一瞬の間もおかずくり出されたあざやかな蹴りが、相手の横っ面に入るはずだった。


 ――それが、空振りした。


 またもかわされた。驚きながらもひな菊はきれいに足を着地させ、流れるような動きで飛びずさった。

 いったん距離を取り、反撃にそなえて身構える。

 が、相手からの攻撃はなかった。

 海棠は始めと同じように立っている。構えというほどの構えも見せぬ自然体だ。どうやら自分から攻撃する気はないようだった。姫君に手を上げるなどもってのほかというわけか。

 たいした余裕だ。ひな菊の闘志に火がついた。

 守役うんぬんの話はどうでもいい。いや、よくはないが、そんなものは後回しだ。

 とにかく、この男、ぶちのめしてやる。

 姫君どころかおよそ娘らしくない意欲のもと、再びひな菊は攻撃をくり出した。


 蹴りに肘打ち、正拳、さらに蹴り。立て続けの攻撃は女中などにはとうてい見切れない速さだ。男たちにしても、初めてひな菊のわざを見る者は一様に目を瞠っている。激しい動きであるのに、それは舞のように美しく静かにも見えた。

 むだのない攻撃の数々を、さらにあざやかに海棠はかわし続けた。ひな菊もそうだが、彼もまったく体勢を崩さない。常に最小限の動きで逃れている。拳も蹴りも、鼻先すれすれをかすめながら、けして当たらない。激しい攻めに翻弄されることなく、すべてを余裕で見切っていた。

 この男、相当できる。

 ひな菊の驚きに感嘆が混じった。これほど攻撃を続けながら、かすりもしないなど初めてだった。

 こんな人間もいるのか――なかば感動しかけた時、海棠がささやいた。


「大変不躾ではありますが……」


 攻防のさなか、互いの息づかいを感じるほど近くですれ違いざま、他の者には聞こえないかすかな声が耳をくすぐる。


「きれいなおみ足ですね。そそられます」

「な……っ」


 ひな菊の頭に血が上った。こやつ、澄ました顔をしてなんということを!

 怒りの一撃を、海棠がにっこり微笑みながらかわす。しまった、と思った時には遅かった。一瞬、感情的になってできた隙を、敵は見逃さなかった。

 脚払いをかけられ、身体が浮いた。背中から畳に叩きつけられるのを覚悟して、ひな菊はあごを引く。受け身の体勢を取ったが、衝撃はやってこなかった。

 かわりに感じたのはぬくもりだ。

 気がつくとひな菊は、海棠の腕の中にいた。

 屈みながら抱き止めることで上手く落下の勢いを殺した海棠は、そっとひな菊の身体を畳に下ろした。


「お気がすまれましたか?」

「…………」


 ひな菊は茫然として、言葉も出ない。

 優しく微笑みながら海棠は立ち上がり、数歩下がった。


「そこまで」


 大樹公の声が割って入る。息を詰めて見守っていた周囲から、いっせいに吐息がもれた。


「まあ、なんてこと。姫様がまるでかなわぬ人が、お師匠様の他にもいらしたなんて」


 感心しきったつぶやきは七枝の声だ。他にも、そこかしこで今の勝負に対する感想が交わされていた。興奮のあまり皆礼儀を忘れてしまっている。

 そこに再び大樹公が口を開くことで、ぴたりとおしゃべりが止まった。


「見事であった。よき勝負を見せてもろうたぞ」


 静けさを取り戻した座の中、海棠は得意気にするでもなく淡々と一礼すると、元の位置に戻って座り直した。

 さて、と大樹公は娘に視線を戻す。

 ひな菊はまだ畳にへたり込んだまま、茫然自失の体であった。


「これで納得したな? そちの望みどおり、まこと腕の立つ者であることが、ようわかったであろう。安心したな? あの者を守役とすること、不服はないな?」


 してやったり。そう言わんばかりに勝ち誇った言葉も、今のひな菊にはほとんど届いていなかった。

 ――負けた。

 この自分が、手も足も出せずに負けた。

 完敗、した。

 その事実が強くひな菊を打ちのめしていた。

 いや、負けたのはついかっとなって隙を作ってしまったからだ。まさかあんな手を使ってくるなんて――とはいえ、相手の挑発にあっさり乗せられてしまったのは失態以外のなにものでもない。

 それ以前に、海棠には攻撃がまったく通用しなかった。するりするりと(うなぎ)のように逃げられて、ただの一発も入れるどころかかすることすらできなかった。

 もし、彼が逃げるだけでなく反撃していたなら、自分は防げただろうか。かわせただろうか。

 圧倒的な伎倆の違いを、感じずにはいられない。


「これ以上文句は言わせぬぞ。今日これより、広根海棠はひな菊の守役じゃ。みなも左様に心得よ」


 母の言葉が混乱した頭上を通りすぎていく。

 風になびく葦のごとく、全員が頭を下げるのも目に入らない。

 負けた、負けた、負けた――

 手もなくあしらわれて、最後にはふざけた挑発にひっかけられた。

 どういうことだ。そりゃあ世界でいちばん強いと思い上がるわけではないけれど、負けるにしたってもっと接戦の末ならともかく、こんな完敗を喫するなんて。こんなことがあってよいのか?


