表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
第三王子はただひたすらに愛を描く  作者: 新道 梨果子


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

25/40

25. 『愛している』と叫んでいる

 セウラスはひとつの扉の前で立ち止まり、私たちのほうに振り向いた。


「ここだよ」


 ノブに手を掛けると、扉を押す。

 扉の向こうには三人の侍女たちがいて、こちらに向くと、深く頭を下げた。


「お帰りなさいませ、殿下」

「さあ、入って」


 私たちは、恐る恐るといった風に、部屋の中に足を踏み入れた。

 侍女たちに会釈すると、にっこりと微笑み返される。

 広い部屋だが、特に華美なところはなく、質素な木目の調度品で統一されている。若葉色のカーテンが窓から入る風に吹かれてはためいていた。


 私たち三人は、壁に視線を移す。けれど少なくとも、見える範囲に絵は飾られていない。

 どこに飾られているんだろう。


 セウラスは侍女たちに、労いの言葉を掛けていた。


「大変だっただろう。すまないね」

「いいえ、あれくらいのことはいくらでもお申し付けください、殿下」


 そう返して、侍女は笑みを浮かべている。

 セウラスは私たちのほうに振り返ると、口を開いた。


「ごめんね、怖がる人間がいるものだから、寝所のほうにあるんだ」


 そう説明して、奥にある扉を指さす。

 ああ、なるほど、と私たちは納得した。

 いわくつきの絵。普通に目に付くところには飾れないのだろう。


「来客があれば、いつもはこちらの部屋で応対するんだけれどね。古い絵だからあまり動かしたくないし、あちらに机と椅子を用意してもらったから」


 侍女たちに動かしてもらったのか。よく見れば、床に机や椅子の跡らしきものがある。


「こっち」


 奥の部屋に続く扉を、セウラスが開く。

 私たちはその後について寝所に入った。


 寝所と言っても、大きな窓があってカーテンも開けられていたから、明るかった。

 大きな天蓋付きのベッドが目の前にあって、少し気恥ずかしくなる。

 シーツもぴしりと張られているし、枕も規則正しく何個か並んでいるので、起きたまま、なんてことは決してないのだろう。けれどなんとなく生活感を覚えてしまって、頬が染まった。


「あっ」


 ロイドの声がして、そちらに振り返る。

 壁に掛けられた、一枚の絵。


 『マクラウド伯爵夫人』。


「まあ、まずは座って」


 駆けだしそうな私たちを見て苦笑すると、セウラスは椅子を指し示す。

 私たちは促されて、絵に向かい合うよう並べられた椅子に座った。

 開け放たれた扉から、侍女がしずしずと入ってくる。そして私たちの前の机に、お茶とお茶菓子を置いていった。


「ではどうぞごゆるりとお過ごしください」


 最後にそう挨拶して一礼すると、退室していく。

 侍女といえど、美しい女性だった。洗練された動きは、爽やかな香りを残す。


 見てくれだけを整えた私とは違う。


 私たちは淹れてもらったお茶を一口、口に含む。

 そして、ほう、と息をついた。

 顔を上げれば、美しい女性がこちらを見て微笑んでいる。


 マクラウド伯爵夫人は白いドレスに身を包み、椅子にゆったりと座っていた。

 まるでこの部屋に、五人目としているかのように。


 ふと机の上を見ると、お茶が五人分、用意されていた。


「これは、セウラスの趣向?」


 五つ目の茶器を指さして尋ねると、セウラスは今気付いたように目を見開いたあと、小さく笑った。


「いや、侍女たちだね。なかなか粋なことをする」

「素敵」

「この絵を見ると、そうしたくなるのかもしれないね」


 私たちは、しばらくなにも口にすることができずに、黙って絵を見つめる。

 この絵を見た男はすべて惚れてしまう、というのも頷ける美しさだった。


「ちょっと近くで見てもいい?」


 ロイドの問いかけに、セウラスは首肯した。

 ロイドもフィンも立ち上がって、おずおずと絵の前に立つ。


「これが、『マクラウド伯爵夫人』か……」

「案外、小さいな」

「でもやっぱりすごいよ。この頬の紅潮した感じといったら!」

「雑に描いているみたいに見えるのになあ。なのにすごく繊細に描かれている。見てみろよ、このドレスのレースのところ」


 ロイドもフィンも、絵に近づいたり離れたりして、絵を堪能している。

 セウラスはそれを満足げに眺めていた。


 二人がこちらに振り向いて呼び掛けてくる。


「お嬢さんは?」

「見てみろよ、あんなに楽しみにしていたじゃないか」

「え、あ、うん」


 立ち上がろうとドレスの裾を少し持ち上げる。立ち上がるだけで難儀だ。

 セウラスがこちらに手を差し出してきたので、それに手を乗せる。軽く引っ張られて、今度は楽に立てた。

 そのまま手を引かれて絵に向かって歩く。やっぱりドレスは歩きにくい。


 そして、『マクラウド伯爵夫人』の前に立つ。

 艶やかな黒髪。透けるような白い肌。少し首を傾げてこちらを見る表情。少しだけ上がった口角。すうっとした首筋。たおやかな指先。


「……愛している……」


 ぽつりと口から漏れ出た。


「え?」


 三人が、こちらを見て首を傾げた。


「絵が、『愛している』って叫んでいるみたい……」


 愛している、愛している、愛している。

 一筆描かれるごとに、絵の具に込められる激情。それが伝わってくる。

 夜な夜な現れるという幽霊は、その想いの具現化なのではないか。

 何ひとつ逃したくないと繊細に描かれた伯爵夫人は、けれど少し遠い。


 絵をじっと見つめたまま。はらりと涙が頬を伝った。


「えっ、ちょっと、なに泣いてるんだよ」

「あーあ、感受性が豊かというか、なんというか……」


 動揺したような、ロイドとフィンの声がする。

 私は慌てて手のひらで涙を拭った。


「泣いてないわよっ」

「泣いてるじゃん」

「あー、もう」


 最初に、ロイドが左から私の肩を抱いた。そのあと、フィンも被さるように右から肩を抱く。それからセウラスが、私たち三人を包むように、腕を回してきた。

 とても温かな、抱擁だった。


 仲間じゃない、と思っていた。私たちは競争相手なのだと。

 けれどそれは間違いだった、と思う。

 三人に包まれて、私は静かに涙を流した。


 そうして絵を眺めているうち、いくつもの疑問が胸の中に浮かぶ。

 私は、この絵のような、すべてを投げ打ってでも表現したいと思える激情を、持ち合わせているだろうか?

 私は私の腕一本で、こうした感動を与えてくれる絵が描けるのだろうか?

 この先、それが可能だろうか?


 私は本当に、宮廷画家になりたいのだろうか?


 宮廷画家になれる資質を、私は持っていないのかもしれない、と思った。

 そのことが、どうしようもなく、悲しかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