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第三王子はただひたすらに愛を描く  作者: 新道 梨果子


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15/40

15. 悩み

 泣いて泣いて泣いて、そして落ち着いた。

 心に引っかかっていたなにかを、洗い流したような気分だ。


 すっきりすると、今の状況が急に現実として襲ってきたような気がする。

 抱き合っている。なにをどう言い繕おうとも、私とセウラスは抱き合っている。


 なんだか気持ちが良くて、ずっとこのままでいたいような気もする。

 誰かに甘えたりなんてあまりしたことがないから、こうして抱き締められることがこんなにも安心できて気持ちのいいものだとは知らなかった。

 胸に耳を当てる。規則正しい心臓の音が聞こえる。私を守るように身体に巻き付いた腕が、頼もしい。

 きっと今、もし私が倒れても、この腕は私を支えてくれるのだろう、と思った。


 だがいつまでも、この体勢でいるわけにもいかない。その心地よさを堪能したあとは、気恥ずかしさが襲ってきたのだ。

 彼の背中に回していた手を離し、少し身体を引く。


「あ、あの……」


 そう声を出すと、ふっと彼の力が緩まった。


「あ、ごめん」


 彼の胸が腕が指が、離れていく。今までそこにあったものがなくなって、少し寂しい、と思う。


「う、ううん。ありがとう」


 そうして二人して、元の体勢に戻ってベッドに背中を預けて座り込む。

 しばらくの間、沈黙が流れた。

 外はもう、雷は鳴っていない。けれどまだ、雨は強く降り続いているようだ。


「ま、まだ、王城には帰れそうにないわね」

「そうだね。外套を貸してくれれば帰れなくもないと思うけれど」


 帰るつもりなのか。こんな雨の中を。しかももう夜だ。


「どこかにあるとは思うけれど、皆、帰してしまったし、どこにあるのかわからないかも」


 言い訳がましく、そう小さな声を出す。

 私はきっと、セウラスに帰って欲しくないのだ。もう少しだけ、傍にいて欲しいのだ。

 けれどそれは明らかに、私のわがままだ。


「あの……急ぎの用事はある? それなら探すけれど……」


 ちらりと彼の横顔を窺いながら、おずおずとそう問う。

 すると彼は口の端を少し上げた。


「いや? 急ぐことなんて、なにもない」


 単純に、これからの予定を述べただけのようにも聞こえた。

 けれどどこか自嘲的な響きがあったような気がする。

 いつも穏やかな彼が、そんな口調で喋ることに違和感を覚えてそわそわする。


「えっと、私の話ばっかりしたから」

「うん?」


 余計なお世話だろうか。心の中に土足で踏み込むようなことではないだろうか。

 でもなんだかそのままにしてはいけないような気がした。


「あの……、セウラスの話も聞きたいわ」

「私の?」

「う、うん……」


 俯いたまま頷くと、小さなため息が聞こえた。


「もしかして、今、嫌な感じに聞こえた?」


 首を傾げてこちらを覗き込んでくる。

 これはどう答えるべきなのだろう、と考えている間に、彼が先に口を開いた。


「そうか、つい、気を抜いた」


 そう零して、うーん、と天井を眺めている。

 深刻そうな雰囲気はなく、飄々としている。

 けれどきっと、これは大事なことだ。それがわかった。


「言いたくなければそれでもいいけれど……でも私、聞いてもらって楽になったわ」


 私の言葉に、セウラスは小さく息を吐いた。


「……まあ、私の悩みなんて、大したことではないんだけれど」


 私はただ、彼の言葉に耳を傾けることにした。本当に、大したことではないのだろうか?

 あの絵。

 彼がここにやってきたときに描いた絵。

 私の人生の中で、あんなに恐ろしい絵はなかった。人間が描く絵だとは思えなかった。


 セウラスは王子で、傍から見ればこれほど恵まれた立場にいる人はいないように思えるけれど、きっと闇を抱えている。

 私には大した力もなくて、彼のためになにかできるとは思えないけれど、でも彼がしてくれたように、話を聞くことはできる。


「この国には何人の王子がいるか、知っている?」


 いきなりそう問いかけられた。


「四人よ」

「当たり」


 セウラスは認める。


「では訊くけれど、この四人がそれぞれどんな王子か知っている?」

「お会いしたこともないし、噂くらいしか知らないけれど……それでいい?」

「うん」


 質問の意図は見えないが、素直に答えることにする。


「第一王子はデュラスさま。つい先だってお妃さまが御子をお産みになられたわ。とても優秀な方で、国王陛下も頼りになさってるって」

「うん」

「第二王子はリヴザルトさま。剣術や体術が得意な方だって。ご婚約中の姫がおられるって」

「うん」

「第三王子は……セウラスさま」

「うん」

「第四王子はエグリーズさま。すごい放蕩息子で困った人だって。この方だけ、ご側室さまの子よね」

「その通りだよ。噂といっても、なかなか正確だ」


 苦笑しながら彼は返してくる。

 そしてこちらに、まっすぐに視線を向けた。


「第三王子には特に注釈はなかったようだけれど?」

「え、だって、目の前にいるじゃない」

「目の前に来る前は? なにか知っていた?」


 私はその質問に、詰まってしまう。

 けれどここは、なにか言い繕うような場面ではない。それがわかる。


「……ごめんなさい」

「謝らなくていい。一般の国民に限らず、そんな感じだから」


 そうして皮肉げな笑みを浮かべ、ゆっくりと口を開いた。


「第三王子というのは、けっこう微妙な立場でね」


 彼はぽつりと語り出す。


「第一王子と第二王子は、それぞれに有力な後見人もついているし、成績も優秀。どちらが次期国王であってもおかしくはないと思うよ。このままいくと、普通に第一王子が即位する。第二王子は、第一王子に万が一のことがあったときのための保険だね」

「保険……」


 それは、人間に対する表現なのだろうか。


「私は今、その保険の立場ですらない」

「そうなの?」

「第一王子に男子が産まれたしね。第三王子など出る幕はない」

「王さまに……なりたかったの?」


 なんだか雲の上の話すぎて、実感が湧かない。

 物語の中によくある王位継承権争いというものを、この目の前の人がやっているのだろうか。


「いや? なりたいと思ったことはないな。かけ離れてもいたし。万が一そうなったとしたら、粛々と受け入れたとは思うけれど」


 だったら、王位に遠い、というのは悩みではない。

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