「……いや、もしかして、あたしって本当は全然強くなかったとか……?」


 頭から冷水を浴びせられたような気分だった。

 今まで腕に覚えありと自負していたのは、本当にまったく単なる思い上がりにすぎなかったのだろうか。かつて相手にしてきた者たちは、みな大樹公の息女だからということで、わざと負けていたのだろうか。彼らに持ち上げられていたことに、気づいていないだけだったのか。

 町で出くわしたならず者も、威勢がよかっただけで実はものすごく弱いヘタレ連中だった? 本当に強い相手には、たまたま出会ったことがなかったのか。

 ――そうなのか? そうだったのか?


「姫様、どこかお怪我でも」


 いつまでたってもひな菊が動かないので、松尾が声をかけた。ひな菊の代わりに七枝が答える。


「ご心配なく、松尾様。井の中の(かわず)が大海を知っただけですわ。ほほほ、よい気味」

「七枝ーっ! あんた実はあたしのこと嫌いでしょーっ!」

「まあ、めっそうもない。姫様のおためにも、よきご経験をなされたと、お慶び申し上げているのですわ。ええ、ざまあみろと」

「うわああぁんっ」


 大樹公が立ち上がる。優雅に裾をさばいて、ひな菊の横を通りすぎた。


「七枝の言うとおりじゃな。ちなみに、守役の務めは遊び相手と警護だけではないぞ」


 ひな菊は母を見上げる。意地悪く笑う目とぶつかった。


「いちばん重要なのは教育係としての務めじゃ。よう指導してもらえ」

「うう……」


 ひな菊は畳に爪を立てた。


「ああそれと、大事なことを言い忘れておった。大奥は男子禁制が決まりじゃが、この西の丸に限って、海棠はいかなる場所にも出入り自由とする」

「はあっ?」


 一瞬、悔しさも忘れてひな菊は目を丸くした。


「いかなる場所にもって……それじゃ、まさかあたしの部屋にも?」

「無論じゃ。慣例にのっとり表でおとなしく待っておったのでは、そちは逃げ放題じゃからの。そばで見張っておらねば守役につけた意味がない」

「うっ……で、でもっ」

「表ではなくこの場にて引き合わせたは、奥の女たちにもその旨伝えるためじゃ。よいな、余のめいじゃ。各自心にとどめおいて忘れるな」


 まだ反論しようとするひな菊、困惑して顔を見合わせる女たちを尻目に、大樹公はさっさと歩き出す。彼女に従って男たちも御広座敷を後にした。海棠もいつのまにかいない。

 ひな菊はもう、なんと言ってよいのかわからなかった。


「いかなる場所にも、ですって。ご老中ですら立ち入れる場所は限られておりますのに」

「でもたしかに、そうでもしないと姫様をつかまえて――いえ、おそばについていることはかないませんし」

「若君ならともかく、まさか姫君が男ばかりの中奥(なかおく)で暮らされるわけにもまいりませんしねえ」

「まあどうしましょう。これから毎日あの方がいらっしゃるんですのね」

「すてき。あのうるわしいお姿を毎日見られるなんて」

「え、ちょっと、いかなる場所にもってことは、長局(ながつぼね)にも来られる可能性があるのかしら」

「いやだ、大変。部屋方(へやかた)にしっかり掃除させておかないと」

「衣装とお化粧道具も揃えなおさなきゃね」


 興奮して口々に言い合う女中たちに、ひな菊は脱力した。


「いや、そういう問題じゃないでしょ……」

「姫様」


 七枝がそばにやってきて、ひな菊の手を取った。


「七枝ぇ……」

「明日の朝は、念入りにお身体を磨きましょうね」


 いたって真面目な顔で、七枝は言った。


「お(ぐし)もようく洗って、きれいに結いましょう。打掛は新しくできあがってきた、綸子(りんず)のものを」

「はあ?」

「中身はともかく、見た目だけなら上様ゆずりのお美しさですもの。きちんと装ってお迎えすれば、広根様もかならず目を奪われますわ。上手くすれば、お手がつくやも」

「ついてどうする! 立場が逆でしょうがっ。守役が主君に手なんかつけたら切腹、いやさ獄門よっ。そも、つけられたくもないし!」

「それはともかく、これは姫様がお猿から人に進化する好機ですわ。ぜひここで、ご教養と女心を養われませ」

「あんたね……人を堂々とサル呼ばわりするか」


 七枝はもう聞いていない。一人なにかを妄想し、熱意を燃やしている。ひな菊はやけくそで大の字にひっくり返ったのだった。






