21. 王城へ
翌日の朝、剣と王冠の王家の紋章が装飾された馬車が、屋敷に私たちを迎えにやってきた。
恐縮しながら中に乗り込むと、ゆるゆると馬車は進みだす。
まず振動が少ないことに驚いた。御者の腕か馬車の造りかはわからないけれど、いずれにせよ、普通の馬車の乗り心地とは全然違う。
「馬車を用意するって事もなげに言ってたけど、これ、他の王族方も使っているんだよね……いいのかな、乗っちゃって」
「質が高すぎて、逆に落ち着かないよ」
「う、うん」
中は広いのに、なぜか私たちは縮こまってしまう。
いやいや、過剰に委縮するのもみっともないのではないか、と私は背筋を伸ばして座り直した。
しかし少しするとまた背中が丸まってくる。
これはいけない、と私は努めて明るい声音で、同じように小さくなっているロイドとフィンに話し掛けた。
「でも、楽しみよね。あの『マクラウド伯爵夫人』よ?」
「存在していたんだなあ」
「どんなのだろう」
ロイドもフィンも、その話題になると瞳を輝かせて身を乗り出してきた。
「しかしまあ、あんな裏話があるとは思っていなかった」
「そうだね。背徳感が名画を生んだってことかな」
肖像画を描いているうちに愛が芽生えたのか。それとも愛する人が伯爵夫人となってしまったのか。
いずれにせよ、駆け落ちまでするほどの激情を抱いた人間が描いたことには間違いない。
伯爵、夫人、画家の三人の命が失われ。
そして名画が残った。
「でもまさか、セウラスが持っているなんてなあ」
確かに。それには本当に驚いた。
「見た男はすべて恋に落ちるって絵だよ。惚れていたりして」
フィンがにやりと笑ってそんな風に揶揄すると、ロイドがわざとらしく腕を組んで考え込んでみせる。
「そういえば婚約者とかいないもんなあ」
「恋人の一人や二人いたって、おかしくなさそうなのに」
「伯爵夫人の前には、どんな美女でも霞んでしまう、なんてな」
「ますます夫人を見たくなってきた!」
そんな二人の軽口を聞いた私の胸に、もやもやした暗い感情が少しだけ芽生えた。
いやいや。絵に嫉妬? 馬鹿らしい。
気を取り直し、でも私は話を逸らす。
「それにしても、着ていく服がなくて困っちゃった。大抵は絵の具が飛んでるし」
汚れていないものを、と探して、結局のところ質素な露草色のワンピースを着ることにしたのだ。
着飾る必要はないと言われたけれど、さすがに絵の具で汚れた服を着ていくわけにはいかない。
「そうそう、汚れてないのを探さないといけなかったよね」
「こういうときのために、一張羅を用意しないといけないのかしら」
「宮廷画家になったら要るよね。先生も、王城に行くときには正装に着替えてる」
あの父ですら、王城では場をわきまえているというわけだ。
いくら変わった人とはいえ、宮廷画家というものは王城に雇われているのだから、礼を失するわけにはいかないのだろう。
「あ、着くよ」
馬車の窓から外を覗いて、ロイドが言った。
馬車は大きな木製の城門をくぐり抜けていく。
「あっ、あれ見て」
フィンが窓の外を指さす。
城門の外側に、馬車や人が一列に連なっているのが見えた。
「ひええ、全部、検めさせられているのか」
「衛兵が馬車の下を覗いてる」
「あんなことしてたら、城内に入るまでに何時間かかるかわからないわね」
「この馬車なら門番を通さなくていいって言っていたもんな」
「信頼されてるねえ」
私たちの乗った馬車は、そのまま城内に入り、馬車どまりらしき場所についた。
外から馬車の扉が開かれる。
そこには御者がおり、降り口に小さな階段を置いてくれる。
ロイドとフィンが先に降り、私が最後に降りようとすると、御者が手を差し出してきた。
「えっ」
「どうぞ、お手を」
「あ、ありがとうございます」
私は御者の手に自分の手を乗せ、馬車から降りた。
実際のところ、手など貸してもらわなくとも、これくらいの段差ならひょいと飛び降りればいいような気はするが、女性である私にだけ手を貸したということは、それがたしなみというものなのだろう。
馬車から降りると一人の女性が待っており、こちらに腰を折った。
「いらせられませ。宮廷画家のマシューさまのお弟子さま方ですね? どうぞこちらに」
女性は私たちの斜め前をしずしずと歩き出す。
私たちは無言で顔を見合わせ、そして女性の後を大人しくついていった。
そして城内のひとつの扉の前に到着すると、女性は扉を開け、私たちを中に促した。
おずおずと中に入って振り返ると、女性はにっこりと笑う。
「セウラス王子殿下は、まもなくお越しになられます。こちらでしばしお待ちを」
そう告げてまた腰を折ると、女性は退室していった。
ぱたん、と扉が閉まると同時に、私たちは一斉に息を吐く。
「なんか、緊張するなあ」
「なんというか、違う世界に迷い込んだみたいだ」
世界が違う。私もいつか、彼にそう感じたことがあった。
「ひとまず、座って待ちましょうよ」
「そうだな」
私たちはそこに向かい合わせに置かれたソファに座る。
ほっと一息ついたところで、扉がゆっくりと開かれて、私たちはそちらに振り返った。
「セウラ……」
そう声を掛けようとして、違う顔がひょっこりと覗いていたことに気付いて動きを止める。
女性だ。
豪奢な薔薇色のドレスを着て、扇を口元に当てている。栗色の髪は美しく結い上げられて、赤い宝石があしらわれた髪留めが付いていた。年の頃は、四十くらいか。
女性は、うふふ、と笑うと部屋の中に入ってきた。侍女らしき女性を二人侍らせている。
「あ、あの……?」
誰だかはわからないが、身分が高い女性であることは間違いないだろう。私たちは慌てて席を立って、会釈した。
女性は扇の向こうから、こちらに問いかけてくる。
「セウラスのお客さまね?」
「え、は、はい」
戸惑いつつも答えると、女性は私のほうに視線を向けてきた。
「まあまあ、可愛らしいお嬢さんだこと」
そう明るい声を上げると、柔らかく微笑む。
今、セウラスと言った。敬称は付けなかった。城内でそんなことができる人というと。
「母上。なにをしているのです」
女性の後ろから、見知った人が姿を現した。
呆れたような表情をして、セウラスが部屋に入ってくる。
「だって、セウラスのご友人が来るって話だったから。挨拶したかったんだもの」
「なんでまた」
「そういうお客さまは初めてじゃないの。これは見ておかないとと思って、来たら知らせるように侍女に言っておいたのよ」
女性はしれっとそう答えた。
セウラスのほうはといえば、こめかみに手をやって、目を閉じて眉根を寄せている。
セウラスの母親。つまり。
この人は、王妃なのだ。