「いかがであった?」


 御錠口(おじょうぐち)を出、表に戻ったところで、大樹公は海棠に訊ねた。若者はいたずらっぽいまなざしで応えた。


「予想以上にお元気な方でいらっしゃいますね。お強いとはうかがっておりましたが、あれほどとは。正直、驚きました」

「そちにはまるで歯が立たなかったがの」

「それはそうです。年端もゆかぬ少女に歯を立てられたのでは立場がございません。内心必死にございました」

「ぬけぬけと言いおる。とてもそうは見えなんだぞ」


 大樹公は声を立てて笑った。


「事前に見せてもろうてはいたが、ほんにそちの腕前には感服した。恵泉院どのが自信をもって推挙なさるだけはある」

「おそれいります」


 手放しで誉められても舞い上がるようすを見せず、海棠はあっさりと聞き流す。腕前もさることながら、この不遜と紙一重な堂々とした態度も並ではなかった。

 旗本八万騎と言うが、このような人材が眠っていたとは。


 ひな菊が推測したとおり、海棠はこれまで幕府の役職にはついていなかった。城に上がったことすらない。次男なので嫡嗣にもなれず、ぶらぶらと日々気ままに過ごすばかりだった。当然、うわさすら大樹公の耳には入らなかった。

 恵泉院が彼をひな菊の警護役として推挙したのは、もちろんひな菊の身を案じてのことであろうが、同時に優秀な甥を無為に埋もれさせたくもなかったのだろう。


 たしかめてみて驚いたことに、海棠は武芸に秀でているだけでなく、作法、教養なども申し分のない、実によくできた男だった。しかも相手が誰であろうと、萎縮することなく言いたいことを言う大胆さも持ち合わせている。人によっては生意気と眉をひそめられようが、大樹公は若者のそうした態度が嫌いではなかったし、ひな菊の教育係としてはまさに適任だった。遠慮してかしこまってばかりの人物では、あのはねっかえりには対抗しきれない。


「よろしゅう頼むな。あのとおりのきかん坊ゆえ面倒をかけようが、その分俸祿には色をつけるからの」

「はい」

「聞き分けはないし、いつまでたっても子供じみておるし、そのくせ小知恵は回って抜け出すことばかり上手じゃが、あれでいちおう根は悪くないのじゃ。下の者に対する思いやりも持っておる。そうひどい主にはなるまいから、見捨てないでやってたもれ」


 大樹公といえども人の親。母の顔になって頼む彼女に、海棠は微笑みで応えた。


「ご案じ召されますな。ひとたびお引き受けしたからには、力のおよぶ限りはげみましょう。それに」

「それに?」

「おっしゃるほど難儀なお役目とも思えません。あのように愛らしい方にお仕えできるのですから、役得というものにございましょう。さすが上様のご息女、ご尊顔を拝した時には胸が高鳴りました」

「…………」


 大樹公は扇を開き、その陰でこそりとささやいた。


「よいか、殺生とは思うが自重せよ。奥勤めの女たちと間違いなど犯すでないぞ」

「これは心外な」


 海棠はわざとらしく目を瞠ってみせた。


「花のごとき姫君のおそばに仕えながら、他の女性(にょしょう)になど目がゆきましょうか。私の視界はそれほど広くございません」

「……ひな菊にも、手出し禁止じゃ」

「無論にございます。この身にかえましても、お守り申し上げます」

「よろしい」


 重々しくうなずいて、本丸へ帰るべく大樹公は歩き出した。

 かねてから考えていたこともあり、海棠をひな菊の守役にすると決めた時、奥への出入りも許可することにした。これで皆をある程度慣らせれば、今後の改革にも役立つだろうと思ったのだ。破天荒な娘のおかげで反論を封じる口実もあることだし、なかなかよい思いつきだと満足していたものだった。


 ――しかし、ここに誤算が一つ。いや二つ。


 まずは、女たちの目を引きつけてやまない、この容姿。

 そしてもう一つは、口を開けば甘い科白せりふの大安売りという、海棠のちょっと困った性格だった。

 こんなものを女の園に放り込んで、はたしてなにごともなくすむだろうか。

 もう少し無難なところから始めるべきだったろうかと思いながら、一抹の不安とともに、大樹公は政務の場へと戻っていった。


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